G-40MCWJEVZR 「神さまを待っている」畑野智美 - おひさまの図書館
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「神さまを待っている」畑野智美

現代国内

 私は著者のデビュー作「国道沿いのファミレス」を読んだことがある。丁寧に書き込まれた作品だなと思ったが、身近の小さな世界過ぎてよくある矮小な女性作家だな、の域を出なかった。今になって思えばあの丁寧な書き込みはやはり魅力と今が詰まっていたのだ。

 ハローワークは、なんだか苦手だ。
 新しい施設だし、照明も明るすぎるくらいなのに、暗く感じる。
 ここに来るのは、ほぼ全員が失業者だ。三十代から四十代の人が多い、就職は無理としか思えないような年配の方もいる。わたしと同じ、二十代半ばの女性は少ない。失業しているということに後ろめたさや気まずさがあるのか、わざとらしいくらいに誰も目を合わそうとしなかった。ソファーに座り、求職の相談や失業保険の手続きの順番を待ちながら、全員が斜め下を向いている、職探し中という立場だからか、お洒落しているような人もいない。夏なのに、くすんだ色の服を着て、疲れた顔をした人ばかりだ。
文房具メーカーの派遣契約期間が終わってから、もうすぐ二か月が経つ。
 今日は、失業保険の二回目の認定日だ。
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 どうしてこんなところにハローワークを建てることにしたのか、同じ通り沿いには人気のセレクトショップやSNSで話題のカフェが並んでいる。まだ午前中だけれど、夏休みだからか十代の子がたくさんいる。休み中限定という感じの金に近いくらい茶色い髪の女の子たちがピンク色のアイスクリームをスマホで撮っていて、さっきまでいた場所とは違う色鮮やかさに、軽いめまいを覚える。
 せっかくだから、どこかで買い物をしてお茶を飲んでゆっくりして生きたけれど、そんなことができるお金はない。
 一人で暮らすアパートの家賃が六万円、食費、光熱費、スマホの通信費、生活するために必要なお金はこれくらいだ。しかし、払わなくてはいけないものが他にたくさんある。六月の半ばに住民税の通知が来た。支払日は年に四回あり、六月末が一回目で、今月末が二回目だ。収入が多かったわけでもないのに、結構長くの請求が来た。銃だつには、アパートの香辛料で家賃一か月半分の額が必要になる。国民年金や国民健康保険、NHKの受信料も払っている。
 何も見ないようにして、駅へ向かう。
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 わたしの周りに映っているのは、大学二年生の秋から住んでいる六畳一間のアパートのキレイとは言えない部屋だ。掃除はしているけれど、小さな押し入れしかなくて、服や本を整理しきれない。六年も住んでいるから、壁紙が薄汚れている。失業保険を貰うようになって位からずっと、面接かハローワークに行く以外は、できるだけ外に出ないようにしていた。電気代が高くなるので、どんなに暑くてもクーラーはつけず、扇風機しか使わないで耐えた。
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 失業保険の受給期間が終わっても、転職先は見つからなかった。
 十月の終わりに、アパートの更新料と十一月分の家賃を払った。住民税の三回目の支払日もあり、貯金がなくなった。
 正社員にこだわっている場合ではない、アルバイトでも派遣でもいいから働かなくてはいけない。そう分かっているのに、面接に行く気力もなかった。部屋の隅で丸まり、連続して届いた不採用通知のことばかり思い出していた。食費を削るために、一日に一食しか食べていなかったので、体力もない、十一月に入り、風邪を引いた。病院に行けず、薬も変えず、何日も眠り続けて治した。CDや漫画や本を売り、洋服や家電も売り、売れるものは全て売って、どうにかしてお金を用意して、十二月分の家賃を払った。
 年末年始の短期のバイトをして、とりあえずお金を稼ごうと思ったが、なぜか面接で落とされた。学生が多そうだったから、求人情報には書いていなくても、年齢制限があったのかもしれない。もう二十六歳になってしまったわたしは、どこにも採用してもらえないのだろう。お金は減るばかりで、スーパーで一番安いお米を買うだけでも、手が震えた。お財布の中のお金を一日中数え続けたところで、増えることはない。
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 管理会社に電話して、アパートの解約の手続きをした。部屋にあるものでもって出られないものや売れないものは、全て捨てた。粗大ごみや大型家電の回収にお金がかかった。しかし、家賃をもう払えなくなったと話したからか、敷金を全額返してもらえることになった。一月には、家賃二か月分の十二万が振り込まれる。そのお金があれば、あと一か月はここに住めると思ったけれど、住むならば、もらえないお金だ。払ったばかりの更新料は、返してもらえなかった。
 卒業旅行でロンドンに行ったときに買った赤いスーツケースに、入れられるだけの洋服や生活用品を詰め込んだ。
 何もなくなる、狭いと感じていた部屋は、意外と広かった。
 部屋を出ると、年越しの準備をする人たちの声が聞こえた。はしゃぐ人たちから逃げるように、歩きつづけた。
 大晦日、わたしはホームレスになった。

  物凄く徐々に、とても自然な流れと思わせる内外のちょうどよい記述で、主人公の水越愛は二十六歳の派遣社員で六万円家賃のワンルームから、ホームレスの漫画喫茶泊まりでもうすぐ二十七歳にまで転がっていく。
 正社員になれる可能性があっても、セクハラを理由に辞退したり、建物や働く人が暗いしここでは働きたくないからと、確かに主人公は何度もチャンスを棒に振った側面もあるし、面接に落ちてもせめてアルバイトだけでも始めて生活費を確保することはできただろうけれど、それもせず、部屋を追い出されてからやっと日雇いのバイトを始めたりする。
 選り好みをした上に生きる力に欠けていたとも、女の働く気持ちの弱さにも思えたりもするけれど、寝床や荷物置き場など最低限の生活基盤も自分で確保できない、他者や世界の力学で落ちるに任せて自分では抗えず親しい誰かに相談もできない、基本的な生きる力の不足を感じてしまう。
 そのなんとなく働き始められない、なんとなくここでは働きたくない、といったなんとなくの感じがリアルと言えばそうなのかもしれないし、そうした微弱な生命力の子もいるのかもしれない、と思いながら読み進める。どんどん生活水準が落ちていくことに慣れていく部分の方がよりリアルだなと感じる。選んでもいいよと差し出された時は断れるのに、どうしようもなく突き付けられて徐々に落ちていくことには逆らわずに従う。

 近寄りがたい美人よりも、まあまあくらいの方が持てるんじゃないかと思う。高校生の時は、バドミントン部の友だちとばかり一緒にいて、恋愛とは程遠い感じだった。けれど、大学一年生の夏休み前に初めて彼氏ができてからは、それなりにもててきた。就活の面接の時以外にも、バイト先でセクハラされたことがあった。文房具メーカーでも他部署の男性社員からセクハラされた。美人でもブスでもないから、声をかけやすいのだろう。
 正社員になれなかったとしても二十代のうちに結婚して、専業主婦になれると考えていた。結婚すれば安心というわけじゃないけれど、生活費を出してもらえるようになる。あと四年の間に結婚相手と巡り合えるとは、とても思えない。転職もできそうにないし、これからどうしたらいいのだろう。
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「愛ちゃんだって、出会い喫茶とは行ってるんだからわかるでしょ?」
「ああそっか」
「そうだよ」
ナギは話しながら、スマホを見て、メッセージを打ち込む。
 出会い喫茶でも「神待ち」という言葉は、聞いたことがある。
 帰る場所のない女の子たちを泊めてくれる男の人たちのことを「神」と呼ぶ。
 文房具メーカーで派遣で働いていた頃にも、ニュース番組の特集で見たことがあった。あの時は他人事でしかなかった、こんな子たちが本当にいるのだろうか、大袈裟じゃないか、と疑う気持ちで見ていた、何年も前に流行った言葉のように感じていたが、SNSや出会い系サイトを見れば、家出したという女の子たちが今でも「神待ち」と書き込んでいる。親切心で何もせずに泊めてくれる人がいないわけではないらしいが、ほとんどの男の人が代償を求める。
「あっ、見つかった」嬉しそうにして、ナギは言う。
「そう」
「そこまで来てるみたいだから、行くね」手を振りながら、軽やかに走り去っていく。
 長い黒髪の揺れる後姿が遠くなっていく。
 その先にいる男の人は、ナギを救ってくれる「神さま」ではない。
 この街にいる女の子たちを救ってくれる「神さま」は、他にいるはずだ。
 でも、そう思ったところで、わたしは何もできない。
 中途半端に手を差し伸べれば、ナギを余計に傷つけることになる。
 中学を卒業して家を出たのならば、彼女も一年くらい、この街にいるのだろう。
 その間、たくさんつらい思いをしたはずだ。
 彼女は彼女の意思で、誰が「神さま」なのか、決めた。
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「ユリちゃん、そのうち死んじゃうと思う」サチさんが言う。
「えっ?」
「みんな、死んじゃうから」
「死んじゃう?」
「三十歳過ぎたら、二十代の頃みたいに稼げなくなって、彼氏にも捨てられて、自殺しちゃう人って多いんだ」
[そうなんですか?」
「だって、愛ちゃんみたいに、OLになろうなんて考えられないもん」
「でも、自殺しなくても……」
「いきてたって、どうしようもなくない? お金もなくて、住むところもなくて、できることも何もないんだよ。ホームレスのおじさんたちみたいに、駅や公園で寝るなんて、女には出来ない。そこまでして、生きてる意味もないでしょ」 

 女性の性別としての価値、性的な生物としての価値について、食事や良質な睡眠やスキンケア用品や被服類、その洗濯の仕方に至るまでの貧困の最中による不十分は、いかに女が身綺麗に心身を保つことの重要性と資金的な必要と目減りする資産的な印象として主人公の全体的な価値観や感情の起伏に寄り添うようにある。結婚をして他者に養われることを希望したり、男性から選ばれれば今から抜け出せるからといった方向と、グレーゾーンの茶飯では稼げても身体を売ることには踏み出せない価値観にも跨り、路上に立って今夜の神さまを待つほかの女性を見て、主人公は絶えず自分とは異なる立場として眺めている。それはその少し前の派遣先の会社の正社員や共に工場労働に励む派遣先での同僚に関しても向けられているが、ある意味でそれが主人公が最後まで捨てなかった自尊心であり、かつ高校と大学からの友人である雨宮が主人公に一目置いていた重要な要素であるようにも思うし、良くも悪くも人を分ける決定的な部分は結局そういう所なのだとも思う。主人公の女性は転がるところまで転がり落ちるのだけど、落ちきるところまで落ちきる判断は自分では決して下さず、他者の暴力によりそこに落ちた時にこぼす涙はやはり大事な自尊心だったし、彼女は最後までそれだけは守って失くさなかった。それすらもただなんとなくの結果だとしてもだ。

 彼女たちが待つ神さまと、神さまを求める心地や、神さまが訪れなかった時の彼女たち。
 ここでも神さまを待つ視点はなんとなく他力本願で、家出少女もホームレスも、今夜の寝床を見つける気軽さと必要で相手の男性を探し、その中でもましな男性と恋人になれば貧困から抜けられるという願望もある中で、生物としての性的な活用を自身の絶対的な価値だと彼女たちは信じて疑うことの出来ない弱く無防備な価値観の中に身を置き、本来的な自分自身の価値を見失っている。男女である前に生きる個人としての個人は、体格や体力的な差はあれど異なりはせず、他者の価値や気分に左右される立場に自分を置くことの不安定さ、自立した自分を頼る心地を手に入れられたら、それは生きる上での一生の安心感を手に入れることに他ならないのだけど、生活や精神の状態からその考えは持てずにいて、つまり希望がない。

 自分は無理だ、と諦める絶望、ある個人が使い物にならないその感じは、人が希望し躍動する、個人の生命的な価値の逆であり、誰しも可能性のある弱さ、一過程であり、克服や経過の可能なもののはずではある。
 役所の人の言っていることの意味が分からないから、自分は頭が悪いから、自分は学歴がないから、人付き合いが苦手だから、男に愛されないから、雑に扱われても仕方ないから、他に何もできないから、親に恵まれなかったから。ある程度に生きられないのであれば今さら挽回も難しいし死んでもいいと自らの心身を軽く考えるふう、それは性的な資本をお金に換える理性を持つ強さも、慎ましくも新たな日々を始めるリスタートの心機一転を持つこともなく、自活的に生きる力、今から生きる再出発の生き方、生命の強さを持たない。

 本作の読み物としての魅力に、失業からのハローワーク通いや失業手当の手続きやその生活、日雇い労働の雰囲気や、漫画喫茶での寝泊まりの様子、今日のパパ活にも繋がるようなご飯やお茶をしてお小遣いをもらう所から身体を自発的に差し出す形態までの女の稼ぎ方、などが非常に軽く記述されていく。どんどん生活が困窮していく主人公の様相が描かれる部分は、どこを切り取ってももう少し厚みにも描けるし、しかしそれをしない所が現代的で現実的な女性の一人称の危機感に優しく寄り添っているようにも思う。派遣労働時代に身についたちょっとしたスキルが自分の少なからずの武器になると感じられて次へ繋がる場面もまた軽やかさがあるのだが、その生きた心地や生きてきた心地の明るさをしっかりと見て取れる。

「母は、未婚で、僕を産みました。二十五年前、日本海沿いの小さな街で、それは差別されることでした。僕は父親が誰かも知らないので、妊娠するまでにも、人には話せない事情があったのだと思います。昼間の仕事にも就けず、母はスナックで働いていました。何年か毎に母の恋人は替わり、うちに来ます。彼らの多くは、僕を鬱陶しがって、暴力をふるいました」
 いきなり深刻な話だと感じたが、聞いておいた方がいいことだ。話の流れでわかった年齢は、どうでもいいことだ。和泉さんは、驚かずに聞いているから、この会社で務める誰もが知っている話なのだろう。
「ぐれることも考えましたが、僕には向いていませんでした。ヤンキーと呼ばれる人たちがいる街だったので、中学生の頃は彼らと遊んでいた時期もあります。けれど、全然楽しくなかった。母は、スナックで働くことがとても辛そうだった。もともと、美大で絵の勉強をしていたんです。友人も少なくて、一人で絵ばかり描いていたようです。水商売に向いているわけではなかったのでしょう。妊娠して、僕が産まれてしまったから、大学を辞めて、苦手な仕事をしなくてはいけなくなった。ほんの数日だけぐれてみて、母のそういう気持ちが少しわかりました」
「はい」
「それでも、家に帰れば母の恋人に殴られるので、僕は友人の家で寝泊まりさせてもらっていました。そこで、友人の兄から、パソコンの使い方を教わったんです。高校に入ってからは、学校のパソコンを使わせてもらい、起業できるように勉強しました。自分だけではなくて、母も一緒に貧困から抜け出すには、これしかないと感じたからです。大学を出ていなければ、高い給料をもらえる会社には就職できません。高卒と大卒の生涯賃金は、何千万円という差があります。それを引っ繰り返せる仕事につかなくてはいけない。奨学金で、大学へ行くことはできたのかもしれませんが、一日でも早くお金を稼げるようになりたかった。高校を卒業して、ネットを通して知り合った友人と立ち上げたのがこの会社です。最初は大変でしたが、やっていけそうだと思ったところで、母が亡くなりました」

 親からの虐待や貧困の連鎖には、家庭内の事情、連れ子や性的倒錯、親の知能や金銭的差異、奨学金やシングルマザー、など様々な要素があり、作中で主人公が出会った女性から考えうる無数の可能性の数だけ不幸があり、それを現実的に全て救済する方法は基本的には存在しない。ただ個人が今も自分を守って必死で生きている上で、そんな個人を憂いて動き、整備する気がある他人がいるかどうかに委ねられる。自分の生活を変えていかなければならない個人と、他人の世界をも変えていく気がある個人や社会があるかどうかの話に尽きる。だから私たちはその発端になる自意識や自我を甘く見積もるべきではない。

 作中の社長はまず自分が生まれをひっくり返す自活から、他者への提供を求めていく発展性を語る。自分を立て直して身近な誰かを助けたいと思えて、手を貸してあげられたり、身近な雇用を創出して社会的貢献を目指したい発展性の中に、経験した者の強さや今後の光が見える。
 本来であれば個人の強さに縋るところ、彼女たち自身が頑張らなければならない部分ももあるが、力を貸すこと、回復まで居場所を用意してあげること、見守ること、そんな温かさはあってもいいし、作中で主人公はそれに助けられる。それは人生は自分が生きるものだけれど、世界は誰かと生きている場所なことにも似る。蹴落とされることもあれば、手を差し伸べてもらえることもある、その幸不幸の混在が現実であり、絶望だけを見て希望を捨てることの必要も理由も存在しない。

 絶望に甘んじずに生きていく強い姿勢は、人生や自分を諦めて捨ててしまう絶望の対比としての希望であり、個人の経験と知識の憧憬であり、人が生きることの真理だと個人的には思う。
 ここから少しでも良く生きる、希望や発展性が私は好きだ。
 その生きる力は神さま待ちの他力とも違う、キラキラもしていない尊さで、ただ自分が地道に生きる力強さしかない。けれどそれだけが人間性だとも思う。欲望や条件や誰かの責任にもしない、自分の生き方の話だ。
 個人が生きる、境遇や教育と交流がある。そこに平等もなければ運命で片づけることしかできないけれど、人一人が生きていく人生がある限り、それはなるべく自立を想定するべきだ。どうしようもない一人が一人で苦しんで、絶望しては諦めて、その子供がまた絶望しながら生きる、そんな人生に希望がないように、それに甘んじて良しとする社会にも希望はなくて価値もない。

 三百頁、一気に読んだ。
 主人公は最後まで自分で自分を助けたとは言えないし、ご都合主義だとも言える展開ではあるけれども、これからを見据えるところにまで誰かの手によって回復したこと、そして見つめる明日があることがすでに希望だ。自分を活かすため、誰かを活かすため、それと決めた時に生まれる胸の内の強さが、まず個人が世界に生きる上で最初に手に入れるべき希望だ。
 題材を扱おうとするのは作家の姿勢だし、そこにテーマを見出すのは才能で、それを書き上げる誠意や努力を私は支持する。

コメント

  1. ロック より:

    「神さまを待っている」の読後感想

    おひさまブックス二冊目は、なるべく肩肘張らず読みやすいものをと思い、この本を選んだ。

    冒頭からエッセイの様な身軽な文章で、派遣社員として働く会社での日常が描写される。
    主人公の愛は、基本的に不器用で他責思考の持ち主の為、愚痴のような心情描写が多い。

    僕は作品の登場人物に没入して物語に入り込む読書スタイルなのだけど、この愛という主人公には入り込めなかった。
    その原因は性別とか立場の違いではなくて、人間的にけして好きじゃないタイプの女性だから。
    容量が悪く、思考は後ろ向きですぐに環境や誰かのせいにする他責思考。女性としてのプライドは保ちたいのだけど、だからと言ってその他を犠牲にする強さもない。貞操感はあれど、それも徐々ににブレて来ている弱さもある。

    一方で登場人物の中で一番共感&没入できるのが幼なじみの雨宮君。
    こんなに自分がしっかりとしていたという意味ではないけど、愛曰く「メンタル的に問題のありそうな女の子をほっとけなくて、彼女として付き合うけど結局また問題行動を起こして彼女に傷つけられて別れる。」という恋愛経験が耳が痛いほど似てます💧

    愛に共感はしないとは言え、あぁ、こういう子はよくいるよね。という親近感は湧く。

    若い女性というものは、その若さが長くないこともその魅力が武器となることも自覚しているように思う。
    良くも悪くも、それもこの作品の主題の一つだと思う。それもひとつの現実である。

    「性と貧困」というリアルには語りにくい問題を、あくまでも主人公の体験として少しずつ堕ちていく実感とともに自然にリアルな現実として描いていくことが、作者が伝えたかったことなんだと思う。

    愛の人生は最終的には希望を見出せる方向には進めたけど、やっぱり自分で状況を打破したとは言えず誰かに救われてやっと動き出せるという状況。
    「神さまをまっている」というタイトルがそれをストレートに表している。

    読後感は悪くないのだけど、歯痒さも残ったというのが正直な感想。

    個人的に衝撃だったのはこの本の初版が2018年のものであると言うこと。執筆時期はさらに遡るだろうけど、その後のコロナショックや日本経済の低迷、若年層の貧困率の増加でこの作品の問題はさらに顕著にぐっと身近になったと思う。

    望まぬ生活を強いられる若者が、いつか救われる社会になって欲しいと切に願う。

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