G-40MCWJEVZR 大勝利受賞作『しろがねの葉』はデビュー作『魚神』の完全昇華 千早茜①直木賞はつまらない作品にあげるものなのか? - おひさまの図書館 解説 あらすじ
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大勝利受賞作『しろがねの葉』はデビュー作『魚神』の完全昇華 千早茜①直木賞はつまらない作品にあげるものなのか?

文芸作品

 直木賞はその作家のつまらない作品にあげるものなのか?のテーマ企画に、真っ向から反論する2022年の受賞作『しろがねの葉』。処女作からの作品的昇華、作風的な大成功を目の当たりにして成長性に驚いた。作家はこんなにも良くなる!を目の当たりにしてください。
 13年前にこの作品でデビューした作家が、この作品で直木賞を獲ったんだよ、というストレートな勝ち方をぜひ味わって欲しい。これは1冊では太刀打ちできない読書体験。

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相当面白かった、成長を感じる圧巻の受賞作が受賞作微妙を打倒する

多作と軸足が定まらない著作列、千早茜ってどんな作家?

(2009)【『魚神』】第21回小説すばる新人賞受賞、第37回泉鏡花文学賞受賞
(2010)『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』短篇集
(2011)『からまる』短篇集
    『あやかし草子 みやこのおはなし』短篇集
(2015)『森の家』短篇集
(2013)『桜の首飾り』短篇集
    『あとかた』短篇集 島清恋愛文学賞受賞、第150回直木三十五賞候補
    『眠りの庭』短篇集
(2014)【『男ともだち』】第151回直木三十五賞候補、第36回吉川英治文学新人賞候補
(2016)『西洋菓子店プティ・フール』短篇集
    『夜に啼く鳥は』短篇集
(2017)『人形たちの白昼夢』短篇集
(2018)【『クローゼット』】
    『正しい女たち』短篇集
    『犬も食わない』尾崎世界観と共著
    『わるい食べもの』 エッセイ
(2019)『神様の暇つぶし』
(2019)『さんかく』
(2020)『透明な夜の香り』第6回渡辺淳一文学賞受賞
(2021)『しつこく わるい食べもの』 エッセイ
    『ひきなみ』第12回山田風太郎賞候補
(2022)【『しろがねの葉』】第168回直木三十五賞受賞
    『こりずに わるい食べもの』エッセイ
(2023)『赤い月の香り』(透明な夜の香りの続編?)
    『マリエ』
(2024)『グリフィスの傷』短篇集
    【『雷と走る』】中篇

 吐きそうなほどの多作が気持ち悪い。2009年デビューから15年で24作と3冊のエッセイ、デビュー直後は短篇集ばかりで、近年は長編が多い傾向。
 1979年生まれ。デビューは30歳、4年後に初直木賞候補、その9年後の43歳で直木賞受賞。
 デビュー作こそ泉鏡花文学賞も受賞しているが、その後は吉川英治文学新人賞、山田風太郎賞ともに候補どまりで、やっと直木賞を受賞した感がある。本屋大賞ノミネートはデビュー作『魚神』(119位)『男ともだち』(19位)『透明な夜の香り』(16位)→続編の『赤い月の香り』(210位)と振るわないが、SNSではたまに見かけるので現代的なニッチを掴んでいる印象がある。完全に女性性に特化しており、エンタメ的ご都合設定な部分もその性別世界観を含むので全性別的な作家性を期待する個性ではないが、独創に繋がるなら個人的にはそれで問題ない。軽さも重さもあるし、テーマ的であるとも思うし、創作的な丁寧も感じる、中間小説的な立ち位置は間違いなく確保。

 受賞作を読み、どうしても思い出すデビュー作。
 「直木賞はその作家のつまらない作品にあげるものなのか?」今企画の発端となった窪美澄は、デビュー作のすばらしさに対して、低下した受賞作に落胆したからだったが、今回の千早茜に関してはデビュー作を完全に乗り越えた素晴らしい受賞作で、個人的にはそれだけで全力の拍手を送りたい。自分の個性や特徴を武器に、成長し特化して貫く強さの価値が私は好きだ。

 デビュー後は微妙に感じた手広さや、コンパクトな短篇集や気軽なエッセイでの多角的な手法は 、現代的な柔軟さと、基盤づくりであり商業的なブランディングにつき顧客の掘り方とも感じる。
 本質的にはそれらは作家の仕事ではないと私は思うので、小金を稼いで著作列を薄めるのか、本質を貫いていく筆致に価値が出てくるのか、食べていける基盤を固めた後の経過を見たい。あるいは、これくらいの作家でも今は手広くしないと食べていけないという映し方に則した器用さに過ぎないのだろうか。
 それでも定期的に本質的な長編を書く、というスタンスが見て取れるので、本筋である長編小説を待ちながら、真っすぐと進むこの作家性を期待して待ちたい。まだ四十代、女が枯れるのか濃密になるのか、その先に生きる年月や創作は何を求めてどう形になるのか、その憧憬と志向性を見つめる対象としては非常に面白い、現代的な作家の一人だと思った。最高打点はいつ、どこになるのか、直木賞企画を始めなければ忘れていた、受賞作を読めてよかった。

デビュー作『魚神』に見る個性

 発売は2010年ということで、私はちょうど20歳か。新聞広告か何かで新人賞受賞作品として目について読んだ記憶があるが、中身は勿論うろ覚え。夜の匂い、血の匂いが印象的な作家で、遊女や妓楼、薬や拷問、幼少期や幼心からの男女の友情や初恋の芽生え、年下の”私”から見た年上男性の力強さと若年男性の若さ幼さとまぶしさ、構築された平和を壊す事件性に映るテーマ性、受賞作にも関連するモチーフ要素を思い出すので、この作家の得意道具なのかなと感じる。濃密な世界観は常にここではないどこか、受賞作ではそれを国内のある時代のある地域に題材採り書いたが、デビュー作では和と中華が折衷した孤島にある遊郭に生まれ育った兄妹のような二人と地域に残った伝承性を扱った、力強くも儚い作品だった印象。
 面白く読んだし、稚拙さはあれど世界観はある作家だなと思った。この頃にはもう国内の女性作家に独自の世界観や筆力は期待出来ないし、純文学的な狭さの十代ないし現代における恋愛以外の要素を書いている作家がまず稀だという印象すらあった。その中で著者は印象的であったけれど、非現実的な世界観で何冊も突き通す実力や気概があるか不明な中、デビュー後は短編集で脇道に逸れて非現実性を童話や連作で埋め始めたのを見て、商業出版や現代における作家性の発揮の難しさを感じたり、結局は本質を失くしてありがちな作家性に流れてしまったのだなと諦めの心地でその著者名が響くようになった。
 ただ受賞作による個性の昇華を受けると、処女作にはその作家の多くがある、と感じられて輝くし、その真骨頂を乗り越えた時にその作家の進展性と成長性が見て取れる。その意味で作家の処女作はそれだけで読む価値がある。一冊では見えてこないものが二冊で見えてくるとき、一作の批評性とは異なる評価軸でその作家性を問える。その場合に作品と作家の楽しみ方は多角的に可能だ。

受賞作『しろがねの葉』に見る世界観の確立

 2022年の作品、直木賞受賞、本屋大賞180位、商業的に奮ったかどうかは不明だけど、装丁も題名もこの作家の中では地味だ。それくらいに装丁が目を引くものも多いし、業界的にも愛されている方の作家さんだと思う。その期待を受けてこういう作品をきちんと書くのだから良いし、頼もしいし、それに受賞させるのだから直木賞の株が上がるというもの、素晴らしい。
 Xにて近年の印象的な直木賞受賞作について、東野圭吾の『容疑者Xの献身』や河崎秋子『ともぐい』などが触れられたポストを引用したが、受賞作にこれぞと思える作品を並べることができる貫禄がその賞の信頼と存在価値を高める唯一の方法だとすれば、本作に受賞させた功績は大きい。なにせ中間小説としての出来が良い。

 夜目が利く少女ウメは、ある日を境に生まれた村や両親のもとを転がり抜け、山中をさまよった先で天才山師の喜兵衛に拾われ、銀山と鉱脈に生きる男たちの里に住み着く。男の働き方、女の暮らし方、双方の苦しみと悲しみの死に方。時は戦国末期、関ケ原から徳川の支配が強まり鉱山の利権と主流が移り変わる中で、喜兵衛も年を取る、ウメの身体は成長する、そして内側で花開きくすんでは尽きていく命と想い、銀脈に群がって暮らす人の里に渦巻く病や涙の積年と生気。

 まず読む前に、受賞作が時代小説であることからして、これは著者王道の作品性で勝負した結果の受賞が素晴らしいなと感じた。読了は処女作のみだったが、非現実性な憧憬が強い作家の印象があり、それはつまり現代における現代的な作品ではなく時代性や伝承説が強いことの表れであり、特にそれは商業面において現代小説が担う特徴とは言えない。先行的にはアニメや漫画などのサブカルチャーがかろうじて担える虚構性ではあるけれども、国内のそうした古典的要素を現代商業として歓迎し許容する向きを私は感じないし、個人的にも趣向を惹かれるものは一切ない。
 例えばそれは、手塚治虫の作品であっても仏陀などの要素は古めかしく感じるようなことに似て、日本のサブカルは基本的に現代性や先鋭性で、特にSFなどの先進性がある虚構性が好きだし群がるといった印象に近く、日本独自の大和的な要素であるとか、先住民的な要素は明るく好まれる要素ではないと感じる。古代的なものに憧れるような落ち着きや発掘性は現代にはないし、恐らく今後もない。
 ただ前回に触れたようにして、近現代における歴史や時代的モチーフを扱った歴史・時代小説の価値や普遍性を考えた今とすれば、それを扱う創作性の価値も受動も同様であるが、それが大々的に売れるかどうかの商業性は全くの別で、推す必要性は感じるが全般的に歓迎されて受動される気はしない。やはりどこか埃をかぶった古臭さを感じるから、特に極めて美麗な創作性や戦略がないと商業的成功は難しく感じる。
 ただ、作家が自身の世界観や形にしたい虚構性や創作性があるのなら、商業的な大衆他者を慮るそこには空虚しかないのだから、一定の世界観の強さや濃さを持った作家は勿論それを大事にすればいいし、著者はその典型に感じる。女の情念、血の赤さや黒さ、息の生温かさ、薬や景色の爽快さ・解放感など作風モチーフは正統派に処女作から伸びて、それで直木賞受賞と言うのが素晴らしい。
 本作もまた、売れるし誰もにお勧めだということの出来るたぐいでもないのが複雑だが、デビュー作からわかる自分の個性を大事にした結果、数年後にものにした作品で、受賞した、その創作的な展開や現実的な獲得が素晴らしく感じるし、このスタンダードを感じてほしくはある。受賞作も重みと暗さがあるし、ある意味で中間小説的、エンタメ的な明るさも痛快さもないし、文学的とも思わないが絶妙な、とても直木賞的小説なんじゃないかと感じた。 

 女性に寄り過ぎな作風ではあるが、人類半分が女性なので、別にその枠のために書くだけでいいと思うし、特化は価値だ。男性からすればあんまりな部分が本作のテーマモチーフでもあるが、そのホラー要素も女性作家的要素にも感じるし、生命や女のドロドロしい所なんて男が見て面白いものであるはずもないし、それが真実や共感として迎えられるならその表現は重要。ご都合主義的な所、途中あれと思う部分がないでもないが、それはそれ。
 丸くなったし、膨らんでもなお、鋭さや濃さが失われていない所が良いし、自分が書きたい世界観やモチーフがはっきりしているのが良い。現代商業的、多くの読書的に好まれるモチーフや雰囲気でなくとも、その作家ならではが書ければいい。
 性別やご都合主義で言うと、『ザリガニの鳴くところ』と類似する要素として、女性の生き方、自然界や男女の性差や暴力と生命、ある種のクライムと創作的整合性等が見てとれるが、あちらの主人公は内心怯えながらも独立闊歩、1人でやり遂げる強さを秘めたヒロイックだったが、本作の主人公はあくまで自然や性別や里の文化を受け入れて、生来の勝ち気を徐々に失い許容的素養に染まっていく受動的な女性性で描かれており、日米の女性像や生物観の違いが図らずも見えて面白いか。そう考えると『ザリガニの鳴くところ』はとてもじゃないが日本人作家には書けない作品だなと改めて感じた。スケールもだが、まず感性が違う。

「ザリガニの鳴くところ」2年連続米国で最も売れた小説、という触れ込み
全般的に物凄く魅力的な作品に仕上がっている。特にこの生命力と、作品性の豊かさは目を見張るものがあるし、ある死体の発見からクライムノベル的なフーダニットが存在するが、本作のリーダビリティは圧倒的に主人公の少女カイアが親に捨てられ、兄弟にも逃げ...



 鉱山やその金脈と病、短命な男と、その働き手を生む女は三度嫁ぐ、等といった要素をモチーフに採り、テーマ性も割と深く、時代素材への着眼と密接に結びついた男の短命と女のたらいまわしの現実と肉感は、この著者の虚構性とマッチしているし、自分の素材を見つける着眼と表現モチーフの選択も抜け目なくて、全編に張り巡らせてある設定と表現は隙がなくバランスが良い。よくできた端正な虚構創作の上手さを感じるし、それが軽薄までは届いていない。
 題材等はほぼ史実通りらしいが作中ではそこまで触れないし拡げて扱っではおらず、あくまで設定上の題材に過ぎない。普段の私であればもう少しそこは社会的にテーマ的に扱ってしかるべしとか言いがちだが、この作家や本作に限って言えばそのような無駄に欲深いことはしないで、自分の武器と魅力を貫いて、変に欲張らずに肩ひじも張らないこのままでよかったと思う。確かに題材モチーフで社会性や歴史性を採ってこの作家が書くということは、非現実的な作風に芯が入り、歴史や時代題材こそがこの作家の進むべき道だったのかもしれない、と本作を読み始めたが、扱い過ぎていないことがむしろ良かったので、私の評価軸はまだまだだったとも感じた。
 誰にでも書ける、誰もが扱うべき題材を、どの作家やその作家までもが書くべきなわけではないのだ。その作家の特性を大事にしないで社会性や商業性に飛びついても、結局は光らないだろうこと、それを今回強く感じた。

選評も忘れずに

北方謙三「前候補作と較べて、眼を瞠るような変貌を示していて、心が動かされた。これほど濃密な小説世界に入りこむと、ただ導かれるまま、心をふるわせるしかないのだ。」「小説の結末をどうつけるかという課題は残したが、全体としては迫力充分で、受賞に値すると私は思った」
高村薫「もともと女性を描くことに長けている作者だが、銀山の歴史的伝承や銀掘りの作業の詳細など、多くの資料を読み込み、十分に消化した上でこなれた物語に仕上げているのは、まさしく小説の才であると同時に、テーマとの幸運な出会いというものだろう。銀を掘り出す坑道の圧倒的な暗さ、冷たさに作者が感応して初めて本ものの文体が生まれる。」
林真理子「最初から強く推した」「文章の美しさにまず魅了された。」「銀山には早死にする男たちばかりで女たちは三度夫を持つ、という設定も面白い。そうした中で彼女(引用者注:主人公)は、初めて山に入る女になる。この描写が素晴らしい。
三浦しをん「冒頭と末尾の神話的語りをより響かせるために、主人公のウメがもう少しファンタジックに(本作が持つ小説本来の呪術性の方向へ)飛翔というか飛躍してもいい気がした」「だが、間歩の深い闇、銀山そのものがウメなのであり、その世界は決して狭くはないのだという選考委員のみなさまのご意見をうかがい、たしかにそのとおりだと得心した。」

 みんな見る目があって安心した。
 東野圭吾がいなくなって、代わりに三浦しをんが加わっていて、頓珍漢なことを言っていては??だった。

直木賞から考える文芸商業、文学性

 現代における中間小説や読書というと、直木賞は立ち位置が難しいなと感じる。エンタメの割に売れず、売れ過ぎても軽薄で、文芸の割に筆致の鋭さも形式の数多もないし、純文学の狭さはやるせない。
 直木賞企画から、ふと読む作家や思い出す作家が増えて、昔の私は国内作家もすこしは読んでいたことが最近わかる。それにしても今は中断しているように海外文学が好きだし、本質的には現代も商業もそこには関係がない。
 ただ感覚としては現代における読書や商業文芸も大事で、中間小説の扱いは難しいが、このあたりの作家が売れないと読書は始まらないし膨らまないと感じるので 直木賞受賞作家がその後も価値や成績を書く、それも受賞作の出来と共に大事な焦点になる。商業性、作品性において、その伸び率は重要。

 今回は受賞作が素晴らしく、処女作に見た魅力を最大限に伸ばした作品が受賞していて嬉しかった。直木賞の受賞作はつまらない、の仮説を危ぶませる『しろがねの葉』特に女性にはおすすめです。ただ非現実性が強いので、逆に現代的な作品はどう書くのかと、次回は現代性を感じる作品を3作、装丁から選ぶ『雷と走る』初の直木賞候補になり落とされ、吉川英治文学新人賞の候補までいった『男ともだち』、特殊な設定の『クローゼット』。
 もしかして、受賞作以上の作品が他に見つかるかもしれない、そう思えばやはり読書は楽しい。

最後までお読みいただきありがとうございます。
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