G-40MCWJEVZR 「都会と犬ども」マリオ・バルガス=リョサ - おひさまの図書館
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「都会と犬ども」マリオ・バルガス=リョサ

偏愛評価

 私の海外文学の始まりは光文社文庫と池澤夏樹氏によるのですが、特に後者の全集の中でも好きだった「楽園への道」からマリオ・バルガス=リョサに入り、「チボの狂宴」「悪い娘の悪戯」「緑の家」と既読数は少ないのですが、好きな作家さんだなと安心して読んでいます。本作は長編処女作にあたり、最高傑作的に呼ばれる「世界終末戦争」については未読、他の作品についてもこれから読めるのかと思うと楽しみです。こう読むとやはり読書歴の乏しさ、働いていた時間と期間の長さを感じます。
 著者は2010年にノーベル文学賞受賞、1936年3月23日生まれなので現在87歳。

 本作はペルーに実在する士官学校レオンシオ・プラドを舞台にしており、著者自身も主人公格のアルベルトと同様、父親に叩き直されるために転入させられているという事実もある。同級生相手に卑猥な小説や気になる女の子へのラブレターの代筆でお小遣いを稼ぐ様子から、作中のアルベルトは”詩人”という通称でクラスメイトからは認識されており、その対比としてみんなから”奴隷”と呼ばれる少年等をして、そのあだ名からクラスでの立ち位置や力関係がわかるようになっていて、そのあからさまがそのまま人物印象になることが創作性でありテーマ的で良い。
 詩人と呼ばれるアルベルトと奴隷と呼ばれるリカルドの二人を主軸に進みながら、同級生の中では無双の腕っぷしで上級生にも引けを取らないジャガーと呼ばれる少年を始め、脇を固める”ボア””赤毛””ヤセッポチ(蹴ラレポチ)”などなど、少年らしい安直さで特徴を捉える。

 二人のテレサを挟む複数の少年の視点や、複数軸の視点でもって創作的に一作を練り上げる作風は本作からも見て取れ、エピローグに置かれた後日談としての台詞場面の仕掛けもまた作為性に溢れていて好感が持てる。
 中盤以降突如主要人物になっていくガンボアは軍人として、作中ある種の将来や規律として存在し続けるが、その行く末は僻地であり、彼の判断をどう思うかはテーマ性を思わせるし、ことあるごとに突き付けられる力関係や現実的な様相は最後まで作中と現実に存在する。所詮男らしさや社会の中での生き方のそれと対比するように、ガンボアに多くを独白するジャガーも、それまでの同級生視点では想像しえない半生や内側の吐露を余すことなくしていき、物語を終着に織り上げていく。
 このあたりの明確なテーマ性と、わかりやすく閉じていく結末への流れは処女作ならではの青さなのかなとも思われる。解説にあるように主人公格の詩人の特徴は著者に酷似しているし、ただそのようにして作者と作品を重ねることもまた読者の青さともいえるし、人生を賭して書いてきた作家に対し私はまだ多くを読めていないので、ここではまだ私の青さでしか語ることができない。

「そういうとこだよ、おまえはやつに腑抜けにされちまったんだ」
 ~~~~~~~~~~~~~~~
「おまえは一度も殴り合ったことがないんだろう?」
「一度ある」
「ここでか?」
「いや、むかしだ」
「だからつけこまれるんだよ。お前が臆病だってことはみんな知ってんだ。なめられたくなけりゃ、ときたま殴り合わなくちゃ。でないと、一生カモにされるんだぞ」
「僕は軍人になるつもりはない」
「おれだってそうさ。だけどここにいるかぎりは、軍人とおんなじさ。腕っぷりが強くなけりゃやっていかれない。鋼鉄のキンタマを持ってないとだめなんだ、わかるか?食うか食われるか、それしかない。おれは食われたくないね」
「喧嘩が好きじゃないんだ」と奴隷はいう。「好きじゃないというより、やり方がわからないんだ」
「それは習っておぼえられるものじゃないさ。度胸があるかどうかの問題だ」
「ガンボア中尉もそんなことを言ってたね」
「ほんとうだよ。おれは軍人になるつもりはないけど、ここにいると、揉まれて一人前の男になれるんだ。どうやって自分を守ればいいのか、世の中がどういうもんなのか、そういうことがわかってくるんだ」
「だけど君はあまり喧嘩しないじゃないか?それなのにいじめられることがない」
「いかれたふりをするからさ。とぼけて相手を煙に巻くのさ。なぶり者にされないためには、これもけっこう役に立つね。とにかく、なりふりかまわずにやるしかないんだ」

 上級生から下級生への洗礼は辛辣なものがあり、同級生や寝起きを共にするクラスメイト同士の関係もまた、今日の日本の感覚からはかけ離れた暴力性と知性によって狭い寄宿校内で確実に存在し、逃げ場はなく、保護者も監督者の目も届かないその世界で生き抜く上でのすさまじさ、その中で過ごす詩人や奴隷の二人の上記引用上の会話はほんの導入に過ぎない。
 青春の苦さと薄汚さの濃厚がある、仲間と学びと未来や背伸びがある、そして別れがある。ペルー、リマ、遠く離れた外国の地であろうと10代の男の子の素養はあまり変わらない、どの程度の乱暴かの違いだけだ。そうして晒される暴風の中、一人一人はみんな自分の青さの中にいる。

 「そういうことを聞いてるんじゃないんだ」と大尉は言った。「あとあとの影響についてだよ。考えたのか?」
「ええ」ガンボアはこたえた。「かなり重大なことになるかもしれません」
「重大なこと?」と大尉は苦笑した。「あの部隊の責任者はおれで、一組が君の指揮下にあるのをわすれたのか? けっきょく、ことの責任を負うことになるのは、このおれたちなんだぜ?」
「ええ、それもよく考えました、大尉殿」とガンボアは言った。「おっしゃる通りです。困ったことです」
「昇進はいつ?」
「来年です」
「おれもそうだ」と大尉は言った。「試験はかなりむずかしいし、ポストの数は年々すくなくなってきている。ここらで、お互い腹を割って話そうじゃないか。ガンボア。君もおれも、これまでの経歴は申し分ないんだ。汚点ひとつものこしていない。ところが今度のことで、おれたちはまともに泥をかぶることになる。あの生徒は君を信頼しているようだ。会ってよく話ををしろ。とにかく説得するんだ。今度のことはこのままわすれたほうがいい」
 ガンボアはガリード大尉の目をじっとみつめた。
「素直にお話ししてよろしいでしょうか大尉殿」
「おれも率直にしゃべってるんだ。部下としてでなく友だちのつもりで君に話してるんだ」
 ガンボアは手にしていた書類を棚にもどしてから、数歩ガリードの机に歩み寄った。
「昇進は私にとっても、大尉殿と同様、とても気になる問題です。私はここに配属された時、あまりうれしいとは思いませんでした。生徒たちといっしょだと、やはりなにか軍隊とはちがったものがあります。ですが、陸軍学校で学んだことがあるとしたが、それは規律の大切さです。規律なしでは,なにもかも堕落し、だめになってしまいます。わが国がこんなありさまになっているのは、規律も秩序もないからです。この国で健全さと強さを誇っているのは軍隊だけです。しっかりとした仕組みと組織の賜物です。もしアラナが殺されたことが事実で、酒や試験問題の売買やそのほかもろもろのことがほんとうだとしたら、私はやはり責任を感じます。真実をつきとめることが。私の責任だと思います」
「少しおおげさすぎるんじゃないか、ガンボア」大尉は幾らか困惑して言った。アルベルトとの面会のときとおなじように、部屋のなかを行ったり来たりしはじめた。
「何もすべてに知らんぷりを決め込もうと言っているわけじゃないんだ。試験問題や酒のことは、むろん、処罰しなくちゃならん重大なことだ。しかし、軍隊で真っ先にたたきこまれるのは、男は男っぽくふるまわなくちゃならんってことだ。われわれはそのことをわすれてはならないと思う。そして男は、酒を飲み、タバコを吸い、女を買う。そういうもんだ。生徒たちは見つかったら放校されることを承知の上でやってるんだ。すでに放校された者は何人もいる。みつからない連中は利口な連中だ。男は危険をおかし、大胆でなければならない。軍隊とはそういうもんだ、ガンボア。規律だけではない。豪胆さや知恵も必要だ。しかし、ま、こういう議論はほかの日にいくらでもできる。いま心配なのは、もうひとつの問題のほうだ。まったくばかげた話だ。だけどもばかげた話でも、大佐の耳までとどいたら、ただじゃすまないからな」
「おことばですが、大尉殿」とガンボアは言った。
「自分が何も知らなければ、部隊の生徒たちがなにをやろうと、それはかまわない。この点に関しては、私も大尉殿と同意見です。しかしながら、話を聞いたいまは、それを見過ごすことはできません。もしそんなことをすれば自分も共犯者になってしまいます。不穏なことが行われてるってことが、今わかったわけです。フェルナンデスの話だと、連中は今まで陰で、私をいい笑いものにしてたってことになります」
「あいつらもいっぱしの男になったというだけの話だよ、ガンボア」と大尉は言った。「この学校に入ってきたときには、連中はまるで女の子のような坊やぞろいだったじゃないか。ところが今は、どうだ? みんないっぱしの男になったじゃないか」
「もっと男らしくさせてやりますよ」とガンボアは言った。「調査が終わった段階で、必要とあらば、部隊の全員をひとりのこらず将校会議にかけてやるつもりで」
 大尉は立ちどまった。
「まるで狂信的な神父の話を聞いているようだな」とほとんどどなるように言った。「君は自分の将来を台無しにしたいのか?」
「軍人は自分の任務を果たすことで、軍人としての将来を閉ざすようなことはありえないと思うのですが、大尉殿」

都会と犬どもp305

 この二つの引用の間には、生徒たちの三年間の寄宿学校の生活が描かれ、しっかりと物語の経過が感じられて長編小説の魅力があるし、それを受け持つ監督側の立場がここから描かれ始めて、生徒たちの世界から大人の男性社会へのスケールアップが始まる場面であり創作的だ。

 そこで描かれるのは暴力と均衡の世界であり、規律と不平等の世界だったり、時勢と権力の世界だったりもし、子供と大人の世界であるし、男と男の世界でしかない。
 甘い考えを持ち、弱さを見せれば足を掬われ、晒されては笑い者にされ、曝されては不甲斐なく落ちぶれてたとしても、体面は崩さずに自分で生きるしかなく、そうして生きる上での軸が何でどう定まっているかの生き様を常に晒し続けており、基本的にはそれらは全て醜態である。
 本作は、見下している友人への嫉妬に駆られて抜け出して駆けつける恋の話であるし、生き様で将来を棒に振る中尉の顛末でもあるし、袋叩きにされても味方側に立つ友情の話でもあるし、誰にも信じてもらえない落胆続きの人生の告白は幾度かすれば最終的には清々しく、力を持たない者の呆気なさが子供時代から大人社会までもを通じて描かれる。
 それらはすべて単純な力関係であり、十代の彼らも、組織の中に身を置く彼らにしても変わらず、男は社会の中でただ構造の中の一つに過ぎず常に戦いや風にさらされ、たまに友情や信頼や気骨があったりするが、結局ひどく不器用で傷つきやすく、それを受け入れて胸を張ったふうに生きるしかない弱さと強さもまた、一生その身一つで生きるしかない男の子の感傷を思わせる。
 軍人養成の寄宿学校を舞台に据え、このように男性性の世界や内側を描くということはあまり鑑賞したことがなく新鮮だったが、独白や綴ることの内的な回顧が既に男性的な要素ではないとして捉えてみると、こうした特異な作品が執筆される価値について思わされる。ほんとうに恐ろしく自分の人生に関係がない、世界のどこかの誰かの物語が、胸を占めてすぐには離れない心地、これこそが創作物や文章から成る文芸作品の価値であり、例えばこの一冊を読んでからでは、弱くて不器用で傷つきながらも見栄を張って生きている男の子に優しくありたい心地がする。普段は女性の生きづらさについて考えてしまうが、珍しく男性の生きづらさについて考えた。そしてこれは勿論身体的な性別に終わらず、精神的な意味の男性性やそれを加味した女性にも及ぶ。
 少なくともその想像や思慕は内的な価値だ。

 手法的な意味での視点の工夫や興味は常に創作的な意欲を感じさせるし、その産物としての多軸により複合的に一作を作り上げる著者の作風は、必然的にモチーフやテーマに厚みが出て、単純ではない準備や素材により読者の内省が進み胸中や思索で広がる読書ができるところが個人的に好みなのだと思うが、想起の対象としての文学性を豊かに備えているその作品が魅力的なのは私だけではないと思う。ノーベル文学賞と言われるとまだ私にはわからないので、さらに読み進まなければならないと思うのだけれど、私はこの作家が好きでこの作品を読めてよかった、と思う素直を大事にしていきたいし、書けた、と思えるようになりたいが、それには項を譲ることになったことが残念でならず、やはり私はこの作家をまだ青くしか書けない。

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