日本の近現代のミステリーの親しまれ方は、図書室のシャーロックホームズだったり、名探偵コナンや金田一少年の事件簿だったりのアニメや漫画による広く浅くであったり、連続ドラマによる刑事物や2時間もののサスペンスやその原作、小説でも東野圭吾や宮部みゆき、大衆的なジャンルとして親しまれてきたから、ミステリーという広い裾野と歓迎のされ方、ただの殺人や刑事物から本格の創作ゲーム性まで、一定の需要と商業性を確保した恵まれたジャンルだろう。
世界的に際立つ作家といえば誰が思いつくだろう、私は抜きん出てアガサ・クリスティが浮かぶ。シャーロック・ホームズと並べても引けを取らないくらいの虚構的に強力な魅力と印象を放つ、実在というかもはや伝説の域。
今回読んだのは東京創元社の「クリスティを読む!」大矢博子。
私が読んだ冊数はそれほど多くなく、デビュー作の「スタイルズ荘の殺人」の文庫が家にあったので読んだら面白く、続けて「オリエント急行の殺人」「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」「ABC殺人事件」「火曜クラブ」「予告殺人」などを読んだのだったと思う。膨大な著作と代表作の多さに、早川書房にてクリスティ文庫という分かりやすい全集が出ていて(2003年刊行)、その一覧から有名な作品を拾っていけたのも読みやすく、整理された著作群がまず初心者にも読書のし易さを与えてくれた。
探偵シリーズ(ポワロ、マープル)などの大枠の中で刊行順に並べてあったので、それを参考にしながら眺め、有名な著作を拾って読んだのだったと思うが、本著を読んでまた何冊か読んでみたいと思った。10代で読んだそれらの文庫は引っ越しや実家に置いてきたり友人に貸したりして、今手元に一冊もないのが惜しまれる。
基本的にはミステリー小説とは私には創作技術のことだし、小説家の仕事だなあと捉えていて、特にクリスティの印象は強い。別に文学的要素やテーマだと言わずして、技巧的な冴えや張り巡らされた作為だけでも知性を感じるし、けれどその中に人間性や理知感が一定以上に入っているところに、ただのテクニカルで終わらない作家性を感じます。長く読まれる理由はしっかりある。
クリスティの名前や、「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」などの題名を死後50年が経過しても知らない人もいないほどであるのに、そうした大ヒット作を生んでなお精力的に書き続けた、その作家性の力強さ。デビューが1920年、出世作の「アクロイド殺し」が1926年、絢爛豪華な「オリエント急行の殺人」が1936年、「そして誰もいなくなった」が1936年、この錚々たる大大大ヒット作の連なりだけでも10年に跨る、クリスティ36〜46歳の仕事。作家としての恐ろしい生命力と志向性に思う。
1890年生まれ、1920年デビュー、1976年、85歳で亡くなっている著者、アガサ・クリスティーほど有名で全年齢に親しまれている作家が他にいるのか、と思う。時代的にも女性の活躍がどうと言われる時代、書籍の中でも同世代のミステリー作家にはほかにも有力な女性作家がいたように書かれているから、世代に恵まれたこともあるのかもしれないが、それにしても50年以上も人気作家として書き続け、70作以上の著作を上梓しているというのは尋常な仕事ぶりでは無いし、死後50年近く経ってもまだまだ読まれている現実が凄い。
こうした書評本みたいなものは読んだことがなかったけれど、一人の作者に絞って著作列を様々な分類や見出しで抽出して語るやり方や、無駄のなく細やかなエピソードを添えながら網羅して行く様は読みやすくて、私のレビューの書き方がいかに独りよがりの前のめりの一直線なのかを思い知ったりもして、適切という言葉がよく似合う一冊。
自分の普段のレビューが内側に向き、誰かが読むにとり適切な浅さと広さで簡易的に書けていたとは思えず、自分が書きたいだけを優先するだけでは、誰かの読みたいに繋がらないのは当然だなと思えたりもした。反省。
分かりやすい全集から有名な作品を拾って読んだ十数年前の前回に対し、今回は本著を読んでまた何冊か読んでみたいと思ったその理由は、本著のわかりやすい手引きに寄るので、気になった作品名とその一説を引用したい。読書の機会をわかりやすく魅力的に広げてくれる可能性、それについて考えた。
『ゼロ時間へ』
とても凝った、そしてよく練られた構成の逸品である。
~つまり本書はプロローグで老法律家の語った、殺人はスタートではなく結果である、という理屈にのっとった構造をもっているのだ。
~言い換えれば、事件が起きたときにはすでにヒントは出揃っているわけで、とてもフェアな謎解きミステリだ。が、もちろん一筋縄ではないかない。大きなものから小さなものまで大量のミスディレクションが仕掛け圧れており、かなりひねってくるのでご注意を。読み終わったあとで、”すべてが集約されるゼロ時間とはどの時点のことを指していたのか、その<すべて>には何が含まれるか”をあらためて考えてみていただきたい。
『鏡は横にひび割れて』
かつて「書斎の死体」で事件の舞台となったゴシントン・ホールが売りに出された。買い取ったのはアメリカ人映画俳優のマリーナ・グレッグだ。マリーナは館を野戦病院舞台の記念パーティに提供し、マスメディアやマリーナのファン、セント・メアリ・ミード村の人々ももてなしを受けた。ところが、マリーナの大ファンであるヘザー・バドコックがカクテルを飲んで死亡する。毒がはいっていたのだ。
~物語の中核をなすのはゴシントン・ホールで起きた毒殺事件であり、マリーナという一人の女性をめぐる出来事の数々だ。それはとても痛ましく、そして悲しいほどに美しい物語である。ここに展開されるミステリとその真相は、ドラマ性という点ではクリスティ全作品の中でもトップクラスだろう。特に謎を残すラストの静謐なことと言ったら!
~本書の冒頭、マープルはすっかり年老いて弱った姿で登場する。古いものが消えるのは寂しい、新しいものに馴染めない。けれど事件を解決する過程でマープルは蘇る。新しい街並みの中で古くからの友人と変わらぬ会話を楽しみ、新たな人間関係をも構築する。時代の変化や老いに対する抵抗と需要が、ここにあるのだ。
なぜ本書がマープルであり、セント・メアリ・ミード村だったのか。それは時代が変わっても人は変わらないということを伝えるためだ。
~戦後イギリスの共同体はどんどん姿を変えていった。けれど人は変わらない。だからマープルなのだ。マープルの、事件の渦中の人を過去の体験や知り合いに当てはめてパターン分類するという推理方法は、人間が時代によって変わってしまったら成立しなくなる。けれどこの事件を説いたのは、ポワロではなくマープルだった。
それは、”時代が変わっても人は変わらない”という何よりの証拠なのである。
『ポケットにライ麦を』
投資信託時会社社長のフォーテスキュー氏が、オフィスで突然倒れ、死亡した。朝食の得意に毒物をとった可能性が高い。また、彼の上着を調べるとポケットに大量のライ麦が見つかった。続いて妻のアデルも毒殺され、さらには小間使いのグラディスまで無残な絞殺死体となって発見される。しかもグラディスの鼻はなぜか洗濯バサミで挟まれていた。
グラディスはかつてセント・メアリ・ミード村でミス・マープルが行儀作法を教えて娘だった。このニュースを知ったマープルは怒りを胸に水松荘を訪れ、警察に協力を申し出る。
~本書のマープルは、静かに激しく怒っている。だが水松荘ではその怒りをいっさい表に出さない。いつもの田舎のおばあちゃんのまま、編み物をしながら容疑者たちの懐に入っていく。そして謎解きをした後、犯人の逮捕を確かめることなく、その後の家族を見届けることもなく、役目は終わったとばかりにマープルは水松荘を去る。
~初期の田舎のおばあちゃんからマープルは徐々に変貌を遂げ、正義の執行者となる。その大きな転換期がこの物語なのである。
『スリーピング・マーダー』
前述したように、出版はクリスティの死後だが、執筆は戦時中だった。自分に万が一のことがあった場合を考え、ポアロの「カーテン」とともにシリーズの最終作として書かれた作品である。
ここまでマープルものを読んできた読者は「ポケットにライ麦を」を境に、彼女が田舎のばあちゃんから正義に執行者へと変貌する様子を見ている。だが、本書に登場するのはまた変貌前のマープルだ。しかも一九六二年に出た「鏡は横にひび割れて」では旧友のハントリー大佐がすでに亡くなっていたり、その夫人がカントリーハウスを手放したりしているのに対し、本書ではそれらも昔の状態に戻っている。回想の殺人により時代性を排したはずが、思わぬところで先祖帰り(?)する結果となった。
だが、これが悪くない。ああ、マープルってこうだった、と懐かしい気持ちになるのである。おせっかいで噂好きの無害なおばあちゃんを装い、料理だの編み物だのの他愛ない世話話の中から情報を集めていく。前に出過ぎず、実はもうすべてわかっているんだけどそれを隠して若者を見守る。ここには『動く指』や『書斎の死体』のマープルがいるのだ。
~『カーテン』がまさにポワロの”最終作”という内容なのに対し、こちらはマープルの(結果として)原点回帰でシリーズが締め括られているのである。
~だが回帰ばかりではない。真相に関わる部分で、はからずもマープルの実質的な最終作『復讐の女神』との類似もここには見て取れる。本書は最終作であるとともに原点回帰であり、そして”過去”と”未来”を結ぶ作品でもあるのだ。
ほぼマープル作品! つまり私は本著から、クリスティ作品の中のマープルものを一貫して読んだ一つの物語についての著者の一考に触れ、魅力を感じたことになる。大型の作品として読んだ代表作「オリエント急行の殺人」や「アクロイド殺し」、デビュー作の産声「スタイルズ荘の殺人」のポワロの系譜ではない、ミス・マープルの系譜、その魅力を本著により感じたことになる。
私は「火曜クラブ」「予告殺人」にてマープル作品を読んでいるようだけど、もう20前後前になるはずなので記憶は一切ないが、本著の中で英国の死刑制度の廃止や、クリスティの悪への考え方等の価値観に触れたりしてからのマープルのこの変貌や進化は、著作に当たらないまま捉えると、天才としてのクリスティよりは創作者全般としての親しみを感じるし、そういう要素もそこかしこに配置されているのも読みどころ。
二度の戦争や時代の経過を肌で感じる探偵たちや作者にとって、英国生まれや英国育ちというのも描かれて語られる中で大きかったようだし、クリスティのプライベートとそれが著作に与えた影響などにも触れつつ、作家の作品一覧と共にその人生や、国と歴史を語る器用さと広さで持ちながら、あくまでミステリー作品の網羅のためにきちんと本格要素で締める当たりもバランスと体裁が良かった。
筆者が特別クリスティが好きなのか、ミステリーが好きなのか、好きで得意なジャンルや作者は誰なのかとかは全くわからないけれど、有名な著者や作品を扱う商業性や需要などを考えれば、本著の企画性は正しいし、読みやすく、網羅的で、作品間のつながりや著炸裂の関連にまで言及し、単一の作品から作者の全体像にまで触れてお勧めするやり方は適切な仕事に感じた。
文章に無駄がなくて、最近はニュースサイトとかでも引用するときに添削してしまう悪癖のある私からしてもそれが発動しなかっただけの密度と、それでいて平坦で分かりやすい語り口は広い読者にたくさんのクリスティ作品を読んでもらいたいという著者の率直な志向を感じる。
たまに文章が若く、堅苦しくもないために著者・大矢さんの紹介部分で2024年現在60歳だし、本著は今年の1月末に出版したばかりなのも確認し、納得もした。
1つの作品を読み、1人の作家を読む。改めてこのように物言えぬ作品、作者が眠るまま古くなり読まれない状況の看過よりも、素晴らしさを掘り起こして語る楽しさや差し込む明るさに導かれる受動的読書は、分かりやすくて価値があるなと思った。総集の分かりやすさ、読みやすさは明るさだ。
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