「物語には主人公の成長が必ずしも必要ではない、主人公が成長しなかったとはいえ、本作がつまらないとは言えない」みたいな文章をかつて読んだことがあるが、うじうじするそれを美徳とするような古風な純文学などはそうかもしれないが、紆余曲折あるはずのプロットのましてエンタメ的な要素のある作品に、主人公の進展が全く感じられない作品も魅力はやはりないし、無理な成長物語を期待するわけではなく、自然な物語作りがあればプロットの進展と共の人物の進展も自然に存在するものだ。
そして、特に私は作家と著作列における成長性を最も見たいし、評価する。では本作の展開は自然で、成長は自然で、作者のそれはどうか?
ハリウッドでは、白人を救済するためだけに存在する、魔法使いのように何でもできる献身的な黒人のキャラクターは、マジカル二グロ、とあえて差別用語を使って、批判的に語られているらしい。同じように、マジカルゲイ、つまり物語をすすめるためだけに存在する同性愛者というのもあるようだ。楽しくておしゃべりでおせっかいで、主人公の恋愛や仕事を手助けしてくれる女言葉を使う男性キャラクターは、国内ドラマでも見覚えがある。
~「つまり私って、マジカルグランマだったってことなの?」
世間が求めるこうあるべきおばあちゃんに自分をはめこみ、それでお金を稼ぐことに正子はこれまで何の疑問も持たなかった。いつも優しくて、会えばお小遣いをたっぷりくれて、それでいて老いの醜さや賢しさを持たないキュートなおばあちゃん。
主人公は74歳の元女優で、若い頃にオーディションから有名女優の付き人に昇格、実家が裕福な助監督に見初められて結婚と共に女優を引退、その後五十年近くの結婚生活の間、女遊びが絶えない夫との関係は不和ではあったが義理母には介護も含めて気に入られて、遺言で屋敷の権利は半分貰えているから、あとは生活費だけを稼ぐ手段を見つけて夫と協議離婚に持ち込もうと思った主人公・正子の第二の人生は、再就職の相談をした先で、付き人を務めていた大物女優からのイメージチェンジの一言から始まる。
「売れっ子になりたいのなら、まずはその、髪の色を変えるべきよ」
「マリリン・モンローはね、〜ゴールデン・ブロンドに染めて名前を変えたら、あっという間にスターになったの。ノーマはブロンドにすることで、現実にはいない、夢の女になったの。正子ちゃんも真っ白な髪になれば、みんなにとっての理想そのもの、になれると思う。言いにくいんだけど、あなたはシニア俳優として売り出すには、外見が若すぎて、中途半端なの。しっかりとした老け作りをすることで、立ち位置が明確になるわ」
物語は紆余曲折や起承転結を様々持ち、著者の作品とは思えないほどにするすると機微を変えて進展する。有名スマホCMで演じた国民的おばあちゃんとしての大出世、離れに別居していた夫の死に一週間気づかずに告別式のインタビューで悲しみを表現しなかったことで芸能界を転落する、等はほんの序の口。内的な迷いや悲しみの陰影も存在しないまま、主人公の正子は生き急ぐようにどんどんと自分の古い価値観よりも先へ先へ、新たな気づきと新たな挑戦へ踏み出していく。
老い先が短いこともあり、老人は悲しんでもいられないというパワーは良いし、その彼女に変化や学びをもたらす存在としての夫が生前親交があった映画監督志望で夫のファンの若い女性・安奈を通して知る現代的要素は、外すことなく物語の展開を作りだしていく。Twitter、インスタグラム、ブログ、snsでの拡散や告知、地方と老人や廃屋の活用。
それらは間違いなく本作を展開していくご都合主義ではあるし、74歳の底知れぬパワーばかりを描いた本作は夢物語と思える。しかし、老人は止まっている暇はないのだし、誰も彼も新しい状況や知識に触れては感化していく過敏さがあっても良いし、何より彼女は結婚して子育てをし義母の介護をしながら五十年近くも仕事や外界から離れて静かに暮らしていた、その間にためていた生命力とでも思えばいいだろう。
「BUTTER」「ナイルパーチの女子会」「さらさら流る」と三作読んできて、著者の愚点を挙げるとすれば、犯罪的事例や心理を扱うことで重さや深さを出そうとする点、外部的事象やプロット進展は弱いのに内的吐露が多くバランスが悪い点、言語表現にあって致命的な文章の厚みの無さと滑りの悪さ、などにあったが、本作にはそれらの特徴は綺麗に存在していない。
書き慣れたな、と読み始めてすぐ思う。
本作には内的な面倒くさいどろどろは一切登場しない、死への近づきは同じ年の幼馴染の認知症や老人ホームが、ホーパーティ的な食事の準備や家の仕事が老人の体には大変だから誰の世話もしなくていい老人ホームでの生活はよいなどと、あまり普通は書かれないこともさらっと書かれる。
実際の74歳はこんなに元気ではないし快活にもなれないとか、共感は出来ないとか、そういう現実味の話すら必要ない、元気が出る作家、それでいいような気もした。
74歳の正子の物語は髪を染めた時に始まるのかもしれないし、マジカルニグロという言葉を聞いた所から始まるのかもしれない。何十年と封印されてきた静かな女性が一気に学び驚き躍動をし始める瞬間から、その力強さや直向きさで生きていく心地を楽しめる一冊となっている。
確かに深く与えるものはないが、おそらくそれは読者自身が自分の人生に感じるものであり、本作でいえば作者にも感じられる力強さがそれに当たるようにも思う。74歳という主人公像を考えずして、古い自分をどんどん脱ぎ捨てて新たな世界を知って踏み出していく行動力の主人公の強さを感じるだけで十分の作品に思う。多くは語らなくても、長年の夫との不和、芸能界からの失脚とバッシング、認知症の幼馴染、近くいずれ自分もそうなるであろうを感じるに十分な疲労感や白内障、オーディションの不合格、絶望的な資金や貯蓄のなさと節約、あと死ぬまでの数年どこまで生きていけるのか、新たな友人と新たな場所にあって、若い女優の卵たちと張り合って、どこまで。その強さが惹きつける、この足で歩ける場所まで。
社会的格差のある2人(正子と紀子ねえちゃん)、庭で取れる食生活の豊か、me too運動などの社会的モチーフの簡単な取り入れ、父ではないがやっと死んでくれた夫、今回は微笑ましかった女友達、などなど、作者が多用し過ぎなモチーフテーマは今作でもそこかしこに存在するが、自然な形で主張しすぎずに埋め込まれているので、本当に書き慣れたなと思うばかり。
犯罪的事例や社会的テーマを扱うことで重さや深さを出そうと据えるも表現力の乏しさを露呈するだけだとか、プロット進展は弱いのに内的吐露が多くバランスが悪い点も作家性としての表現力であるし、言語表現にあって致命的な文章の薄っぺらさと滑りの悪さは、現代作家に言語芸術などとは求めないけれども文章表現ジャンルにおける文章力はその体現の肝であり顔なので、いかにテーマモチーフを野心的に、プロットをエンタメ的に用意し展開しようとも、表層に魅力と実力がないことは分かりやすい。しかし本作ではそれらの多くはほぼ解消されており、その作家性の成長は驚くべきものに感じる、発表年数で見ればたった2年で見違えたさまは、本作の主人公の成長性の魅力にも相当する、著者を一気に好ましく思わせるに妥当な快活の魅力であり、そこに陰影などは必要ない。
「さらさら流る」は良くも悪くなかった。
かつて付き合っていた頃に元恋人が撮った自分の裸の写真をネットの掲示板で見つけてしまったアラサー女性の話。
冒頭の初デートに象徴されるような場面は、本作の水や地下の流れを思わせるモチーフの大事な場面であるが魅力的な表現には至っておらず不足があるし、全体的に内側の思考や心情吐露ばかりで外側の展開と描写が少な過ぎており、内外の流れが悪く、それが作品全体の評価を下げてはいる。この辺りは著者の不出来を顕著に詰め混んでおり、商業出版されていいレベルなのか疑わしく、すでに人気の作家でなければ通るはずがないレベルに全体的に感じた。
しかし、最終的に彼の目から語らせるのは微妙ではあるが、絵画や裸婦の設定も悪くなかったし、またも主人公視点に魅力は無いが、彼女を見つめる彼の視点には結構魅力があり、ここにも恵まれた彼女との社会的格差を抱えた側の視点が存在するし、「butter」「ナイルパーチの女子会」でも見られるように社会的上位の視点人物の内声は魅力や妥当性に欠けるが、下位の視点人物からのそれの方が厚みがあると言うのは、この作家の可愛らしい部分だし可能性にも感じる。
主人公の家庭環境も、そう描写されるように豊かで良いし、母親のガーデニングが生命と豊を感じさせるし、逆に最終場面で彼が義理の母親に除草剤を勧める場面なんかは、彼側の再生と生命を感じたりもするので、本作のドラマを生んだ彼の弱さ、家庭環境側はもう少し注釈して膨らませてもいい気がしたが、加害者側を描き過ぎになるから仕方ないかも知れず、また扱ったとしても著者の表現力ではまた不足も感じて至らなさを露呈する結果にもなりそうだ、と創作的に若干の不自由を感じるが、そこを描いてこそ突き抜けるのではないかなと思う。
本作もまた、犯罪をモチーフに扱っている割には緊張感や臨場感がなく、あらすじ以上のものは得られないような作品になっているので、2017年に発表された「さらさら流る」から2019年の「マジカルグランマ」を続けて読むと、いかに作者が書き慣れたかが異様に感じられる読書体験になる。その成長性を感じるには必読の一冊にも思える。
2008年 「フォーゲットミー、ノットブルー」で第88回オール讀物新人賞受賞
2010年 終点のあの子
2011年 あまからカルテット
2011年 嘆きの美女
2012年 けむたい後輩
2012年 早稲女、女、男
2012年 私にふさわしいホテル
2013年 王妃の帰還
2013年 ランチのアッコちゃん
2013年 伊藤くん A to E
(直木三十五賞候補)
2014年 その手をにぎりたい
2014年 本屋さんのダイアナ
(直木三十五賞候補)
2014年 ねじまき片想い おもちゃプランナー・宝子の冒険
2014年 3時のアッコちゃん
2015年 ナイルパーチの女子会
(山本周五郎賞受賞、
直木三十五賞候補
2021年ドラマ化)
2016年 幹事のアッコちゃん
2016年 奥様はクレイジーフルーツ
2017年 BUTTER
(直木三十五賞候補)
2017年 さらさら流る
2018年 デートクレンジング
2019年 マジカルグランマ
(直木三十五賞候補)
2021年 らんたん
2022年 ついでにジェントルメン
2023年 オール・ノット
2023年 マリはすてきじゃない魔女
2024年 あいにくあんたのためじゃない
(直木三十五賞候補)
19年の本作から2年後、少し間を空けて発表されている「らんたん」は<「BUTTER」の著者渾身の女子大河小説>と銘打たれていて嫌な予感がするし、天璋院篤姫の名前を借りつつの時代小説のようで、またも大風呂敷を広げた上で何を書いているのかは気になりはするが、著者に珍しい気がする時代小説がすでに5度落ちた直木賞をとりに行ったのかなと穿った見方をしてしまうが、本作を読んだ後だと、もう別にいつ取ってもおかしくないんだろうと思えるほどには上手だと思う。
「マジカルグランマ」以降の作品は未読なので確かなことは言えないが、それ以降もその水準で書いている姿勢と実力があるなら、一応名実ともに大衆文芸の上層の賞であるだろう文学賞もいつ取ってもおかしくないはず、その水準で、扱いたがる社会派や犯罪テーマモチーフをもう少しまともに表現し切ってから発表するハードルと達成感を見誤らなければ、実力はある、人気もある、ならあとは意義をものにするだけだ。価値あるテーマと、価値を冠するレッテル、それらに価値があるかどうかは、書き上げて、生き抜いてみなければわからない。
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