生きていくために必要な仕事、でもその仕事が落ち着いて余裕ができたら、生活費と貯金に余裕が出来たら、何に時間や意欲を使いたいのか? そんな夢想を持ちつつ、成功者の憧憬化が進む資本主義社会における格差は、労働者に希望動力と絶望衰退のどちらの夢を見させるのか?
ネットワークによる他者の生活や人生の現状が可視化される現代において、以前なら知りようもなかった他人の日々や年収、資産状況や幸福を目にする機会も増え、そこに自慢や虚栄を感じながらも自身と比較して、劣等感や焦燥感を覚えやすく、資本主義構造を痛感しながら、それでも自分なりの幸福や自由な暮らし方を願わずにはいられない。
資本主義社会における幸福の多くは、資産や収入により階層分けされやすく、それらは労働制限と自由生活と密接な関係がある。sns時代により人間の成功の可視化が氾濫するネット社会において、本業のキャリアアップとしての独自開業による個人事業主や起業、趣味や副業から発展し経済的に自立するに至る成功すごろくのYouTuber・インフルエンサー、スモールビジネスや個人商店主として生活をデザインする層の自由も目立ち、多様な働き方が現代には選択肢として用意されていることに気づかされる。
労働からの脱出の自由と夢やライフワークバランス、個人が経済的に自立することの社会的意義と功罪に、現代の成功と絶望が浮かび上がる。現代社会における労働の出口、あるいは自由の幻想、絶え間ない渇望について。

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自由と夢とライフワークの幻
前回は、現代的な社会における労働によるリターンが期待できない時代では、中核である3.40代が労働や組織から逃げ出し、それを見つめる10代20代の徒労や悲観が見えてきた。中核の世代がFIREやセミリタイアに逃げ出す閉塞構造の現代社会の息苦しさと、労働や生活や人間関係から逃げ出すこと、自由や安心を手に入れるといはどういうことなのか。
その逃げ出した先にあったネット副業やフリーランス的働き方が今回の入り口の一つ。

会社組織の中での出世が成功の代名詞だった時代を経て、組織を出て自分の人生を生きている人が理想として映る現代。この構図自体がネット時代・SNS社会において極めて現代的であるが、ここには希望と絶望が背中合わせで存在している。
フリーランスのデメリットと言えば「お金の不安」「休日・休息への罪悪感」「オンとオフの境目の喪失」など、上を目指すか安住後退の二択が精神性であり、会社の中で働く会社員と異なり自分の中で働く感情論と成果主義であることが分かる。独立や副業という耳触りの良さから自由を選んでいるように見えて、構造が個人に押し付けている非正規雇用の軽さや自由裁量な側面もあり、この場合の構造の役割と飛び出す個人の誕生の理由は、副業が成功するネット社会の現代性も含む。
個人事業主であることは成功でも絶望でもなく、構造と自我の間に新しい関係を結び直す行為であり、逃げた先の自由をどう使うかにこそ本質があり、「逃げた先に何を担うか」で定義され直される必要がある。
経済的に恵まれた安心の上での自由でなければ資本主義や人間社会からのただの逃避であり、雇用労働もフリーランスも構造に取り込まれるか構造を背負うかの違いに過ぎず、自由なはずの側にすら構造的限界があることに気づくとき、自由の次の問いが現れる。
労働における自由的立場をとるということは、経済的安定があるから労働をしなくなるということを指さず、経済的な自由により選択の幅を増やし、精神的な安定を取得した上で何を選ぶのかに帰結する。個人的な充足が本質的に満たされる状態であり、社会的にそれが他者の希望になるのなら、それは本物のライフワークになるとも言えそうだが、そのような経済的安定があると仮定すると、人は労働に何を求めるのか?或いは社会的な活動や他者貢献や評価や成功などには興味がなくなるものなのか。
それらは社会的な承認や意義が空洞化する構造の中で沈黙せず、他者の希望とつながる形で自由をどのように再定義できるものなのか、と言うこともまた関連してくる。
① 自由には「すべての責任」が伴う
・病気・怪我・老後の保障は自己責任
・成果や状況も全て自己責任
・キャリアの壁・マーケットの変化
すべて対応する必要あり
※自由=全責任を負う自由。
“構造の不在”という新たな拘束。
② 自由=競争にさらされる自由
・ネット上には常にもっと成功している誰かがいる
・コンテンツ勝負・炎上リスク・承認欲求疲弊
・自己ブランドが枯渇した時の再起が困難
※フリー=“無限の自由”ではなく、
“無限の比較”の中に投げ出されること。
③ 成功したとしても「意味」が見えなくなる
・お金も時間もあるが社会的な承認や意義が空洞化
・貧困や抑圧を脱するも充実感や繋がりを得られない
・「逃げきった先で、何を為すのか?」が問われる
※「自由になった」あとに、「自由を何に使うのか」が定まらないと、人は漂流する。
・生活のために脱出する→合理的戦略
・自己の表現や価値を社会に届ける→ライフワーク
・未来の働き方を模索し、次の世代に道をつなぐ→意味と貢献
社畜からの脱出は時代の自由で幸福なのか?
現代的フリーの立場の成功の側面(自由・主体性)
時間の自由:自分で働く時間と場所を決められる
仕事の選択:やりたくない仕事を避けられる
収入の上限:成果次第で青天井。組織に依存しない
自己表現:自分の価値観や世界観をサービスにできる
影響力 :SNSを通じて社会的影響を持つことも可能
※雇用という構造から抜け、
自己を取り戻す感覚が強い。
フリーランスや個人事業の活躍もまた時代を映すが、その総数は決して多くなく、労働拘束に伴う人口の方が明らかに多い。そうした少数の成功者が目立つのに対し、見えない多数の敗北者がいるのも事実。彼らは雇われながら副業により微弱の敗北をして陰に隠れた労働者でもある。
□フリーランス/FIRE/成功者(目立つ個)
・YouTuber、ブロガー、起業家、クリエイターなど
・雇用の枠組みから脱して自律的に稼ぐ
・SNS等で可視化されやすく成功者として語られる
▶実態・実数は極めて少数(全労働人口の数%以下)
・成功と自由の代わりに
不安定さ・競争・自己責任を最大限背負う
・社会的な保障・連帯からは外れることが多い
(労組・年金・失業保険等)
▶社会的機能
・時代の夢・自由の象徴として映るが全体を救わない
・モデル化・アイコン化されやすい
(副業本・情報商材・「脱社畜」言説など)
※自由・創造・経済的自立→不安定・競争・孤独・再起不能
□雇用+副業/不安と模索の層(二足のわらじ)
・平日フルタイム労働+副業
・フリーを志すが、経済的には独立できていない
・自己実現/脱出願望と生活の間で引き裂かれている
▶ 実態・増加傾向(副業解禁・生活困窮の文脈)
・時間・エネルギーを2倍使い、極めて疲弊
・成功者の見え方を内面化しすぎ、
自分は足りてないという劣等感に晒されやすい
▶社会的機能
・自由を目指す群衆だが、ほとんどは報われない
・成功者と構造に挟まれて沈黙する労働者の新形態
※副業⇒独立の可能性
→消耗・時間不足・焦燥・劣等感
□沈黙する労働者:拘束・抑圧・表に出ない多数
・医療、教育、介護、コンビニ、運送、建設、等
・副業の余裕すらなく、日々の労働で体力も心も限界
・献身の仕事のはずが
働き甲斐の余地もなく、報酬も報われない
・働き方改革とは無縁、SNSもビジネスも関係しない
▶実態・現代社会を物理的に支える根幹
・可視化も承認もされない
・抜け出すことを考える暇もない
=“構造の中で生き延びる”ことが最大の目標
▶社会的機能
・社会インフラの維持=不可欠な存在
・夢や自己実現の話からは外れ続ける
※日々を生き延びる→搾取・無力感・声の欠如
三層が見せる現代の社会構造は、“構造内自由”と“構造的沈黙”の分断社会となっている。
ごく少数の成功者、中間の模索者(組織に属しながら副業)、沈黙の多数(拘束された労働)などはどれも相容れず、組織に属しながら副業する者は本業で満たされないものを求めて疲弊し、拘束された労働により日々を消化し稼働する間にやりがいを忘れてさらに疲弊していく。
成功の側面でいっても、かつての大手メディアでの活躍から、より制限のない流動的な個人の烏合になり、本格の形骸化により場所を移した大衆性やエンタメ性であるとも言える。
□かつての成功
・出世・昇給・家・家族・退職金
・「正社員として上に行く」ことがゴール
□現代の成功(幻想化されやすい)
・SNSで有名
・好きなことで稼ぐ
・自由なライフスタイル
・FIREして田舎暮らし
※成功とは「どの構造の中で、どんな自分として、どんな関係を築けているか」であるべき。
副業が加速する時代
副業が増える時代とは、本業だけでは給与所得が足りない、夢が足りないという社会構造の現状や、会社組織の限界やそこからこぼれ落ちた個人の苦肉の策を映す。その場合における社会科学的見地、企業や政治のあり方や問題点とは、個人の希望や挑戦という明るい面だけでなく、社会構造・経済制度の限界の反映でもあるという深層を含む。
副業が加走しているのではなく、本業だけでは生きられなくなった社会が露出しているとも言えることがわかる。これは、単なる個人の選択や自助努力の問題ではなく、社会システムが人間の可能性を十分に活かしきれなくなっている兆候だとすら感じる。
この状況下で求められているのは、個人の副業努力だけではなく社会制度側の再設計であるし、副業は自分の夢を追う場所であると同時に、制度が夢を奪った証拠でもあるという複層性、本業+副業という働き方が選択肢の自由ではなく、必然のサバイバルになっている現代の構造を、外的経済だけでなく、内的な理知感・資産感覚・安心感の喪失という観点からも見つめ直す必要性がある。
本業+副業をしなければ活路を見出せない経済力や夢ややりがいの枯渇、その内的理知感や資産状況や安心感、社会構造の外にはじき出された不安や不信、そして構造を作り出す側の責任や視点とは?
1】社会構造の変化と矛盾
□経済的背景:実質賃金の停滞と生活費の上昇
・物価は上昇するも実質賃金は横ばい〜減少傾向
(特に日本や欧米中間層)
・正社員でも「暮らすために副業が必要」な層が拡大
(≠余裕で夢を追う副業)
□雇用制度の変化:終身雇用の形骸化
・安定した会社の傘はもう保証されない
・本業=一社依存からの脱却が生存戦略に
□価値観の変化:労働を自己実現として再定義する個人
・人々は給与のためだけではなく、
意味や自己の物語を労働に求めるようになる
・本業がその欲求に応えられないため、
副業で埋め合わせようとする
2】企業組織の限界
□ 成長機会の喪失
・多くの組織では、業務の定型化や
管理業務への偏重により創造性の余地が縮小
・学びの機会・挑戦の場が社内に用意されていない
□働くことの内発的動機づけが薄れる
・「成果=評価」の回路が閉じており、
熱意が組織内で回収されにくい構造
・結果、仕事の本質的な意味を外
(副業や創作)に求めるようになる
3】政治・経済制度的問題点
□ 所得再分配の機能不全
・ベーシックインカムなどが未整備なまま、
個人に自助努力が過度に強調される
・「副業すればいい」といった政策的無責任
(個人への課題丸投げ)
□労働法制の想定が古い
・雇用契約は一社依存前提の20世紀的モデルに依存
・副業の可否・税制・社会保険制度が
複業時代に追いついていない
□教育と職業訓練の断絶
・リスキリングや越境学習が推奨される一方で、
その制度設計や資金支援は個人任せ
・国や企業が長期育成を放棄し、
キャリアの責任をすべて個人に委ねている
4】副業の拡大が示唆する社会の今後
□ 「働くこと」の再定義
・労働は稼ぐ手段だけでなく、「生きること」
「つながること」へと再構成されつつある
・仕事の分散化(マルチジョブ)は、
アイデンティティの分散化・再構成を促す
□資本主義の新しい段階へ
・会社という中間共同体が弱体化するなか、
個人×ネットワーク型経済への移行が進行中
・そこでも新たな搾取構造が発生
(ギグワーク、クリエイター経済の不安定)
5】対抗的・構築的視点
教育:リベラルアーツ+リスキリング+越境型キャリア支援
政策:ベーシックインカム的な
安全保障+複業対応の税制・社会保障制度
組織:創造性と越境を許容する類の
「複数役割型キャリア」の導入
社会:「稼げること=正義」以外の価値観
(共助・共感・表現)を評価する仕組み
副業時代が映す人間の条件
多くの人が副業において、自分が誰かの役に立っている感覚や、未来に意味を残している実感、自分で選択し自活している尊厳などを必死に探していて、これはアルバイトやギグワークに限らず、創作、副業メディア、コンサル、note・Xなども含む。副業とは単に生活困窮のための副収入源としてだけではなく、本業が支えきれなかった人間の尊厳を補いにいく働きでもあると言える。
なぜ2つの働き方をこなさなければ1つの生活も支えられず、なぜ働き方を増やさなければ生きがいも安心も得られないのか?
副業とは自己の再構成であり、社会の設計漏れの証明として捉えることが出来ると、副業の自由のもとに社会の限界を個人が抱え込まされている現状に必要なのは、一つの仕事だけでも心身が豊かに生きられる社会構造の再設計であり、その上で初めて副業は足りないものを埋める苦闘ではなく、選びたくて選ぶ、自由な挑戦として輝く。
以下、社会科学や哲学などの見地から見た、類似の論旨で調べると出てきた著作のあらまし。
1. 個人化とリスク社会(ウルリッヒ・ベック)
▶ キーワード
:「個人化(Individualisierung)」
「リスク社会(Risikogesellschaft)」
ベックは現代社会をリスク社会と呼び、かつて国家や企業が担っていた社会的保障(職業、老後、安定した役割)が個人に委ねられていると論じる。
個人化:職業選択・生計・学歴・人間関係など、
全てが自己責任化されており副業はその典型。
自己決定のパラドクス
:選べるはずなのに、選ばなければ生きられない。
副業=自由のようでいて、実は不自由の強制。
標準化の崩壊
:同一企業に勤め上げるモデルが崩れ、
個人ごとのキャリア構築が前提であり、
労働と人生の構造的分断に他ならない。
➡副業の加速は個人化されたリスク社会の帰結であり、
個人が制度の不全を肩代わりをさせられている。
2.液状化する現代とフレキシブルな労働(ジグムント・バウマン)
▶ キーワード
:「リキッド・モダニティ(液状近代)」
「不安定性」「過剰な柔軟性」
バウマンは現代を「リキッド(流動的)な時代」と呼び、安定した生・共同体・アイデンティティが溶けてしまった世界だと描写。
◎ バウマンの理論から見る副業時代
働く意味の液状化
:労働が一つのアイデンティティではなくなり、
切り売りされる断片となる。
副業はそれを象徴する構造。
フレキシビリティの罠
:柔軟性(副業、在宅、フリーランス)は
自由に見えるが、実際は雇用の保証なき不安定化。
共同体の喪失
:企業や地域が共同体ではなくなり、人間関係も流動化。
副業の多くが関係の希薄な労働に陥る。
➡ 副業とは、液状化した世界で
自己を支え直す仮設の足場であるが、
それもまた揺れ続ける。
3.労働・仕事・活動の倫理的区別(ハンナ・アーレント)
▶ キーワード
:「労働(Labor)」
「仕事(Work)」「活動(Action)」
アーレントは人間の行為を3つに分類。
区分:定義→現代の副業との関係性
労働(Labor):生き延びるための行為。
繰り返され、消費されるもの。
→本業・副業のうち生計のための働き
仕事(Work):物を作る。持続性・人工物としての
残存性を持つ行為。
→ブログ・創作・プロダクト開発など
活動(Action):他者と関わり、
公共的世界に影響を及ぼす行為。政治・倫理的次元。
→表現・対話・思想発信、副業を通じた社会貢献
◎ アーレント的視点からの副業批判と肯定
現代の労働は「生きるための労働(Labor)」に過度に収束し、本来の「仕事(Work)」「活動(Action)」が剥奪されている。だからこそ人は副業において、自分だけの仕事や社会と交差する活動を探す。本業で生活を支え、副業で意味を生きるという二重構造。
➡ 副業は、剥奪された“活動”
=他者や社会との関係性の再獲得である。
➡ だが副業が労働の重複だけに終われば、
人間性のさらなる摩耗に繋がる
総括:三者の理論から副業時代を読み解く
視点:主要概念→副業時代への示唆
ウルリッヒ・ベック
:個人化、リスク社会
→制度が保障すべきリスクを、
個人に副業として背負わせている
ジグムント・バウマン
:流動性、液状社会
→副業は「不安定さの中での
仮設的アイデンティティ」
ハンナ・アーレント
:労働・仕事・活動の区別
→副業は「活動」への回帰であり、
失われた公共性の再生の場たりうる
本業だけでは足りない時代の正体
本業だけでは足りない時代、副業が加速する時代の正体とは、暮らしていけるかどうかの経済的問題と同時に、生きている実感を持てるかどうかが問われている。生き延びるだけで約束された幸福ではないからこそ、生きていくこと、頑張ることに納得と充足の理由が必要となってくる。
現代における私たちと労働との関係、あるいは人間にとっての仕事と人生との関係。生活と経済の、その先、生きがいや満足、自分なりの人生と納得、そして人類の幸福と希望とは?
1】経済的な生活の足元が確かでない
・正社員で手取り月20〜25万円以下が珍しくなく、
都市部では家賃と税で消える構造
・将来への資産形成(貯蓄・投資)に手が回らず、
「現状維持がギリギリ」
・子育て、介護、老後など
ライフステージのリスクを想像する余裕すらない
➡ 本業だけでは現在も未来も守れないため、
副業で補わざるを得ない
➡ それでも副業は不安定かつ労力過多、
再生産可能性(=翌日元気に働ける体制)を奪う
2】夢・生きがいの回路が本業には閉じている
・業務の効率化・成果主義・KPIで、
「やっても評価されない」感覚
・人間性や創造性が発揮できる領域が狭く、
情熱が空回りする構造
・やりがい搾取や過剰な責任を背負い、
本業そのものに幻滅
➡ 副業にこそ「自分で選べる仕事」
「人と直接つながる実感」を求めるようになる
➡ 労働=生きる喜びの源泉ではなく、
苦役からの逃避の対象に変化
3】内的理知感:社会に役立っている実感の希薄化
・本業での仕事が「誰のために」
「何を変えているか」がわかりづらい
・替えの効く労働に自分が埋もれていく感覚
・長時間働いても未来に残らない虚しさ
➡ 副業で「自分の言葉」「創作」「つながり」「表現」によって、 “知的・感情的な他者貢献”を再構築しようとする試み
4】資産状況・安心感:見えない不安に蓋をして働き続ける
・可処分所得が減り、現実的には
貧困予備軍である人が中間層にも拡大
・雇用・医療・老後への制度的安心が揺らぎ、
一寸先が不安定
・投資・副業・自営・SNSなど
“自分でどうにかするしかない文化の広がり
➡ 社会に支えられている安心ではなく、
自分の身体・頭脳を搾って今日をしのぐ緊張と疲労の積み重ね
本業+副業の生活は、決して挑戦的な理想の働き方だけとは言えず、深刻な枯渇の時代における個人の生存と意味の防衛線であり、社会的に課せられた自己責任論の兆候だと言える。
枯渇の内容→副業に求めるもの
経済:生活維持の資金、貯蓄→実利収入の補完
意味:やりがい、貢献の実感→想像性・自己表現
安心:社会制度、老後の保障→自力の安心感・自活能力
理知:社会との繋がり、知性→他者との対話・知的共鳴
個人的フリー立場に脱走した人が副業を本業にしていく夢事業として輝き、仕事が夢を実現させるべきものになった、という文脈は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の中に思い出すが(14歳のハローワーク)
現代の副業は、かつかつの心身に対して少しでも足しになればと個人が尽くす苦肉の活路であるし、そのような経済状況や給与状況を労働者に強いていく社会構造の話でもある。
セミリタイアや早期リタイアに関する条件は、資産的な安心安定を持つからこそ給与所得に縛られずに自分の好きなことを仕事にし、好きなことを学び直す自由(としてのFIRE)である時に輝き、心身の状態における継続の困難や不健康性から選ばされるべきことでは決してない。
昭和的に言えば、新卒で入った会社を大事にする当たり前の価値観から、転職してスキルアップして通用する自分になることが前提の現代では、個人も会社に尽くす気は弱いが、会社や社会が個人を守る視点も排除されやすい。
個人事業や副業の多くは、会社の看板ではなく個の看板で生きていく個人に、それを求める社会と求められる個人の成功例であり、社会構造において弱者が作り上げられると同様に強者も作り上げられる試験場といえる。
自己責任を生み出す政治的な放置、その上でセーフティネットも張るが、余裕ある中間層を作ることが社会政治の役割であるとは言える(納税・生産性・出産)
ネット時代は個人時代で副業時代、それは大きな夢と挫折の時代であり、孤独のエンジンの時代だし、個人の理知感や継続や習慣の時代と言える。


労働の中で疲弊していく個人、という言葉から想起したのは、私自身が正社員雇用の間に得る事が出来ずにセミリタイアに向かった経緯を表すし、個人の内的理知感としての人間性であり、それを得たい自身と他者の可能性の余地についてを思い出すし、労働の中で疲弊する個人はなかなか構造に気づかない。
副業が経済的問題であり、やりがいや挑戦楽しみ的問題もまた現代性や政治性であり、その発露で露出であり、労働や社会活動が、個人にとって何であり、構造にとって何であるかを提示する。
前回の脱出=夢を見た個人と副業だが、結局はそれも構造内で回収される。前々回も同じ、基本的な個人は構造の中、そして必ず内的理知感を有する。
経済的に報われないことが頑張っていないわけではないし(構造の中の個人=孤独なエンジン)、やりがいや夢希望余裕を持てないことが個人のやる気の問題だけなわけでもない(資本主義のラットレース)、でも現代のそうした様相に対する視点があるだけでも内省は変わるし、自分の気持ちが変わればすこしの生活の一部や気の持ちようが変わる。
働く読書習慣シリーズとして始めた一連の記事の概要が繋がってきたのがわかる今回、社会的文脈の中には必ず個人の理知感があるし、必ずその個人は社会構造の中に閉じ込められる、ゆえにその輝きが価値になる。
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