物語の未来への異なる答え、世界を知りえない時代の語りの戦略。終末的世界観と希望的連環、陰謀と憧憬、ポストモダンが破壊した語りをどう再生するのか、小説に世界を変える力はあるか?ポストモダンの金字塔とポストポストモダン的作家の作品を読み比べながら、21世紀の物語の語り得る世界を探る。
今回はパワーズを元に彼が脱却しようとした初期のポストモダンという作風と、それを起こしたピンチョンという文学的な巨大作家について。
小説に世界を変える力はあるか?
前回『オーバーストーリー』を読んで、虚構創作や構造表現の不足を感じたが、その主題や人文が取り戻す語りの試みによるテーマ体現などは見て取れた。進展は脱却や確信を目指す故であり、つまり彼の初期がポストモダン作家であり(時代の主流)、どのようなポストモダンから次のポスト・ポストモダをめざすのかをしることが手掛かりになるのではないかと思う。
近現代アメリカにける文学潮流におけるポストモダンや、その形式と主題不在による非人文性などに対する私の所感などに触れたので、そこを参照してもらえたらと思う。

<ピンチョン以後のポスト・ポストモダン>
ポスト・ピンチョンとは、アメリカ現代文学におけるトマス・ピンチョンの知的・構造的な革新や主題(科学・歴史・政治の絡み合い、過剰な情報量、アイロニー)を受け継ぎながら、アイロニーや冷笑ではなく、以後の時代に特有の問題意識や文体で作品を生み出す作家たちを指して使われる批評用語かつ、感情・倫理・人間の回復へと歩む作家を指す。リチャード・パワーズは科学と人文学を架橋する構想力と、ポストモダンの限界を越えた倫理的主題によってまさにその代表的存在として語られ、ピンチョン以後のアメリカ文学を象徴する作家とみなされている、とのこと。
1980年代以降、ポストモダンのアイロニーや断片性に対する反動として、より倫理的責任(例えば環境、AI、遺伝子技術)や人間関係の回復(家族、共感、死別)を描く方向に移行した作家が登場した、これがポスト・ピンチョンとしての文脈であり、なぜパワーズがそう呼ばれるのかの類似点としては、百科全書的知性としてパワーズは音楽理論、分子遺伝学、人工知能などあらゆる分野を物語に組み込む。巨大なシステムvs個人というテーマ性としても、『囚人のジレンマ』では冷戦期の国家装置と家族、『オーバーストーリー』では自然と人間社会の衝突を描きます。
構造的複雑さとしての、複数視点、時間軸の交錯、実在と虚構の融合を作風としている点も共通。
倫理的感情的な核として、パワーズの物語は知性だけでなく感情と倫理に深く訴えかける点が異なっており、特に近年の作ではつながりや共感が核になり、このあたりはピンチョンとの相違がみられる。ピンチョンがアイロニーと不条理に沈むのに対し、パワーズはしばしば救済や回復の可能性を示し、シニシズムへの希望が見られる点も違いに数えられる。
悲観からの転換や進展があったこと、不条理や悲観に沈んで浮かび上がらない自身の放置や不自由から、救済や回復の可能性を示す人類性が好きなのだし、そうした風潮からの脱出や卒業として文芸文学を次へ進めようと、初期自作品や作風からの逸脱や卒業があるところが、すでに作家性としての勝利だし、それが人類性にも関わる。
実際の批評・言及
□ジョナサン・フランゼン(作家)“Powers is the rare novelist who can write a narrative as intellectually expansive as Pynchon’s, but with actual emotional stakes.”(パワーズは、ピンチョンと同じくらい知的に広がる物語を書きながら、実際に感情の賭け金がある稀な小説家だ)
□ジェイムズ・ウッド(批評家)“Post-Pynchon, post-postmodernist: Powers’s fiction is loaded with system theory and scientific ideas, but its real interest is moral complexity.”(ポスト・ピンチョン的、ポスト・ポストモダン的なパワーズの小説は、システム理論や科学思想に満ちているが、本当の関心は道徳的な複雑性にある)
□ハロルド・ブルーム
パワーズをピンチョンの系譜にある「知の巨人」として紹介しながらも、「人間的情念と技術理論を橋渡しする作家」として位置づけています。
文学運動の流れと転換
「モダン→ポストモダン→ポスト・ポストモダン」
【モダニズム】
「内面化された自我」混沌だが探求可能
複雑・難解<高尚な芸術>
【ポストモダン】
「解体された主体」 シミュレーション的・相対的
パロディ・断片・自己言及<不確定性・遊戯>
【ポスト・ポストモダン】
「関係性の中の自己」部分的真理と倫理の再構築
物語の再帰・感情的誠実さ<共感・責任・救済可能性>
ピンチョンは、代表作『重力の虹』(Gravity's Rainbow, 1973)で知られるポストモダン文学の巨匠であり、彼の小説が持つ特徴は、
・歴史・科学・政治などの分野が交錯する「百科全書的」知性
・パロディ・陰謀論・断片的語りなどによる脱構築的スタイル
・個人が巨大なシステムに絡め取られるという主題
その中から文学的核心を抜き出すとすれば、
・過剰な情報・引用・断片化(百科事典的)
・因果律の撹乱と陰謀論的構造
・歴史とフィクションの溶解
・アイロニーとパロディ
・個人の行為と意味の崩壊
デイヴィッド・フォスター・ウォレスは「全ての現代作家が通過すべき惑星」と語った。
<改めてパワーズの著作略歴を確認>


ピンチョンの破壊した物語と、
パワーズが創造しようとした物語
ポストモダン文学とその後の倫理的転回との比較するためにリチャード・パワーズ『オーバーストーリー』(2018)とトマス・ピンチョン『重力の虹』(1973)を読み比べる批評的試みとしてならべてみる。この2作は、複数視点の群像構成や科学・テクノロジー・歴史の交錯という構造的共通点を持ちつつも、主題と志向が大きく異なります。
→このあたりの、構造的共通点と主題や志向の相違点については、、ポストモダンに対するバルガスリョサという視点で以前触れましたが、今回はより具体的な比較ということになります。

1」基本情報と文学的位置づけ
項目『オーバーストーリー』/『重力の虹』
著者 リチャード・パワーズ/トマス・ピンチョン
刊行 2018年/1973年
流派 ポスト・ポストモダン、エコクリティシズム/ポストモダン文学の金字塔
視点 植物の時間、人間以後の視点/技術・権力・偶然の網目の中の人間
主題 (オ)木々と人間の関係、自然の倫理、環境破壊への応答
(重)戦争、科学、権力構造、主体の崩壊、偶然と陰謀
文体 (オ)明晰・抒情的、科学と詩の融合
(重)難解・断片的、諧謔と混沌、超文芸的実験性
2」構成と内部構造の比較
『オーバーストーリー』の構成(樹木の成長に倣った章立て)
Roots(根) :人物のバックグラウンド(過去)
Trunk(幹) :登場人物たちが自然を通じて交差
Crown(樹冠):思想や行動が高まり、共振
Seeds(種子):残されたもの/未来へ向けた継承
時間の縦軸(植物の時間)と水平の群像が一体化していく構造語りは、直線的でありながら同心円的な構造を持ち、主題が「成長」や「関係性」として可視化される。
『重力の虹』の構成(断片と陰謀が錯綜する超複雑構造)
大きく4部に分かれ、700人以上の登場人物が錯綜。
主人公スロースロップを軸に、V2ロケットの着弾予測と性的興奮の因果関係を追う。
カルト、スパイ、神話、パロディ、SF、官能、言語実験が渾然一体。
構造はフラクタルで、中心の不在(主人公がどんどん崩れていく)につき、読者は秩序を求めるが、それ自体が幻想と暴かれる構造
3」主題と倫理性の相違
観点『オーバーストーリー』/『重力の虹』
倫理的姿勢 自然と非人間的他者への倫理的責任を問う
人間と制度の不条理・構造的暴力へのアイロニー
人間観 人間は一部であり、植物が主役たりうる
人間は崩壊し、偶然と権力に翻弄される
時間観 植物的時間(スローな成長・持続)
歴史的時間(破壊・断絶・循環)
世界観 関係性と再生可能性の提示
カオスと統制のパロディ的再生産
4」批評的相対化の視点
①ポストモダンからの倫理的転回としての相対化
ピンチョンはモダン批判としてポストモダンの描いたので不信・断片・アイロニーを基調としている。パワーズはそこを出発点とし、語る責任・共生する物語へと再接続を試みた。『重力の虹』が物語を壊したあと、『オーバーストーリー』が物語を再構築しようとしていて、否定性への否定性=希望性に映る。
②語りの構造としての対比
ピンチョンは語りを分裂させ、読む者を翻弄しながら意味の不在を暴露(物語ること・中心の否定
)。パワーズは語りを接続し、読む者に物語が倫理的に機能することを説く(物語ることと受け取ることの価値化)、これは批評的に見ると、断絶の美学と連環の意思という対照が見える。
③科学の扱いの差異
両者とも科学を扱うが、ピンチョンは科学を「権力のツール/不確定性の象徴」として、パワーズは科学を「知の謙虚さ/自然理解の手段」として扱う。
→ 科学を通じて語る世界像が倫理的に逆方向
④それぞれの文学的価値の位置付け
『重力の虹』
ポストモダン文学の到達点/語りの可能性の拡張/現代知の脱構築。歴史・権力・メディアに対する鋭い批評性と構造批判
『オーバーストーリー』
ポストヒューマン的感性の物語化/自然と他者の視点の文学的統合。倫理・叙述・読者へのアプローチの刷新(脱シニシズム)
たとえば『重力の虹』(1973)では、第二次大戦末期のV2ロケットをめぐるストーリーのなかに、科学・宗教・性・政治がカオティックに交錯し、「物語とは何か」が根底から揺さぶられるような構造になっているとのことで、ピンチョンが目指す物語世界は物語そのものの不確かさを暴くことと、知的・社会的ノイズの中で人間がどこまで抵抗できるのか、という文学的実験であり、ピンチョンの文学性は、諧謔と知性をもって、世界の構造的暴力や偶然性に対峙する試みとも言える。(私個人の読書感想は20歳前後に読んだ記憶のみで曖昧ではある)
パワーズ(Richard Powers)もまた、初期作品においてはポストモダンの系譜に位置づけられる。
たぺば『舞踏会へ向かう三人の農夫』(1985)では1枚の写真から時代を横断する語りが広がり、物語の多層性・複雑性が強調される。『囚人のジレンマ』(1988)では核戦争・ゲーム理論・芸術・政治の交差を描きながら、歴史の虚構化と個人の倫理的選択が問題になる。
ここでのパワーズは、知の構造そのものを問いながら、人間が情報の洪水のなかでどう生きるかを描こうとしています。これはポストモダン的な知の解体への共振であり、同時にそこから倫理を再興しようとする試みでもある。
一方、2000年代以降のパワーズは、ポスト・ポストモダン文学として位置づけられることがある。
皮肉ではなく倫理へ(Irony fatigue → Ethical turn)、断片化よりもつながり、自己言及よりも世界関与、不確実性の中での選択と責任等の要素は、ポストモダン的作品には見られない特徴であり、彼が初期から展開していることがわかる。
『オーバーストーリー』では、人間を超えた存在=樹木に焦点を当てることで、人間中心主義を解体しつつ、物語が「生態系の一部」としていかに語られうるかを提示する。物語が再び世界との倫理的つながりを担いはじめており、ポストモダン的に意味が解体されたあと、パワーズはそれでも物語を語ることの倫理と希望を探っている、と言える。
ピンチョンは物語の構築がいかに信頼できないかを示し、そこにこそ抵抗の詩学を見出したが、パワーズは構築の不安を通過したうえで、語り直すこと=再物語化の倫理を模索している。
ピンチョンとパワーズ:交差と断絶
ピンチョン /パワーズ初期/パワーズ近年
主体性/解体・消失 /問い直し /再構築(エコ・倫理的)
物語 /アイロニーと陰謀/多層性と歴史性/倫理とつながり
語り口/断片・感情・混沌/分析的・知的 /叙情的・関与的
関心領域/テクノロジー・権力・偶然性/科学と人文学の融合/自然・共同体・生態系
21世紀におけるポストモダンの乗り越え方と物語の倫理性
ポストポストモダンとは、ポストモダンのアイロニーや虚構性、相対主義を「脱構築し尽くした後」に現れる、新しい時代の文学潮流。明確な一語で言い表せないが、以下のような動向が見られる。
倫理的な関与:現実世界の問題(環境、差別、歴史、ケア)に対し、誠実な語りで介入する。
物語の責任性:物語の機能を再定義し、倫理的かつ構造的に人間的意義を再構築しようとする。
形式の再調和:実験性は維持しつつも、読者との信頼関係や意味的重みを大切にする。
・遅効性と深層主義:アイロニカルな即時性より、中長期的な知的・感情的内圧を重視。
歴史的転換点
・9.11テロ(2001)
・気候危機・経済格差の可視化(2010年代以降)
・SNSによる表層性の加速(2010s-)
・パンデミックとAIの登場(2020s)
これらを受け、「ポストモダンのゲーム性」では現実の深刻さに応えられないという反省から、「物語に責任を持つ」潮流が台頭。
2. 代表作家と作風・貢献(倫理的物語の書き手たち
❶ リチャード・パワーズ(中心的人物)
代表作:『オーバーストーリー』『The Echo Maker』『The Time of Our Singing』『Bewilderment』
特徴:科学(神経学・進化論・植物学)と人文学(音楽・歴史・家族)を架橋。人間中心主義を脱構築し(ポストヒューマン)、地球的倫理へ向かう(エコ・クリティシズム)。語りにおいて知と共感の統合を目指す。
貢献:植物の権利や気候正義の問題を文学で可視化。
認知神経科学を物語と融合し、共感の根拠に迫る。
AI以後の人間性への構造的問
❷ ゲオルグ・レーヴィット(David Foster Wallace の影響者)
形式と倫理の統合、後期ポストモダンに内在した「絶望とアイロニー」を越える構造
❸ オーシャン・ヴオン(Ocean Vuong)
傷と記憶の詩的物語:個人的体験を普遍的な倫理に昇華
❹ ジェニファー・イーガン(Jennifer Egan)
『ある一日の終わりに』など:ポストモダンの形式実験と人間関係の真摯な描写を両立
❺ テッド・チャン(Ted Chiang)
SFにおける倫理的時間性、言語と思考の関係性、選択と因果の再定義
3. ポストモダン(特にピンチョン)への応答と越境
観点 /ポストモダン(ピンチョン)
ポスト・ポストモダン(パワーズら)
世界観 陰謀論的カオス、真実の不在
意味の回復、人類と環境の倫理的関係
語り 多声的・断片的・脱中心化
全体的視野と共感可能な構造
主題 テクノロジー=不安、疎外
テクノロジー=関係再構築の契機
読者関係 疎外・挑発・遊戯性
包摂・対話・信頼性の回復
4.否定性/批評的応答
・アイロニーの無力さに対するカウンター
・ポストモダンの「形式は問いを立てるだけ」スタンスに対し、ポストポストモダンの「問いの先へ踏み出す」文学
4. アカデミズム・一般読者・商業性の3観点での評価と成果
【アカデミズム】
・批評理論において「新倫理主義文学」(new ethical fiction)の主要例とされる
・パワーズは特に「ナラトロジーと神経科学の統合」において前衛的位置
・E.O. Wilson, Donna Haraway らの思想と共鳴
【一般読者】
・『オーバーストーリー』はグッドリーズ読者投票で「最も人生を変えた本」にランクイン
・感情的訴求力の高さと、環境意識の高まりに共鳴
【商業的成功】
・『オーバーストーリー』:ピューリッツァー最終候補、リース・ウィザースプーンの映画化プロジェクト『Bewilderment』:オバマの年間ベストブック、全米ベストセラー
ポストモダンのあとの文学は、どこへ行くのか?
ポストモダンの言語的暴走と秩序の断念、その暴走から倫理と関係性の構築へ向かうポストポストモダンの核心としては、「世界は壊れているが、語ることで再び関われる、関わるべきだ=語れなくなるし・人間性が活きてはいけなくなる危機感=否定性へ」。
世界を、説明するのではなく関わる力を与えることが物語には出来るのか、を模索する姿勢のことであり、ポストポストモダン文学は、まだ未来へ向かう意思に留まっている印象であり、それも含め全て通過点と結果。
ピンチョンはポストモダンの到達点において、不確実な世界でいかに知的に生きるか、の孤独を問うことが否定に繋がった。パワーズは、その知の不確かさを受け止めたうえで、それでも語る・それでも関与する人間性の回復に向かう。ポスト・ポストモダン的な文学は、皮肉ではなく共感を、知の戯れではなく持続的な倫理を、断片ではなく相互関係を目指す地点にあり、ピンチョンが語りの崩壊を詩的に描いたのに対し、パワーズは語りの再建を生態系的に描く、その違いこそ、現代文学の転回点を象徴しているとのこと。
ここの転換は、彼自身であるというよりは、そうした文芸文学界の潮流、それを生み出す政治情勢、特に近現代のアメリカにおける社会情勢であるところの祈りに基づくと思われるのと同時に、業界潮流としての創造の後の破壊がスタンダードになる時期と、破壊の後の創造がニーズになる域との半反復に過ぎないとも思えるが、一人の作家がそれを行える幅と強さを評価する。
時代は常に否定性の繰り返しでありそれが人類的な進展性であって、現状の打破の繰り返しによるその筆致が価値であることは言うまでもなく、その部分が文学性であるともいえる。
虚構創作や人文学は人類社会の憧憬だから、時代と共にある。形式のためのポストモダンは、物語のための物語だった近代モダンへのカウンターだけど、人類社会が直面するあらゆる出来事により、
「形式のための物語」「物語のための物語」を経て、今やっと「人類のための物語」になってきた感。それが21世紀今後の文学、私の文学性の主題性であると確信。ただ、まだ未熟。
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