<English Summar>
This article examines The Testaments by Margaret Atwood and reflects on how the novel expands the world first introduced in The Handmaid’s Tale, one of the most influential works of modern dystopian fiction.
The essay explores how Atwood portrays women of different generations―from young girls to older figures of authority―revealing the complexity of life within a dystopian society. Through these multiple perspectives, The Testaments broadens the narrative scope beyond the limited viewpoint of the earlier novel and deepens the political and social dimensions of Atwood’s fictional world.
Drawing on personal reading impressions and literary criticism, the article considers the thematic ambitions of Margaret Atwood’s fiction, including questions of power, social control, and female agency. It also reflects on Atwood’s remarkable longevity as a writer who continues to engage with major themes in dystopian fiction even in her later years.
この記事は、マーガレット・アトウッドの小説『誓願(The Testaments)』を取り上げ、『侍女の物語(The Handmaid’s Tale)』で初めて提示された世界がどのように拡張されているのかを考察する。『侍女の物語』は、現代のディストピア文学を代表する作品の一つとして広く知られている。
本稿では、少女から権力を持つ年長の女性まで、異なる世代の女性たちがどのように描かれているのかを分析し、ディストピア社会の中での生活の複雑さを明らかにする。こうした複数の視点によって、『誓願』は前作の限定された語りの視点を越え、アトウッドが描く世界の政治的・社会的側面をより深く掘り下げている。
さらに、個人的な読書体験と文学評論の視点を交えながら、権力、社会統制、女性の主体性といったテーマを中心に、アトウッド作品の思想的な広がりを考察する。そして、晩年に至ってもディストピア文学の重要なテーマに挑み続ける作家としてのアトウッドの力についても論じている。
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『侍女の物語』『誓願』『老いぼれを燃やせ』(以下・アンソロジー所収)と読んできて、私はこの作家が好きだと思ったし、その理由はテーマ着眼とその創作性、そして向上性と成長がある。小説家の技術は文章と創作技術だと思うが、才能で言うとテーマ着眼は外せないと思うし、著者はその点で物凄く優れているように感じる。けれどプロットの扱いが上手いし軽やかに書きすぎるので、商業や大衆性にも好かれるがゆえに若干軽薄に思えるきらいがありすぎるのかなとは思った。ここは良し悪しだろうし、功績は間違いないだろうが、けれど私が今回読むきっかけに恵まれたことは書店のノーベル文学賞特設コーナーによる運だったので、間違いなく多くの読者にも読まれて行ってほしいと願いながら本項を書くことを決めたし、受賞も適って欲しかった。

1985年の『侍女の物語』を経て、2019年に続編で蘇る

『侍女の物語』では生殖期とも呼ばれるような、妊娠可能年齢やその身体を持った女性が割り当てられる立場に不当に管理された一人の女性を視点人物にしていたので、その視界や視野は狭く、暗い側面があったが、『誓願』では三者三様の視点人物を持ってして、ギレデアの内外や高低の立場の違いからその世界観を描き出していく。
まずは、正妻になる高位の娘たちの養成学校に通う、司令官の家に生まれたアグネス。女性の中では最優遇と思われる彼女たちですら、初潮が来てすぐに成婚へ持ち込まれ、本人の意思は半ば無関係な幼児婚が描かれ、さらに上の立場の男性やその家に献上されていく。幼い彼女たちへの性的ないたずらをする歯医者、それ自体やその外聞に悩まされる小さな心。そんな娘時代を自分も経験してなお、自分の子供ではないからこそ新たに幼い子に強いる継母。
ここに、継母、代理母出産の設定が活きてくる。代理母出産というテーマは前作の『侍女の物語』でも鮮明に描かれたが、本作では、育ての親と生みの親のどちらが本当で愛なのかという思案やすれ違いを持つが、正妻と侍女、実母と継母など、立場と内情が異なる女性模様を用いて、その不和を描き出すところに、女性の社会性や感情と、この作家の巧さが見えてくる。
前作では女性の立場や年齢による色分けと小母の政治性の上手さに現れていたが、本作でも女性の絶妙な対関係を描くために用いたさまざまな設定が活きてくる。
本作アグネスの育ての母は勿論愛だが、実の母親から引き離された我が子の悲しみは残り、継母との関わりは滅法弱い。このように立場の違いや実利を隔てりとして描き、差別や敵対として特色や事情を描くことこそが分断を引き起こしていて非常にうまい。
本作の最も印象的な場面で、ある二人の娘同士の絆が奇跡的に描かれる。ここは後のもう1人の視点人物、デイジーと重なる部分なので後述にゆずるが、前作からの繋がりや創作的な飽和性と共に、次世代の希望や明るさまで繋げて光にしてしまうのは優れた作家性だなと感じざるを得ず。友人同士、隣人や尊い学友についても同様だ。逆を言えば、前作から引き続き登場する、ギレデアの監視体制側である小母の中でも最上位のリディア小母の視点から描かれる小母たちの権力争いの政治性は、それら友人や学友との絆の対比とも言えるし、その幼い青さの中にも既に勢力争いや特権への芽生えが描かれる点も注目だ。
幼児婚がはびこる特権男性の世界、
”Nolite te bastardes carborundorum”
うら若き花嫁養成期のアグネスの章が目立つのは、テーマ性に関しても最も高いことが挙げられる。
幼い嫁を娶り、飽きては暗殺を繰り返す最高位の司令官も特徴的だし、それら高役職者の好き勝手にしてきた汚職の温床を仄めかすし、確立された体制にのさばる悪意を感じさせるように描く、ここは3人目の視点人物であるリディア小母の章で描かれるべき片鱗が、幼い少女アグネスにも感じられ始めるこの世の悪であり、幼稚な娘時代には察知に収まる部分。
と同時に、正妻すら産む機械に過ぎない管理体制、そしてその割り当ては同時に欲望の取り換えに過ぎないことの表現にもなり、高齢な男性からの高い頻度で登場する不完全児(アンベイビー)や、高位な男性に割り当てていくやり方は優生志向で出生率に与するとはあり思えない方法が示す、男性性に対しても年齢やカーストによる弊害も伺える。
児童成婚、人身売買などについての文化や現状を描いた映画「存在のない子供たち」(2018)

本作では侍女は中心人物ではなくなっているので、望まない相手に割り振られた生殖可能時期のモチーフ単独であった前作のクラシカルな魅力と矮小さが際立ち、本作のスケールと全体感が増している。ここの描き方、34年を経てのスケールアップも非常に上手く、両作品はテーマ提言の強さも、そのプロットの躍動感も全く違うが、その中で前作主人公のオブフレッドのその後をほのめかす供述を入れるのは月並みだが大円満だし、その部分とギレデア共和国という架空のフェミニズム・ディストピアのモチーフと付随する登場人物のみを関連させるだけに留めて、全く異なる切り口と後味の作品にしてあることによりそれぞれの利点と魅力を好対照に示すに至っている点が高評価だし、それは事実テーマ体現にも役立っている。
ナンバリングはされていないが、続編であり、単独で読めなくもないが、正しく上梓順で2冊読むと、そのモチーフ世界観や作家観の魅力が厚みを増すし、前作を読んだ直後には古めかしく残念に思えた要素も、テーマと虚構性による特化であり、著者の限界値はまだまだ遥か高いのだと感じさせてくれる読書が後編にある。
前作にて、侍女や少女たちを管理監視する指導的立場に同性女性を置くという体制側の政治的手腕が冴えていたのを使い、今作ではリディア小母の章が展開されていく。
ギレデア共和国発足に至るクーデター初期に巻き込まれた彼女たちが、生死を問われた立場に迫害された過去と、体制に忠誠を誓って潜り抜けた先に今の地位を得たからこそ、改めて復讐を可能にする境遇に登り得た意思と算段の歴史を垣間見ることが出来る。新たな時代の少女や平民に対してその権力を笠に着る小母の存在と闘争を含め、リディア小母の立場だからこそ描けたこととも思う。
ただ、具体的な政治的部分が弱く、更なる強固なギレデア観も構築披露できたし、いくらでも一般社会性が持たせられたはすが、本作の中核は基本的にアグネスの幼児婚に集約されており、リディア小母による新テーマモチーフは弱い。その一端が、温床となった政治腐敗の特権男性の黒さが描かれていない所にあるし、小母同士の政治性も具体は描かれず、ちょっとした精神戦に終わっているところも、何を描きたかったのかが消化不良に感じる。
全体的な彼女たちの復讐としての、最初は選ぶしかなかった服従、それにより虐げてきたクラシカルな女性たちの苦しみを経てやっと崩壊させることが出来る、今作において幼い少女たちの駆け込み寺たる存在にすらなった立場からの一大プロジェクトは、果てしない死力であり、本作は彼女の物語と言っていい。
幼きアグネスが、結婚という人身売買の真っ只中において感じた管理体制や我が身の不遇から感じるところの大人世界の悪意を、リディア小母の章では徹底的に描けたはずが、この部分が若干弱い、ここの伸びがあれば抜群の作り上げになったのにと思うばかり。どんな実存社会のいかな転覆性を出すためにも具体的に描くべきの、そしてそれを描くためのその体制に虐げられて来た彼女たちの視点だからこそ描けた実情を、現状は政治の外側にいた女の外側からの告発に留まっているように思う。
あとがきにて、言葉を使えない雄弁性を持たない者は政治的な役割を担えない、のように、言葉は大きなモチーフになる。前作では書けないから音声テープ、本作では読み書きできる立場だから手記、という明確な変化を持たせながら、どちらも声をモチーフにしていることは揺るぎないし、それを少女たちから奪って不必要だと閉じ込める前時代的な少女教育と、それらの伝達により物語や情報がもたらされ、意思判断が行われる部分はやはりテーマであり、そのモチーフとしての本作や物語があることも揺るぎない。物書きや伝達をモチーフにした創作色は作家性にて強すぎることも多いが、本作のそれは絶妙な塩梅に留めてあり好感が高い。
前作で前任の侍女がクローゼットの中に記し、見つけたらオブフレッドの胸を救った言葉、”Nolite te bastardes carborundorum”、やつらに虐げられるな、の言葉が思い出されて胸を刺す。
三文スパイ映画のチープ感、完成度に寄与しない軽いテロリズム
三人目の視点は人物、他国で育った少女デイジーの現代性は、途中でゲレアデ育ちのアグネスとは言葉が通じない所から、開けた世界を感じるところに集約して上手いし、途中の軽妙な書き方は軽い読者を助ける。台詞の掛け合いも読みやすさに一役買っているし、若い読者との懸け橋的な要素にはなっていて翻訳者の豊かさと共に感じさせるが、彼女単独が描けたテーマとして頁数をそこまで割いてまでの価値があったかと言われると微妙。
本作『誓願』を面白くないと思う読書の中心に据えられるのが恐らく、外の世界で育った現代的なデイジーが、故郷ゲレアデに密入国してその転覆を計る秘密裏な大冒険のチープさであり、ここの評価の仕方で本作の満足度や完成度が異なるだろうことは予想できる。
ただ個人的には、主役2人の少女の相対化、そこに映るテーマ性には一定の価値があるし、本作の見せ場である部分も、決してチープなスパイ活動のエンタメの中ではなく、静かにまばゆい少女二人の邂逅にあるし、それはほか多くの名もなき少女や、どの時代のどの時空の共感と可憐の慈しみにあり、その本懐にはやはりオブフレッドを感じることが出来る。
デイジーの章は生命感や躍動、閉じ込められていたアグネスとのギャップ、現代性、無知、前時代の女性の苦しみを知らない、無知は罪とも描けつつ、けれどその無知を愛そう、そのままで居て欲しい慈愛、無駄を教え込まれた少女たちとも無理を切り抜けてきた彼女たちともちがう、純真な無知であり現代を表す。
リディア小母のテーマから見ても、無垢なデイジーやそこで生まれたアグネスなどを無垢のまま汚さずに救ってやりたい、むしろ加担して来た自分の責任とあの時選んだ遂行だとするテーマに特化するなら、共和国や小母側のテーマ特化がなかったことも理解が可能であり、それは語る必要がないこと。語ることで一般テーマ性とエンタメ性が伸びたので、単作の美学特化でなければ描いて欲しかったが、描かないことがむしろ著者の作品性な気もしてきたのが、前作読了時を思い出した現状にも思えた。
オブフレッドの人生は報われたのか?
オブフレッドを用いて生殖期の女性を描いた前作に対し、本作は生殖器前の女児と、クーデター時期にはすでに生殖時期を過ぎたとされる高役職の女性で構成された小母たち、女盛りの花嫁前後の時代を通して、女性の多くの年齢を描き出すことに成功している。そこかしこに物語があり、それぞれの拙さと力強さと希望があること、その多様性が思われるようでもある。
誓願を読んでからでは、前作が非常にクラシカルな語りと、視野の狭さを感じさせるが、それだけでなく、生殖のみの立場に閉じ込められた女性の狭さ、個人の判断と夢希望に閉じ込められた女性の狭さのクラシカルさもあったのだと分かるし、狭苦しさが来る臭さとも思う。
平凡な幸せ時代、保身が大事で、恋しい男性がいればなんとなく満足していられた時代。体制に言われるように、彼女のように守られていれば船出も悪路の旅も必要ないけれど、知らぬ間に毒殺されることもあれば、幼い知性を翻弄されることもある。
ただ、天涯孤独ゆえに他人に尽くす型の学友や、姉妹だから信頼し協力し合えるとしたところの、血縁関係にまつわる心理動機に頼るのはまだ所以に弱く、今一歩人類社会性に踏み出すためには、利害血縁を超えたところに生まれる理知感の繋がりに希望をも出せてもよかったのかなとは思う。
全体的にテーマとしては描き不足かなとは思うが、前作の設定世界をさらに広げて描いた想像力と、破綻なく長大なプロットを書き抜けた筆力と熱意、言葉と、教えられた常識と判別つかない世界に生きる少女たち、教えられていない外の世界の妹=現代の無知な女性たちの邂逅、或いは彼女たちを産んだ責任と罪の意識による手記、というまとまりに、基本的な想像力と創作的な責任感を覚える。皆川博子にもそれらは言えるが、アトウッドの方が現実的なテーマ責任感や人類興味がある風が好みだった。
私アトウッドとノーベル文学賞を関連して出会ったので、今回受賞したハンガンとどうしても比較してしまう。ハンガンはその社会文化に生きる個人の内側という意味では映し絵ではあると思うし、彼女たちが描こうとする対象の違い、視野や感性の違い、両者の違いは明白だが、それは個性であり、同じ分野であることには違いない。
作風や好むテーマとモチーフへの興味の違いではあるが、やはり私は短編より長編のが好きだし、人間個人よりは人類社会を描こうとする野心や大胆さの方が好きだ。それは文学がうちなる個人を求めるものをいうのか、人類社会への筆致を求めるものをいうのかの価値観の違いだとは思うが、目指すスケールの小ささに作家も作品も業界も限定される。
それを証拠に、これだけの長編2作を読んでなお私はもう少し何か著者の作品が読みたいと探し、アンソロジーに行き着いた。本作のテーマでもあるシスターフッドを題名にもつ単行本は、文芸誌からの好評による単行本らしい。1934年生まれの著者が書き続けて来た末に文芸の世界に生まれた軌跡を感じる気がした。
『老いぼれを燃やせ』
80歳を超えてなお書き続け、このテーマモチーフに挑戦できる強さと豊かさ。高みすぎると感じた。



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