G-40MCWJEVZR ボラーニョを読む!A Deep Dive into Roberto Bolano: From By Night in Chile to the Labyrinth of 2666『2666』→『チリ夜想曲』 - おひさまの図書館 political novel つまらない・ラテンアメリカ
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ボラーニョを読む!A Deep Dive into Roberto Bolano: From By Night in Chile to the Labyrinth of 2666『2666』→『チリ夜想曲』

World Literature

<English Summary>
 This article reflects on the author’s reading experience of Roberto Bolano, focusing on By Night in Chile and the monumental novel 2666.
 Bolano is often considered one of the most significant Latin American writers after Gabriel Garcia Marquez. However, encountering his work can be disorienting. His narratives frequently move through digressions, fragmented perspectives, and philosophical reflections that challenge conventional storytelling.
 By Night in Chile is narrated by a Catholic priest who reflects on his life while facing death. The novel unfolds as a dense and continuous monologue, without conventional dialogue or paragraph breaks, creating an intense and introspective literary experience.
 Through this reading experience, the article explores the broader landscape of Latin American literature. From Marquez’s magical realism to Bolano’s labyrinthine and experimental narratives, the literary tradition of the region appears vast, complex, and intellectually demanding.
 Ultimately, the article suggests that reading Latin American literature is like entering a vast labyrinth or desert ? an experience that invites readers into the immense diversity and depth of world literature.

 この記事は、ロベルト・ボラーニョの作品、特に『チリ夜想曲』と大作『2666』を中心とした読書体験を振り返るものである。
 ボラーニョは、ガブリエル・ガルシア=マルケス以後のラテンアメリカ文学を代表する重要な作家の一人と見なされている。しかし、その作品に出会うと戸惑うことも少なくない。彼の物語は脱線や断片的な視点、哲学的な思索を織り込みながら進み、従来の小説的語りの枠組みを挑発する。
 『チリ夜想曲』は、死を前にしたカトリックの神父が自らの人生を振り返る独白形式で語られる。会話文や段落の区切りはほとんどなく、濃密で内省的な文学体験を生み出している。
 この読書体験を通して、記事はラテンアメリカ文学全体の広大な風景を探る。マルケスのマジックリアリズムから、ボラーニョの迷宮的で実験的な物語に至るまで、この地域の文学伝統は広大で複雑、そして知的に挑戦的であることが見えてくる。
 最終的に、この記事はラテンアメリカ文学を読むことを「広大な迷宮や砂漠に足を踏み入れる体験」に例えており、読者を世界文学の多様性と深みへと誘う経験であることを示唆している。

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 ピンチョンとあそこまで格闘した私ではあるが、ロベルト・ボラーニョに関しては詩的な文体以外は許容範囲、好意的な感じもする。冗長とポストモダン気味、そして私には価値を見出しづらい詩情性ではあるものの真摯に生きて、書いた気がする印象が個人的には結構好きだが、詩人から小説家への転身の意味では家族を養う収入の必要性や、『2666』の長さについても自分亡きあとの遺族への資金的な問題があったような記述も散見するし、人間味や困窮や勝手が作家や才能にどのように作用し、けれど品位や美的にかかわらないのか、刺激し呼応するのか、結構不思議な感じがする。

 前世紀末以降のチリ文学といえば、急逝したロベルト・ボラ―ニョにばかり注目が集まりがちだが、少なくとも批評界で彼よりはるかに高く評価されているのがカルロス・フランツだ。
〜一九八八年に『サンティアゴ・ゼロ』で「チリ文学の有望株」と目されて以来、フランツは、数年間で八か国語に翻訳されたヒット作『楽園のあった場所』(一九九六年)でスペイン語圏全体に名を轟かせ、アルゼンチンの有力紙『ラ・ナシオン』主催の国際文学賞受賞作となった『砂漠』では、マリオ・バルガス・リョサとカルロス・フエンテスの絶賛を浴びるなど、作品ごとに評価を高めている。最新作『私の目で君自身を見れば』は、フアン・ガブリエル・バスケスの傑作『廃墟の形』を押さえて、二〇一六年度のバルガス・リョサ文学賞(選考は二年ごと)を受賞し、現代ラテンアメリカ文学を代表する国際的作家としての地位を揺るぎないものにした。

100人の作家で知るラテンアメリカ文学ガイドブック  勉誠出版・寺尾隆吉
【図書】100人の作家で知るラテンアメリカ文学ガイドブック  勉誠出版・寺尾隆吉
ラテンアメリカ文学への手引き、二冊目  前回の「ラテンアメリカ文学を旅する58章」が地政学的な情報量を含めた語りだったのと、多様や筆者による群像的な塊であったのに対し、本書は単独筆者によるフィクション批評であり、馴染みがある系統の為にするす...
最も売れたポストモダン小説?『競売ナンバー49の叫び』How to Read Thomas Pynchon’s The Crying of Lot 49: Postmodernism and the Limits of Meaning~ピンチョンとは何だったのか?ポストモダンシリーズ④
<English Summary> This article analyzes Thomas Pynchon’s novel The Crying of Lot 49 and discusses its significance withi...

『2666』という大長編に挫折した20代の私

 イーディス・パールマンの『双眼鏡からの眺め』と同様に、二十歳前後の私が挫折した小説の一つに『2666』という大長編があり、十年以上前なので内容は全く覚えていないのだが、そもそも読み進めていてもこれはいったい何が書いてあるのかがあまり理解できず、筋も追えないし覚えていられないしで大変だったが、今回ラテンアメリカへの回帰として思い出して調べると1100ページもあったらしい。ほとんど異常だ。
 その意味で並べるとピンチョンの『重力の虹』は上下巻752頁ずつで1500にも及ぶので、それでも読み切れた理由は何だったのか、今はもう思い出せないが、やはり当時も私はピンチョンとは長く格闘していたことが分かる……なんて青春……
 このあたりは、ピンチョンを扱った<打倒する惑星の大きさ、人類のための形式する惑星の大きさ、人類のための形式>記事内の「文学史における長大な作品の位置づけ」にも関連します。

打倒する惑星の大きさ、人類のための形式 革新の価値が高いアカデミズムと、確信の価値が高い読者評価/Narrative Responsibility After Postmodernism: Powers, Pynchon, and the Future of Literatureポストモダンシリーズ完結⑤
<English summary> This article explores postmodernism, Thomas Pynchon, and Richard Powers, while also providing a clear ...
言語芸術への敗北と到達『双眼鏡からの眺め』イーディス・パールマン Why Is Binocular Vision Considered a Masterpiece of Modern Short Fiction? Edith Pearlman
本作の翻訳版の初版は二〇一三年五月、私は時期的にその少しあとぐらいまで読書をしていたのかなと思う。当時私が本著を手に取ったのは題名と装丁が素敵だったから程度の選択で、正直に言うとその時の私はこれを読み終えずに図書館に返却した。 本著は三十四...
文学的迷子たちへ
文章を読みたいし、できればそれは夢のようなフィクションだと素敵だ。 一人でも多くの文学的迷子が減り、一冊でも多くの本が読まれ、何より私がその孤独から救われますように。

ガルシア・マルケス亡き後のラテンメリカ文学

 本冊子の解説でも触れられているように、大多数の共通認識としてラテンアメリカ文学におけるガルシア=マルケス以降で名前が挙がる著者としてロベルト・ボラ―ニョの名前はよく聞いて、著作の中でもエンタメ的なイメージのある『野生の探偵たち』(上下巻)に比べ、『2666』はそのページ数だけでなく、構成やテーマモチーフも並々ならないものを感じて手に取ったのに、その作家の覚悟の長編さに、当時の私はまったく歯が立たなかった。
 謎の作家アルチンボルディについての考察、多視点を通して描かれるアメリカと国境を隣するメキシコ北部の街サンタ・テレサで発生した未解決の連続殺人事件、第二次世界大戦の東部戦線で起きたユダヤ人の虐殺、そしてまたサンタ・テレサの連続殺人事件へと回帰していく構成になっている、とのことだがそのあらすじを読んでも、虐殺事件と退廃した街の様子まではおぼろげに思い出せるも、読中は何がなにやらわからなかった。本作の読後感としても同様だ。

『チリ夜想曲』

 本作はセバスティアン・ウルティア=ラクロワという名のカトリックの神父が、死を前にして己の人生を回顧し懺悔する一人称で描かれ、語られることと語られないことを含んだ謎の多い人称により記述されている。私が著者の文章を素直に追って理解できない理由の一つに、そこかしこに飛び火していく思考の突飛と執拗があるし、それを脇道や迷宮に例えたり、堅牢で無駄のないマルケスの作風の緻密さと比較する読みもあるとの解説を読んでも納得したし、私は詩との相性も良くないのでボラ―ニョは詩の人であったということに少し納得したのだが、思考実験の体を持った表現を思わせる文章は、単純な描写や今日的な小説の体裁を持たない。本作も146ページに渡る中篇であるが、改行もかぎ括弧による台詞も存在しない。

 その中で、詩の文体、執拗な脇道、人称の狭さと複数で描き上げる作風、ある意味で政治的かつ切実な現実と隣り合わせで重ねて作り上げる所の作者の世界観的な文芸文学の存在、それらがあるのかなとは思ったが、読了できなかった大長編と本作のみでは判断がつかない所であるから、そういう読者やそれ以前の読者からしても、どのようにこの作品と作者を扱っていいものかの手助けに、本作にも小野正嗣氏と訳者・野谷文昭氏の解説が役立つ。
 直接的な関係はないだろうが、本作の最後の一文にも、一つ前に読んだガルシア=マルケスの『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』の一編目に置かれた「大佐に手紙は来ない」の最後の一文にも、”糞”という単語が秘められており、偶然にしろ面白い幕開けだった。

『百年の孤独』の後に書かれた『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』G・ガルシア・マルケス/Gabriel Garcia Marquez Beyond One Hundred Years of Solitude:The Power of Short Fiction in Innocent Erendira and Other Stories
<English Summary> This article explores Innocent Erendira and Other Stories by Gabriel Garcia Marquez, examining the aut...


 ロベルト・ボラ―ニョは1953~2003年のチリ、ガブリエル・ガルシア=マルケスは1927~2014年のコロンビア、これ以降に作家がいないわけでもラテン文学がないわけでもないし、私が知る拙い範囲の作家が二人というだけで、しかもチリとコロンビアだから本質的には全然違い、日本と韓国位の違いだと思えば、過去と現代のラテン文学の広大さにめまいがする。
 解説にて「長編小説は迷宮であり、短篇小説は砂漠だ」とのフランス人作家パトリック・シャモワゾーの言葉があり、その意味は良くは分からなかったが、広大な砂漠と迷宮の奥深さの永遠をラテンアメリカ文学に感じるし、一つの大陸でさえそれなのだから、世界旅行の無謀さに今さながら怯え始めている。

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子供のころに欲しかった地図「世界文学旅行」
世界文学、という言葉はグローバル社会の今、死語かもしれません。テクノロジーが進化する、1年前、3か月前はどんどん昔になっていくこの時代に、10年前の20年前の作品や技術をありがたがるって、すでにおかしな文化と化しているのかもしれません。  文章や物語は国境や文化、時代を超えられないのか?

ラテンアメリカ文学の独裁者や軍事政権のテーマ
闘う人の運命

 例えばもう一人、マリオ・バルガス=リョサ(ペルー、1936年~)もまたラテンアメリカの高名な著者であると思うが、その著作の中で私が好きな作品として、ドミニカ共和国の独裁者トゥルヒーリョの暗殺計画をモチーフにした『チボの狂宴』(2010年作品社、八重樫克彦・由貴子訳)と、池澤夏樹文学全集で初めて著者の作品を読んだ時の『楽園への道』(2008年河出書房新社、田村さと子訳)は画家ポール・ゴーギャンとその祖母で社会革命家フローラ・トリスタンの物語をモチーフにしていて、虚構性の快活と緻密さのガルシア・マルケスとも詩情性と執拗さで政治性や体制的暴力に対する文学性を貫くロベルト・ボラーニョとの違いは明白だが、似通う部分は感じる。
 多くラテンアメリカはその地政学的に独裁者や軍事政権のテーマや体感が避けられず、例えば欧州でいう所のペンとパンの価値観におけるジャーナリズムのようなものが、南米では暴力と文学の戦いが文芸シーンにあるようなイメージが私にはしていて、それはどちらも現実と知性や真実性との戦いとしては同義だし、つまりは人類的な要素としては同様に思う。故にラテンアメリカ文学は強いし、虚構性の強さが増すし、ある意味で読まれなければ始まらない強さを知っているようにも思う。
 ロベルト・ボラーニョの中編である本作にも、アジェンデ政権に対した1973年9月11日のピノチェト軍政を中心モチーフに据え、荒れながら流れたチリの姿があり、その只中に生きた作家で妻、批評家、秘密警察と地下の尋問部屋、落ちる名声と信頼、不安、見て見ぬ振り、その人、そして文学が香る。

私が愛する文学性と構造上のポストモダン、人類のための形式『囚人のジレンマ』Richard Powers’ The Prisoner’s Dilemma and Thomas Pynchon: Postmodern Fiction and Narrative Ethics~Mario Vargas Llosa ポストモダンシリーズ①
<English Summary>  This article explores the concept of postmodernism in contemporary fiction through an examination of ...

解説者の筆

 全体の構成にも文章表現にも難を感じるし、やはり全体は冗長ながら中盤以降のエピソードの連なりや鮮烈さの語りは魅力的だし悲哀も感じる。好みかと言われたらそうでもないが、中編が読めたのでもう一作読みたい気はする。
 解説を務められた小野正嗣氏の筆があまり乗っていない感じもし、やはりこれは作家の代表作や真価の一冊ではないが、一つの著作列の愛しさと手がかりなのはわかる。

 思い付きと脱線の連続ばかり、というと怒られそうだが、ここのエピソードの論理的なつながりや必然性がよくわからない。その点で、「大統領とか大司教連中とのおつきあいが嬉しくてたまらないのだ」と揶揄していたことからもボラ―ニョがおそらくあまり評価していなかったガブリエル・ガルシア=マルケスの作品とは対照的だ。一九五三年生まれのボラ―ニョらの世代にとっておそらく目の上のたんこぶであり、劣悪コピーにならないためにもその影響力からいかに逃れるかが重大な課題であったと思われるガルシア=マルケス。「マジック・レアリズム」と呼ばれる、奇想天外なことが現実の同一平面上で繰り広げられる手法は彼の代名詞だが、とことん自由奔放な書き方をしているようで、ガルシア=マルケスの小説は細部に至るまで緻密に構築されている。機能重視の建築さながら実は無駄というものが一切ない。すべてが計算し尽くされ、あらゆるエピソードが、いや、すべてが、しかるべきところにぴたりと収まっている。
 (省略)
 文学は不都合なことを見えなくする夜でしかないのだろうか。
 だが、その夜を罪悪感に苛まれる不眠の夜に変えるのもまた文学である。ウルティア神父と彼に対峙する「老いた若者」には、文学の不振と文学への信頼によって引き裂かれるボラ―ニョ自身の二つの側面が投影されているのかもしれない。(省略)
 文学と悪という問題は、ボラ―ニョ作品を貫く問いだった。政治の暴虐に対して、歴史の暴力に対して、沈黙を強いる力に対して、はたして文学には何ができるのか。ウルティア神父なら、首をすくめて黙り込み、見て見ぬふりをするだろう。(省略)だが、「老いた若者」は、それが文学ならば、そんなものはいらないと言うだろう。(省略)「老いた若者」は、ボラ―ニョは、歴史に裏切られ、たとえひとりぼっちになっても、たとえかすかな声であっても「否」と言い、そこからたぶん文学ではない新しい言葉を語りだそうとするにちがいない。

解説 沈黙を眠らせない為の夜想曲  小野正嗣

文学は不都合なことを見えなくする夜でしかないのだろうか。

 解説の一部を頂き、タイトルの夜想曲と文学と人類性の多くを内包する。
 作家単体の文学性や作風、筆致やなしうる作品性まで、途方もないし、長大過ぎる長編を書かれたり、難解すぎる作品を書かれたりして、創作と理解が追い付き並走する邂逅はいつどのように、だれにどこで訪れるのか。その後、ボラ―ニョを追加で読んではいないが、きっといつかまた読みます。

誰かが確信すればそれは文学『都会と犬ども』マリオ・バルガス=リョサ/Mario Vargas Llosa’s The Time of the Hero:Why This Latin American Classic Still Matters
ネット上で散見される攻撃的な困ったちゃんから、何も獲得出来なさそうなチー牛こと弱者男性などのバーチャルから、現実的な愛しいあの人まで、全部ひっくるめた全ての男性への憐憫と慈愛の一考が止まらない一冊!

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子供のころに欲しかった地図「世界文学旅行」
世界文学、という言葉はグローバル社会の今、死語かもしれません。テクノロジーが進化する、1年前、3か月前はどんどん昔になっていくこの時代に、10年前の20年前の作品や技術をありがたがるって、すでにおかしな文化と化しているのかもしれません。  文章や物語は国境や文化、時代を超えられないのか?
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