はじめまして。
今日もおひさまと申します。書評ブログはじめました。
生きていく上で小説には何の価値もない。文学とは何か?を一度は考えて眠れなかった自分でさえそうなのだから、本来小説の価値などその程度なのだと思う。
ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読んだ十代のころ、とても芳醇な物語で、海を越えて言語を超えてその一冊を自分が読めたことに感謝したが、周りの友人や親兄弟もそんなものは読んでいなくて、どれ程優れていても自主的には光れず騒げない文芸の物静かを哀れに思い、私は自主的に「千年の孤独」という言葉でアンチテーゼを固めた。1967年に生まれた傑作がその有様で、小説は読まれることでしか開かれず、語られることでしか光らない。
社会人として励む間に十代のころの趣味だった小説は一冊も読みませんでした。
それは生きる上で必要ではなく、読むのなら実用書の方が勿論価値があるほどです。
ガツガツ働く間に貯まったお金をもとに資産運用を始め、働き方や生き方の選択肢は無数にあり、経済的自立があれば生き方の選択肢は増えることを知りました。あまりに余裕のない働き方をしていたのですがそれはそれで楽しく、お金も姿勢も貰えましたがこれ以上はないかなと感じて務めていた会社を辞める案が頭をもたげた時に、さて私は何がしたいか、これからまだ人生は40年はあるかもしれないぞ、と考えた際に浮かんだのが読書であり文章でした。
私は昔絶望したその場所で、また光を探したくなったのです。
文章を読みたいし、できればそれは夢のようなフィクションだと素敵だ。
けれど何を読めばいいのか全く分かりません。書店の棚は出版社で並び作家の作品群がわかりづらく、ネットで最新ランキングを検索してもライトノベルが混じり、文学賞で検索しても本屋大賞のラインナップもピンとこない、書評ブログの上位検索陣は実用新書も混在し、更新が数年前で止まっていたり、何より表層だけ語られていてはその一冊を読んでもいいのかもわからず、読みたいかの自分の気持ちもわかりません。何より私は、誰かが簡単に書ける飾りの宣伝文句には興味がなくて、その人が何を読んだ結果どう思ったのか、その踏み込んだ文章が好きなのに、それはどこにも見つかりません。
どの本が面白くて、どれが専門書で小説で文学なのか、誰が売れていて、今一番の魅力がどれなのか、よくわからない。一冊を読むことは時間がかかるのに、どの一冊を読めばいいのかわからず、せっかく読んだ一冊も面白く読めずに終わる。素敵な読書がしたいのに何を読んだらいいのかわからない、この迷子がまず小説を楽しむ前に存在する一つの問題です。
十代の時に「文学」とは何か? を考えていた時に、池澤夏樹さんの世界文学全集は、子供にもわかりやすく沢山の紹介をしてくださいました。
オン・ザ・ロードから始まり、マリオ・バルガス=リョサとの出会い、存在の耐えられない軽さ、かなしみよこんにちは、クッツェー、精霊たちの家からの百年の孤独、そしてラテンアメリカ文学、わたしは英国王に給仕したからのカズオ・イシグロとわたしを離さないでや現代性だったり無茶苦茶だったのですが、無知な私に縦横無尽に「次は何を読む?」を続けてくれた読書体験はそんなものだった気がします。
誰かからの手引きなしに、多くの読者にとって簡単に体系を掴みづらく、王道がどこにあるのかもわからず、ゆえに自分にとっての魅力も見つけづらい広大な蓄積が文芸作品にはまずあります。しかも古臭い作品はほこりをかぶっていて、大抵の人は作家名も作品名も知らないし、でも探ってみるとやはりそういう作品は面白いのです、目立って書店で売られている評価待ちの作品の未熟さが分かるほどに。
外から見てもただの膨大な文章でしかないそれはあまりにも煩雑で、ごみ屑に見えたりもします。近づいで読んでみてもやっぱり自分には屑に思えたり、実は屑ではなかったと感動を思えたり、いろいろあるのが読書です。
文章は誰にでも書ける。輝く文章、豊かな物語、艶やかな虚構性や確固とした構造などの様々は、誰にでも書ける文章に埋もれて、その輝きは潜めてたおやかに窒息しそうになっているのではないか、と心配するほどには文章を好きな自信がありますが、小説、文学、となると私はまだ少しよくわかりません。その自信を探しているような気もします。
次は何を読めばいい、次は何を読みたい、それがない状態の迷子が一番困ります。そして読書を再開しようという今、私はその困難に直面しています。まずは現代国内で流行している作家・作品から慣れていこうかと思います。読書から離れて十年以上のブランクがありますので、今から一緒に読書を始める初心者様も一緒に大歓迎。仕事が落ち着いた、子育てがひと段落した、新しい趣味が欲しい、素養も教養も時間も様々で文章と創作を楽しめたらそれが可能性だと思うのです。
私にとっての「明日は何を読む?」が、誰かにとっての「何を読んだらいいかわからない」の手助けになるといいし、そして一人の読書、感動、人生の価値をこの筆記から考えていきたい。
一人でも多くの文学的迷子が減り、一冊でも多くの本が読まれ、何より私がその孤独から救われますように。
コメント