G-40MCWJEVZR 「黄金列車」佐藤亜紀 - おひさまの図書館
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「黄金列車」佐藤亜紀

偏愛評価

 佐藤亜紀の作品だ、と思って読み進めないと序盤はつらい。
 登場する人物名や地名はカタカナで外国のものだし、私を含めた多くの一般的な日本人読者にとって、ヨーロッパのどこの国の過去何年の歴史的な史実を扱った等と多少把握してすぐに歴史的背景や関係性を思い浮かべて場面状況を補完できるなどということは並大抵ではないし、恐らくそういう手練れな読者はほとんどいない、だからこういう作品は簡単に面白く読み下せるものにならない。作品の完成度に優しさは必要ないとはいえ、読書の難易度が高ければ楽しめる母数が小さく歯痒い、ここの絶対的なジレンマが佐藤亜紀作品にはある。その作品の完成度の前に削ぎ落とされた膨大な嵩の資料が、あたかもそこにあったことを踏まえた上で読み下せる読者を選ぶところがある、それでなければ浮かび上がらない魅力を称えた作品だけを書き上げる。私も子細な知識や詳細を持たずに読み進めるので、一度にすべての文章の意味や知識を分かって楽しんだと言える自信は全くない、そんな読書になる。それはやはり一見すると辛い、ただすべてを理解しなくても、描かれたそこに何かがあると呼応できる読者だけに開ける魅力がある作家、としかもう言えない。

 舞台は第二次世界大戦末期のナチス・ドイツ占領下のハンガリーが舞台、ソ連軍が間近に迫りくる中で、ユダヤ人から奪略した財産を乗せた列車をブダペストから退避させる日々を延々と描く。没収財産とそれを乗せた魅力的な黄金列車、と周囲から思われて仕方のない立ち回りだ。
 いくらでも派手に書けるところを、精査と管理と記帳というお役所仕事の範疇に留め、何度かある危機的な状況の切り抜け方も、受領書などの言葉を飛び交わせる窓口的な交渉術であり、手に汗握る心理戦などといったものとも、暴力的な迫力を持った活劇とも異なる。作者はそんなもの簡単に描けるし作り上げてしまう所は後述に譲る。
 ひたすらに淡々と進む毎日を記述していくが、そこに迫力がないところに人生の展望の無さやただそこにあるだけの日常や生死の現実感が始まっている主人公の壮年やこの作品自体を思わせる。鬼気迫る臨場感などといったものや熱量や躍動といったものはなく、ただ日々こなしていく作業的な人生が記述により過ぎていく、もう主人公の人生や仕事はそうした盛り上がりや感情を持ってはいないし、ただ妻に対しての気持ちと友人とその家族に対しての気持ちだけは本作の中で際立って鮮やかで、それ自体が主人公やその人生が持つ感情的な唯一の色合いなのだと分かる。 
 冒頭からの彼は既に人生の大半を失っている、そこからの仕事の日々、それが本作だ。

 これでもだいぶ優しいつくりにしてくれているなと思うのは、都度に差し込まれる昔の情景で、冒頭亡くなった妻を思い返す形で主人公が昔の記憶を掘り起こしているし、没収される友人の人生とそれにまつわる主人公の役目についてもさらりと最初から示されている。
 そもそも妻との出会いの場面がP15、16に登場した時、おや佐藤亜紀にしてはメロが早いな、と思ったものだ。そこから、再会、四人連れになってからのピクニックや、友人カップルの出会いから本筋に絡ませる手腕はお手の物だし、やはりとにかく上手いのだけど、その恋愛や友人のサブプロットをもってしても、低く乾いた主人公の気分と目線で進むメインプロットはた大抵の読者にとって読み進めるのがつらいと思う。
 なぜもう少し言葉を重ねられなかったのか、なぜあと少し感情を重ねられなかったのか、なぜ二人で部屋に閉じこもることができなかったのか、なぜ彼は仕事を辞めなかったのか、なぜそれでも仕事を引き受けられたのか、まさか佐藤亜紀の作品を読んでそんな感傷的な問いを思わずにいられなくなる一瞬があるとは、作為的に作り上げられた静かなそれに上手さしか感じられなかった。

p100
 あの時も病院から電話が来た。冬の初めの薄暗く寒い日で、家の前の街路で足を滑らせ、カタリンは転倒した。病院につくと、医者の所に連れていかれた。流産の可能性が高い、と説明された。次の妊娠は期待するなとも言われた。空の病室で待たされた。何時間語って窓が暗くなるころ、血の気のない顔をしたカタリンがストレッチャーに乗せられてきて、看護婦が二人係で寝台に移した。
 翌週、彼女が帰ってきてから、長いこと話し合って引っ越しは取りやめた。バログは家主の婦人に電話をした。事情を話すといたく同情してくれて、なるべく奥さんと一緒にいてあげなさいね、と言ってくれた。実際、カタリンは衰弱していて、暫くの間バログが不器用に家のことをすることになったが、それも年が明けるまでの話だった。年明けにはもう起きて、普通に家事をやり始めた。雪の中を買い物にも出た。依然と何も変わりのない生活が戻って来た。性交を拒んだのもほんの暫くだ。普通に朗らかに笑うようにもなった。だがその笑いが、バログには気に掛った。何か不自然な無理に笑っているような笑いだったからだ。

 バログは覚えている。冬の寒さが緩み始める頃。ちょうど今くらいの時期だ。家に帰ると中は冷え切っていて、明かりも火の気もなかった。今の窓が開いているのに気が付いて、バログは入って窓を閉め、それからカタリンを探して寝室に行った。
 窓を開けると、カーテンを開けたままの窓越しに向かいの家が見えた。映画館のスクリーンのように明るい。帰ってきたばかりらしい夫が横切る。いい季節になると窓を開け髭剃り道具を持ってきて、鏡を翳し鼻歌を歌いながら髭を剃るという珍妙な習慣のある男だ。何かを言っている。おそらくは億の妻に向かって。口が開いている。笑っているらしい。五歳の男の子がいるのを、バログは知っている。
 カタリンは闇の中で寝に腰掛けている。ぼんやりと背中が見える。泣いている。初めて会った夜のようになきじゃくっている。
 バログは寝台を回ってカタリンの横に腰を下ろし、手を探り当てて握る。通りの向こうの家の窓が、目の前にある。男と、男の妻。子供がいたのは一瞬だ。いつの間にか大きくなって、兵隊に取られ、ウクライナのどこかで死んだと聞いた。だがカタリンとその時間はその瞬間に釘付けにされたままだった。並んで腰かけ、手を握り、カタリンは泣き、彼はただ暗闇の中で目を見開いて、目の前には小さな子供が成年へと成長して行く様が映し出され、二人は時間の凍り付いた暗闇の中に坐り続ける。

 ヴァイスラーと二年ぶりに顔を合わせたのは省でのことだ。必要な書式を貰って帰るところで、正面階段を下りてきたヴァイスラーに出会した。バログは昇進のお祝いを言おうとしたが、ヴァイスラーは遮って、昨日電話したんだが、と言った。
 幾らか気詰まりだった。ヴァイスラーが出世の階段を上り始めた今や、どう話たものか悩むところだ。が、結局、以前の調子で話すしかなかった。「カタリンの具合が良くないんだよ」
 ヴァイスラーは顔を曇らせ、バログを階段の脇に連れて行った。本気で心配をしていた。落ち込んでいるんだ、と説明した。立ち直れない、というか。だがまあ、精神的なものだから。ヴァイスラーは頷いた。それから言った。
「どうにも知らせ難かったんだが、子供が生まれた。女の子だ」
「セドゲでか」
 ヴァイスラーは頷く。子供のように真剣だ。バログは自分でも気付かずに微笑みを浮かべる。作り笑いではない、本当の笑みだ。「そりゃ良かったな。可愛いか」
「ぶすだ。将来が心配だ」ヴァイスラーは短く笑う。「日曜に、久しぶりに四人で食事をしないか、と言おうと思ってたんだが、難しいか」
 仔狐のような足取りで通りかかったミンゴヴィッツが、笑い声に驚いたようにヴァイスラーを見遣る。興味津々らしい。が、脚は止めない。あいつ誰だっけ、と」ヴァイスラーは訊く。
「ミンゴヴィッツ。入ったばかりだが、女房と子供がいる」
「無茶なことするな」
「日曜のことはカタリンに言ってみるよ。喜ぶと思う」
 今や、ミンゴヴィッツの足取りは仔狐とはほど遠い。上役たちを悩ませた小利口も軽佻浮薄も落ち着きのない好奇心も、顎が弛み胴が分厚さを増すうちに消え失せた。全ては経験済みでしかも糞だったと言わんばかりの顔で、家具と電話しか残っていない事務所の長椅子にだらしなく腰掛けている。書類の積み込みは終わった。バログは電話の前に腰を下ろし、机の上に置いた懐中時計の秒針が動くのを見ている。ショプロンの駅に十五分毎に電話を掛け続けている。機関車の手配がどうなっているかを確認する為だが、何度掛けても誰も出ない。一度誰か出たが、今答えられる奴がいないんだ掛け直せ、と言われて切られた。
 電話が鳴る。バログが出ると、フロップです、と名乗る声がする。財務警察官だ。

黄金列車

 万事がこの調子で、物凄く上手い。
 失われた妻との記憶、友人カップルとの友情とユダヤ人である彼のその後を思わせながらも続く日常、同じ省庁職場でのかつてと現在、それが章も変えず、時に一つの改行すら挟まずに地続きで展開するのだが、読者にはしっかりとそれがどの場面でどの時系列で、どのような意図のカメラワークで展開し、多くの無駄な説明を省きながらの効果的な展開なのかが瞬時にわかる作りになっており、滑らかだが臨場感のある語りに脱帽する。
 これほど長い引用をして著作権的に大丈夫なのかと思うが、この一部分が流れても本作を手に取り読む魅力や価値は何ら損なわれないし、抜粋した部分で作品や作者に価値を思う方はぜひ手に取って本文をお読みいただきたい、絶対に後悔しない読書と作品がそこにある。

 作者の作品で私が絶対的に推すのが「ミノタウロス」で、文章に無駄なところが全くなく、創作技術的な完成度にびっくりして、二十歳頃だったかと思うが、読んでびっくりして、私はしばらく小説が読めなかった。文学の話をすればまた機軸が異なってくるので難しいが、佐藤亜紀を読んでからだと、小説とはなんだったのか、技術としてのそれの一般的なレベルの捉え方がよくわからなくなり私は混乱した。
 そこから一つ話を進めれば、本作は、役人の業務的な描写や複雑な状況把握にまずは神経を使うことになり、「ミノタウロス」は単純(と言ってっていいのかは妙な気質と環境ではあったが)な少年時代の主人公の一人称で語られるし時代背景の把握も簡易的かつ、多感な少年の内面は比較的読み進めやすく、出来事もプロット的に存在し、かつ少年が曝されていく粗野な現実に推進力があり、本作はそれよりも、暴力的な力強さ、一次元的な圧倒では少し弱い。その意味でいうとやはり「ミノタウロス」は圧巻だった。
 小川洋子の魅力に触れた時に、同じ作為を映像作品よりも必ず魅力的に書き上げる文章力と表現したが、むしろこと本作の佐藤亜紀は映像作品に仕上げたならばとてつもなく魅力的なプロットと作為性で作り上げることが可能な作品を、ある意味で物凄く退屈に書き上げる。本作の題材やモチーフは全く観客を退屈させる趣向や構造を持ってはいない。こんなもの映像化してしまえばいいし、いくらでも大衆的な冒険譚で映像化してしまえる。それだけ魅力に溢れた歴史的実在の素材を切り取って一作に仕上げているが、文章化において、そのモチーフや題材の威力が極力抑えられている。多軸や立体的な作り上げ方としては物凄く巧妙で、より複雑になった創作的技術により抑えられたエンタメと加えられたメロドラマが、この作品の創作性それ自体であり、描きたいそれの為の抑えた筆力で書き上げた本作の情感はこの上なく美しい。
 私は本稿を書いていて、私の一つの目的は独りでに開かれない小説が一つでも多く開かれる機会に恵まれることだし、この作品読みたい、この作品を読んでよかったと思う読者の一瞬の感動が生まれることだと思えば、なるほど、佐藤亜紀を書くことだ、とも思った。

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(ミノタウロスにのリンクを張りながら驚いたのですが、私が慣れ親しんだ講談社文庫は絶版になったのでしょうか……角川文庫と電子書籍しか見つからず、あの素晴らしい印象と共にある装丁がうまく見つからずに残念……本当に素敵な作品です、佐藤亜紀さんの作品を読まれたことがない方で本項で興味を持ってくださる方がいれば、多少暴力性が大丈夫な方はまず読みやすく威力がわかりやすいミノタウロスを読まれることをお勧めします、そして講談社文庫の装丁を見てほしくてリンク何個も張ってしまいました。最新作「喜べ、幸いなる魂よ」の文庫化が先月だったらしいので一緒に貼ります)

コメント

  1. ロック より:

    黄金列車についての読後感想

    まずは、長らくきちんとした読書習慣から離れていた僕に、読書するきっかけに巡り合わせてくれた「今日もおひさま(以下おひさま)」には感謝の気持ちで溢れています。ありがとう。

    SNSや資料等で活字を読む機会は多いものの、紙の本での文学的な物語に没入するのは、何年もブランクがあったものだ。

    ブランク明けにリハビリも兼ねて読むのに、おひさまブックス(書評一覧の書籍)から黄金列車を選んだのは単純に列車旅行のお供にいいかな?という軽い気持ちから(笑)

    おひさまの書評は読んでいたけど、序盤の読解にはかなり手こずった。そこはおひさまも似たような感想だったけど、僕の場合はたぶん原因が違う。

    ブランクはあるとはいえ、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の作品は西部も東部も触れていたことがあるし、ナチスドイツの急伸と没落も理不尽さも狂気も、その時代の文化も前提知識はそこそこありました。外套やタイプライターやカンテラや、20世紀の西欧の情景描写自体は懐かしく容易に目に浮かんだ。SSと聞けば鉤十字の腕章のついた真っ黒なコートを羽織ったナチス兵ということも即座に浮かぶ。

    それでも読みにくい印象だったのは、まずは主要登場人物の名前。東欧らしい名前のヴィのつく人物の多さ、語感の似たマルコヴィッツとミンゴヴィッツ、ゾルナイとトルナイのような日本人には馴染みのない名前の判別が求められること。史実に無関係な人物の名前は変えて欲しかった。

    それと情景は目に浮かぶものの、過去の回想以外で人物の感情、思惑が読み取りにくかった。勧善懲悪の冒険活劇では無いとは言え、大きな事件も起きず、激しく喜怒哀楽を現す人物もいないまま、淡々と物語が進んでいく。

    話は逸れるけど、おひさまは人物の繊細な心の動き方に重きを置いて、客観的にその心の機微を読み取っている様に感じましたが、僕は物語に主人公として投影し没入し、その世界で起きる出来事を疑似体験するタイプです。(心情もある程度汲み取りますが)あくまで個人的な感想ですが。

    前半のその停滞感は、列車がオーストリアに入ったあたりから一気に加速して一掃される。冒険の始まりである!

    ドイツ、ハンガリー、オーストリアの微妙な立場同士の駆け引き。
    ずっと気になってた、あえて1945年4月という後半の日付もここで初めて深い意味を持つ。

    後半の加速感のおかげで読後感は想像以上に清々しいものになり、達成感と多少の疲労感が心地よい。

    一つ気になったのが作中では余韻を持たせて終わっているけど、作中に何度も単語が登場したのに伏線回収されていない切手帳と燭台。もしかして、ハプスブルク家由来の物とか貴重なものかと思って気になってます。(切手は伏線あるか?)たぶん調べても判明しないけどこういう妄想は素直に楽しい。

    佐藤亜紀の作品はもっと読み集めたいので、これからもその世界に没入できたらいいと思っています。

    • いつもご愛読ありがとうございます🙇‍♀️

      書評を読んで頂けるだけでもありがたいのに、感想をくれ、作品読書にまで進み、まさか今回このような読後感想までくださり、書評ブログ冥利に尽きるかと思います😊
      佐藤亜紀さんは、元々その作品生から私にとって特別な作家さんではありましたが、ブログを始めて、初めて私の書評から買ってもらえた作品でもあり、今回このように初のコメントを頂けた作品でもあり、黄金列車の記事、書けて良かったです。
      その他の作品もおすすめです。
      ありがとうございます。

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