For Readers Who Feel Lost in Literature
About This Blog Why I Read Literature
<English Summary> Ohisama Library is a literary blog that explores world literature, contemporary Japanese fiction, and the meaning and value of reading and intellectual life in modern society. This blog―and what I consider the “second stage” of my life―began as a personal attempt to return to books after drifting away from reading during my working life. Social values such as productivity, financial stability, and external evaluation gradually became dominant, leaving little room for the quiet time necessary for reading. Over time, however, this experience led me to a more fundamental question: do these external measures of success truly define the meaning of a life? Leaving full-time employment and returning to books became a turning point. Through reading literature and writing about it, I gradually rediscovered forgotten interests, literary themes, and a renewed sense of curiosity about the world. Different sections of the blog explore world literature, contemporary Japanese fiction, and the role of reading as a way of reflecting on society and human knowledge. In this sense, the blog functions both as a personal exploration and as a public space for thinking about literature. The project is guided by one simple hope: that literature may help people who feel lost in modern society rediscover meaning in their lives through the act of reading. Ohisama Library は、世界文学、現代日本文学、そして現代社会における読書や知的生活の意味と価値を探究する文学ブログです。 このブログ、そして私が人生の第二のステージと考えているものは、働く生活の中で読書から遠ざかってしまった経験をきっかけに、再び本へ戻ろうとする個人的な試みとして始まりました。生産性、経済的安定、外部からの評価といった社会的価値が次第に支配的になり、読書に必要な静かな時間を持つ余地がほとんどなくなっていったのです。 しかし時が経つにつれ、その経験は一つのより根本的な問いを生み出します。こうした外的な成功の尺度が、本当に人生の定義するものなのだろうかと疑問を抱くようになった。 フルタイムの仕事を離れ、本へと戻ることは大きな転機となりました。文学を読み、それについて書くことを通して、私は忘れていた関心や文学的テーマ、そして世界への好奇心を少しずつ取り戻していきました。 ブログのさまざまなセクションでは、世界文学、現代日本文学、そして社会や人間の知について考える方法としての読書の役割が探究されています。その意味において、このブログは個人的な探求であると同時に、文学について考えるための公共的な場としても機能しています。 このプロジェクトを導いているのは、シンプルな一つの願いです。 それは、現代社会の中で迷いを感じている人々が、読書という行為を通して人生の意味を再発見する手助けになるかもしれない、という希望です。
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そして一人の読書、感動、人生の価値、人類にとっての文学の価値をこの筆記から考えていきたい。一人でも多くの文学的迷子が減り、一冊でも多くの本が読まれ、何より私がその孤独から救われますように。
本稿・末尾
このブログは、守られて過ごす学生時代の読書趣味を経て、自分で自分を養育して働き、労働時間に縛られ評価数字の発生に喜び、資産形成や社会的信頼構築に価値を見出した社会人生活の間に、広義の趣味も強固な興味も忘れてしまった私が、将来観測上の労働や資産の価値比重よりも、自由と生涯の価値に重きを見出した時点からフルタイム労働を脱出して開設したものになります。
ブログ開設から1.5年、昔の記憶を手探りにしつつ、読めなかった時代に見聞いていたうろ覚えの作者・作品名を含めてたどたどしく選本するところから初めて、現在では少しずつ自分の本質的な興味のジャンルや作家、主題性や作風の好みなどが見えてきました。
カテゴリー分けもしてあるので、一緒に楽しめそうな記事からお付き合いくださいませ。
海外文学を本質にして「世界文学旅行」と称して回っているカテゴリー、
国内文芸を考える一端に「直木賞企画」と称して受賞作を中心に受賞作家を読むカテゴリー、
社会構造や人類知への憧れが分かる「働く読書習慣」カテゴリーなど、
セミリタイアからの読書とブログ活動によりいくつかの企画と方向性が見えてきました。
文芸読書趣味を恥ずかしくて人に言えなかった私が、今ではブログでうるさいくらいに発信しているわけですから、思索と筆致と確信はこの1.5年で大きく変わりました。
忙しいから本が読めないと口が裂けても言えないような、せわしなく頑張る”私”にだから必要な内的価値が、外的な”私”と発露する言葉や言動から、他者の内的へ響くことを気概と含羞で思えますように。私には出来なかった働きながらの読書を誰かは出来ますように。私が幼い頃欲しかった分かりやすさ、文芸への感動や文学への確信に惑う幼さが、もう誰にも訪れませんように。
ぜひ働きながら、ぜひ楽しみながら、ぜみ楽観し行動しながら、読書と人生をあなたと一緒に私もみんなも全員で楽しめますように。

読書の幅は人生の幅、読書の深さは人生の深さ、現実ではない虚構創作の広がりや豊かさ、それだけが助ける”私”やそれだけが深める考えが必ずあるはず、それが本質的で広義な意味での文芸文学の発端かと思います。
今日で見違える、この1年で様変わる、自分の内側の狭さから、多種多様な他人の価値観と時間、広大と累積の社会と人類に触れながら、私たちはこの世界に生きていく時間と感覚を持って生まれました。それらは日々の労働や忙しさ、生き延びるための最低限の生活に消費するだけに終わるのは勿体ないはずなのではないかと思います。
このページは2024年に読書ブログを開設した時の初投稿ページになりますが、経過した今振り返ると、学生時代の読書趣味の社会人になってからのリスタートという意味で、幼い気持ちと視野で読んでものが、社会的な意義や構造で読んで書いている変化や移り変わりも見て取ることが出来、読書と私の変換が1.5年の間にもあることが分かり面白いです。
おそらくこれは読書習慣以外にも、なんらかの趣味や習慣を1.5年も続けていれば多くの人に起こる出来事であり、中でも読書な内的理知感への影響が大きいと思われるので、個人的内省が経験や成長として変化の著しい傾向があることも含めて、人の変化は1時間でも1年でも意外と訪れている、ということの本意にも辿り着くかもしれません。
あなたは今日の1時間何を読んで何を考えて過ごしますか?
わたしも今日の1時間、大事に読んで書いて過ごします。
はじめましての自己紹介
初投稿ページを兼ねます
生きていく上で小説には何の価値もない。「文学とは何か?」を一度は考えて眠れなかった自分でさえそうなのだから、誰にしても現代においても、文芸の価値や活躍など不明確なものだと思う。
けれど私は、恐らくいつも必死にその価値や意味を探していました。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ10代のころ、とても芳醇な物語で、海を越えて言語を超えてその一冊を自分が読めたことに感謝したが、周りの友人や親兄弟もそんなものは読んでおらず、どれ程優れていても自主的には光れず騒げない文芸の物静かを哀れに思い、私は自主的に「千年の孤独」という言葉でアンチテーゼを固めた。1967年に生まれた傑作がその有様で、小説は読まれることでしか開かれず、語られることでしか光らない。
佐藤亜紀の『ミノタウロス』を読んだ20歳頃、もはや”文学”という言葉はむしろ恥ずかしく、意味や価値を求めるものではなくなっていて、圧倒的な文章や虚構性を目の当たりにしても、それは一時の瞬間的な価値として、たまの一冊を閉じれば日々に消えていくような、忘れてしまわないことの方が難しい今日の記憶に過ぎない程度に落ち着いていた。
社会人として励む間に、趣味だった小説はほとんど読みませんでした。
それは生きる上で必要ではなく、読むのなら実用書の方が勿論価値があるほどです。
ガツガツ働く間に貯まったお金をもとに資産運用を始め、働き方や生き方の選択肢は無数にあり、経済的自立があれば生き方の選択肢は増えることを知りました。あまりに余裕のない働き方をしていたのですがそれはそれで楽しく、お金も姿勢も貰えましたがこれ以上はないかなと感じて務めていた会社を辞める案が頭をもたげた時に、さて私は何がしたいか、これからまだ人生は40年はあるかもしれないぞ、と考えた際に浮かんだのが読書であり文章でした。
私は昔絶望したその場所で、また光を探したくなったのです。
文章を読みたいし、できればそれは夢のようなフィクションだと素敵だ。
けれど何を読めばいいのか全く分かりません。書店の棚は出版社で並び作家の作品群がわかりづらく、ネットで最新ランキングを検索してもライトノベルが混じり、文学賞で検索しても本屋大賞のラインナップもピンとこない、書評ブログの上位検索陣は実用新書も混在し、更新が数年前で止まっていたり、何より表層だけ語られていてはどの1冊を読んでもいいのかもわからず、読みたいかの自分の気持ちもわかりません。何より私は、誰かが簡単に書ける飾りの宣伝文句には興味がなくて、その人が何を読んだ結果どう思ったのか、その踏み込んだ文章が好きなのに、それはどこにも見つかりません。
どの本が面白くて、どれが専門書で小説で文学なのか、誰が売れていて、今一番の魅力がどれなのか、よくわからない。一冊を読むことは時間がかかるのに、どの一冊を読めばいいのかわからず、せっかく読んだ一冊も面白く読めずに終わる。素敵な読書がしたいのに何を読んだらいいのかわからない、この迷子がまず小説を楽しむ前に存在する一つの問題です。
改めて、「文学とは何か?」を問う
十代の時に「文学とは何か?」考えていた時に、池澤夏樹さんの世界文学全集は、子供にもわかりやすく沢山の紹介をしてくださいました。
『オン・ザ・ロード』から始まり、マリオ・バルガス=リョサとの出会い、『存在の耐えられない軽さ』、『かなしみよこんにちは』、クッツェー、『精霊たちの家』からの『百年の孤独』、そしてラテンアメリカ文学、『わたしは英国王に給仕した』からのカズオ・イシグロと『わたしを離さないで』や現代性だったり無茶苦茶だったのですが、無知な私に縦横無尽に「次は何を読む?」を続けてくれた読書体験はそんなものだった気がします。



誰かの手引きなしに、多くの読者にとって簡単に体系を掴みづらく、王道がどこにあるのかもわからず、ゆえに自分にとっての魅力も見つけづらい広大な蓄積が文芸作品にはまずあります。
しかも古臭い作品はほこりをかぶっていて、大抵の人は作家名も作品名も知らないし、でも探ってみるとやはりそういう作品は面白いのです、そして時にとてもつまらないし、目立って書店で売られている商業作品の未熟さもわかれば、商業として成り立っている状態の羨ましさも目立つ。
外から見てもただの膨大な文章でしかないそれはあまりにも煩雑で、ごみ屑に見えたりもしますし、何とっても文章、近づいで読んでみてもやっぱり自分には屑に思えたり、実は屑ではなかったと感動を思えたり、いろいろあるのが読書ですね。
文章は誰にでも書ける。輝く文章、豊かな物語、艶やかな虚構性や確固とした構造などの様々は、誰にでも書ける文章に埋もれて、その輝きは潜めてたおやかに窒息しそうになっているのではないか、と心配するほどには文章を好きな自信がありますが、小説、文学、となると私はまだ少しよくわからず、その自信を探しているような気もします。
次は何を読めばいい、次は何を読みたい、それがない状態の迷子が一番困る。
そして読書を再開しようという今、私はその困難に直面しています。
まずは現代国内で流行している作家・作品から慣れていこうかと思います。読書から離れて十年以上のブランクがありますので、今から一緒に読書を始める初心者様も一緒に大歓迎。仕事が落ち着いた、子育てがひと段落した、新しい趣味が欲しい、素養も教養も時間も様々で文章と創作を楽しめたらそれが可能性だと思うのです。
そして、ブログ開設後今振り返って追記するのであれば、30代になって読書に復帰したブログ開設後の読書とそのレビューを兼ねたブログ記事を通して、自分の記録にも、その点在から生まれる展開は物語的で、読み方も変われば書き方も変わる物語性も面白く、そして相変わらず、私にとっての「明日は何を読む?」が、誰かにとっての「何を読んだらいいかわからない」の手助けになるといいし、そして一人の読書、感動、人生の価値、人類にとっての文学の価値をこの筆記から考えていきたい。
一人でも多くの文学的迷子が減り、一冊でも多くの本が読まれ、何より私がその孤独から救われますように。

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