(The Dark Knight)(2008)
「誰もお前にジョーカーは売らない。お前はルールを守る正義の味方、だがジョーカーは正反対。恐ろしくて裏切れない」(奴を捕まえる方法はただ一つ。分かっているはずだ、マスクを脱げば、奴から現れる)
光と闇、高潔と憎悪、犯罪と正義、正義感と暴走、苦悩と現実、生と死、様々なテーマが混在した本作の中で、際立っていた人物は二人、或いは際立つべきだった人物は二人であり、それは悪役のジョーカーに存在感を押された主人公のバッドマンではない。
本質的に本作のテーマは死刑制度をめぐる問題に思う。
法が裁けない悪を裁くバッドマン、という設定は、汚職にまみれたゴッサムシティにあって、マフィアやそれに操られる警察や司法組織について向けられているようだが、凶悪すぎる犯罪者、特に精神に異常をきたしている場合には死刑には問えない、この表現モチーフとしてのジョーカーは極めて立体的に創造されており、その対比として存在するはずの光の騎士と闇の騎士の存在が弱い。主人公であるバッドマンはいかにジョーカーほどの犯罪者であっても、警察司法に突き出して罪には問えても死は下せない、そこが、正義からショックで反転するハービー・デントであれば可能であったし、その場合にモチーフ役割的に彼が向かうべきは恋人の死への復讐なんてチープなテーマではなく、バッドマンの存在がジョーカーを産んだように、ジョーカーという死刑に問えない存在が産んだ闇の騎士であるべきだった。本作の脚本的にはその方がテーマは立体的に明確になったはず、ある意味で本作でバッドマンは絶対に主人公ではなかった。そのためのハービー・デントの存在感と行動原理が間違っていたとテーマ的に思いはするし、現在の彼がエンタメ的にも魅力的な立ち回りも出ておらず無残であり、彼はジョーカーに焚きつけられて恋人を死に追いやった人間を殺すのではなく、ジョーカーにより恋人を奪われたがゆえに、死刑執行が必要な犯罪者を自分が裁く立場になる意味での転生をした結果、バッドマンにそれを成敗される形のほうが明確にテーマをたてられた。
死刑制度をめぐる問題であることは、ジョーカーが2つのフェリーに同時に爆弾を仕掛けて、片方には凶悪犯たちが、片方には善良な一般市民が乗船し、互いに相手側の爆破スイッチを持った状態で、期限が来れば両方が爆破される、という設定を持った場面に現れている。販売者たちは積極的な放棄を望んだが、一般市民たちは押したかったが押せなかった、という苦渋をにじませる表現が用いられている。
現実的には、ジョーカーのように簡単に脱獄を繰り返し、そのたびに愉快的に人を殺めていくような犯罪者は存在しないにしても、死ぬまで刑期を設けて犯罪者を枠の中で税金にて生き永らえさせて飼い続けることに不快感がある国民感情は日本にも存在するだろうし、そうした司法や法整備の問題にも思うが、一般市民はだれしも自分がそのボタンを押せない。故に闇の騎士が必要になるともいえる。
そしてそのアトラクションを仕掛けたジョーカーが、自分が見たいものは文明人を気取ったやつらの面の皮がはがれる瞬間、と言うように、彼らの皮をはぎたかったように、もっとも彼にとっての面白さの狂気は、バッドマンの面の皮をはいで自分を殺させる一線を越えさせることにあるはずだし、そう適応することも出来たが、それは上で触れたように主人公的にふさわしい絶望ではないので、一番はぎたいであろうバッドマンのマスクの下の嫉妬心に火を点け、ハービー・デントをある種見殺しにすることを創出したのであれば、本作の謎でもあるハービーの死はジョーカーにより創出されたものであり、主人公は見事やんわりと操られていたような創作はなされている。
(この案を採用するのであれば、彼女の最後の手紙は読まれるべきであり、その後3作目でのアルフレッドとのエピソードに水を差す作りになってシリーズの構成を変えてしまうので、そのあたりか)
ただ、本作がそのようにして、素材として持つテーマを描き切れていないにせよ、ここまで面白かった理由のほとんどはジョーカーの存在感であるし、その彼がもたらした作品全体の絶望や緊張感、そしてそれを扱う編集作業における集中度だろう。それに間違いはなく、本作は抜群に面白かったし、本作を見てからだと、パラレルとはいえ「ジョーカー」のテーマも演技も軽く思えてくるし、「スーサイド・スクワッド」のジョーカーも若かりし頃だとしても何だったのかと思えてくるし、こういうジョーカーがハーレイを恋人にしてるはずもなかっただろうなと、全体を見渡して一人際立っている。
強烈な演技でジョーカーを確立した役者さんは、本作のジョーカーの役作りに飲み込まれ、精神異常をきたして薬物から逃れられずに急性薬物中毒で公開前に亡くなったそうで、そういう逸話もあって大ヒットしたのもうなずけるし、それだけの本気で挑み切った役なのだなというのもわかるし、そういう仕事や全身全霊が一作に込められる役者という仕事の記念性が思われるが、作品に込めて自分は死ぬという人生は、虚構創作との対比としてはなかなか考えてしまうものがある。
警部補のジム・ゴードンとバッドマン(ブルース・ウェイン)は協力して犯罪者からゴッサムシティを守っていたが根絶やしは難しく、そこに現れた新任の検事であるハービー・デントは、正義感が強く、犯罪者にも汚職にも屈しない姿勢を見せるために二人の気を引くし、彼はブルースの幼馴染であるレイチェルと付き合い始めたようだった。
ゴッサムシティのある銀行をピエロのマスクをかぶった男たちが襲う。銀行に預けられていたのはマフィアたちの資金で、その犯行からマネーロンダリングの流れなどが警察に露見する。その対策の為にマフィアたちが会議をしているところに、銀行強盗の首謀者のジョーカーが現れ、彼らにマフィア弱体化やゴッサムシティを変えたバッドマンを標的にする提案を持ちかける。
このあらすじは本編二時間三十分以上あるうちのほんの冒頭に過ぎない。そこからは一気にジョーカー劇場が始まるし、実をいうと冒頭はジョーカーによる銀行強盗から始まるので、始まりから目玉まですべてがジョーカーの映画と言っても良い。
本作の後に「バッドマン・ビギンズ」「ダークナイト・ライジング」を含めて観てからでは、「ダークナイト」が単独であり、1と3がセットであるとすら思うほどに本作だけ異質な魅力を放っており、やはりヒーローもののテーマ性や虚構性の多くを担うのはダーティの要素であることが明確にわかる。本作は間違いなく悪役の魅力により創作された作品、つまりジョーカーの作品だ。
私はまず三部作であると知らずに、ジョーカーが登場すると聞いて評価が高いらしい本作から観始めてしまい、「ライジング」の要素の何も知らずにバッドマンの設定を把握するまでに序盤は苦労したが、本作はその密度を完成させるために序盤の台詞展開なども早いのでついていくのがやっとなのだが、魅力的な世界の展開は一気に進むし、そこからはもう止まらなかった。
執事とのやり取りやランボルギーニは気持ちよく大破したり、ちょこちょこ小ネタが入るのがクスッと来るし、病院爆破の時の緩急、その前にナース服と消毒、能天気軽やかに出てきて、いぶかしみから爆破までの流れ、正ヒロインかと思えるゴードンの頑張り。これでもかと詰め込んだ二時間三十分、しっかり楽しめる。
光の騎士扱いだったハービーのようなアメリカ然としたタイプは私はやはり好きではなくて、それは運ではなくて本質の問題に思う。彼は光りの正義の段階から自らを疑わず、そうした誇れる正義感で屈折も苦渋も知らない質は反転すれば簡単に道を誤る、己に苦悩したことがない脆弱な強さに思う。苦悩した結果の強さに輝かしさはあり得ず、彼にはそうした色気が足りなかった。ゆえにそんな彼を選んだレイチェルが彼のどこに惚れる要素があったのかわからず、その二人の部分が微妙ではあったし、ある種テーマ的でもあった。
犯罪者でも殺さない正義を貫いていたバッドマンが、流れとは言えハービーを助けなかったことは、多少の憎からぬ気持ち、嫉妬だと思えば彼の可愛らしさもわかるし、おちゃめな部分にも思える。あれほど次を託す男のはずが、生殺与奪の二択の際にレイチェルを選んでいるし、バッドマンはある意味で迷える子羊みたいなところがあって、絶対的ではない。
それに対して絶対的な悪、凶器としてのジョーカーが目立つわけだし、本作はやはりジョーカーの作品になる。
暴力や狂気、無秩序との戦いは、理性や知性の反対側にあるように思えて、それに打ち勝つための理知には更なる高さが求められることが、人間性であり現代性であるから、常に死力を尽くして、声を張り上げて対処にあたるゴードンの魅力が光る。
犯罪の街をすら強烈な闇に突き落とした彼の一夜をdark nightとした題名かと思いきや、綴りと展開でdark knightだと知った時はびっくりした。
行動力とその思考の狂気で、何でも壊してきた人生のはずのジョーカーに達成できないものはなかったはずだ。創造や生産性に向かなかった実行力が悪に求めた快楽とは、お金も必要なく燃やし、他の欲望も見せない中で彼の人生とは何なのか。
演技や全体像としてのキャラクターが特異かつ強力過ぎて忘れてしまうが、ジョーカーが顔面に施した道化師のペイントは、口元が大きく笑っており、それが隠すのは唇の両端が大きく避けた傷口で、彼はその語るエピソードを毎回変えながら相手に恐怖を与えてナイフでゆっくり切り裂いていく。ある時は父親、ある時は母親、ある時は恋人、その傷の本当の物語をおそらく彼は一度も語っていないし、けれどどれもに通じる悲痛な叫びは本物にも思える。そんな彼を生み出した物語とはどんなものなのか、興味を掻き立てられるその題材と、精神病患者として精神病院に送られてからあてがわれて巻き込まれるハーレイ・クインゼル博士の悲しみの人生をふと思い出す。きっと同様の悲しい物語をいくつも巻き込んで大きくなった深淵は、本作全体を飲み込んだに過ぎない。
そんなキャラクターを生み出し、変奏が重ねられ、偉大な俳優の後に演じるプレッシャーにも負けずに渾身の仕事をした一人の俳優と、彼を収めて撮り上げた作品の勝利が凄まじく、それが息を呑む重さと華やかさで展開する本作は、至らない所を補い余る映画の魅力で襲い掛かる一作。
2008年の映画、これを上回る悪役と作品を探す旅は希望にも絶望にも溢れる。
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