G-40MCWJEVZR 【図書】現代人と読書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」「読書は鼻歌くらいでちょうどいい」三宅香帆、大島梢絵 - おひさまの図書館
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【図書】現代人と読書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」「読書は鼻歌くらいでちょうどいい」三宅香帆、大島梢絵

文芸以外

 空想に逃げる時間は勿体無いし、勉学に励む挑戦も困難で億劫だし、明確にお金を稼ぐお得な労働で日常を流す毎日に負かされていく。
 読書の幅は視野の狭まりなので、最近は文芸以外も月間テーマで3冊と決めて読んでいます。4月は読書をテーマに『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』『読書は鼻歌くらいでちょうどいい』『デジタルミニマリスト』の三冊。今回は先の二冊レビュー。社会人の読書習慣、働きながらの読書、という私の主題と合致しました。

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社会人と読書習慣、という私の主題

社会人と読書=労働と読書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆

 発行は2024年、このタイトル、初めて目にした時からばっちり胸に突き刺さった人も多いのではないだろうか。読書好きだった著者は社会人になったらお金を稼いで本を読もうと思っていたはずが、新卒一年目から気づいたら読書ができなくなっていて、三年目で退職に至った、という導入からして共感が凄い。
 働くことが自己実現になった現代の私たちにとって、労働に必要なのは情報であり、読書はノイズ(=不必要な文脈・コミットメントや効率の邪魔)である。
 を中心テーマに、日本の労働と読書との歴史を紐解きながら現代に近づいて、現代性と読書を考える一冊。非常に面白く読めるし、「なぜ人は働きながら読書ができないのか」は現代社会人には共感と納得のテーマであるし、それとともに並走する坂本裕二監督が脚本を務めた大ヒット映画『花束みたいな恋をした』を全編に渡って引用し、引き合いに出しながら、明治や昭和に遡って年代順に日本人にとっての読書と労働についての関連を探る本書。


 余暇の使い方、電車通勤とスマホの登場、自己実現が仕事に集約された現代、労働にとっての情報と読書の違い、読書のメリットと応接間のファッション、平成を代表する作家はさくらももこ!?、サラリーマンの話題と処世術と駆け上りの坂の上の雲的主体性や希望、或いは資本主義と家族との時間や自分にとっての幸福、ファッションとしての読書本棚・趣味読書=知的階級のたしなみ~中間層の躍進のための欲望、主婦女性のカルチャースクールや教養的側面としての読書、などなど非常に興味深く読める。
 司馬遼太郎が流行して売れに売れた時代のテレビの影響と大河ドラマ、ビジネスマンとにとっての息抜きや時間ね潰し方と文庫本の流行、2000年代の「好きを仕事に」自己実現社会と、故に始まる内面真理~行動実現~バーンアウトなど、内外における働きすぎの傾向、古い時代における読書と教養、階級社会と明治時代からの成功の確変等の時代要素も面白い。
 近代で言えば、労働して社会に実存する『コンビニ人間』や推し文化から見る趣味に生きることの『推し、燃ゆ』などの引用や紹介もきめ細やか。

「コンビニ人間」村田沙耶香
主人公は36歳、独身、女性、コンビニでアルバイトをしている、その歴18年。 「推し、燃ゆ」「星の子」に続いて発達障害気味の主人公がまた一人。読書再開後手に取った5冊中3冊に出てくるとは現代の小説の主人公は発達障害が流行りなのかしら、と思って...
「推し、燃ゆ」宇佐見りん
現代の芥川賞作家の価値とは?  あまりにも拙い文章が続いて、これは外れか、と落胆した。それが  長いこと切っていない足の指にかさついた疲労がひっかかる。外から聞こえるキャッチボールの音がかすかに耳を打つ。音が聞こえるたびに意識が1.5センチ...

 読書の立ち位置は遍歴があることを切々と深掘りしていく著者は、現代史における読書と労働の関係から、自分がなぜ働きながら読書ができなかったのか、を探していく。著者の素直な悩み、ここにまず納得の理由と、人は皆そうなのであるという安心と合致を求めている傾向を感じるが、素直な納得を探す追求、私はそれでいいと思う。ただ、その心地で自分の納得を本当にみつけ、言語化できたのか、そは自分のみならず他者や社会をも確信させるものになる鋭さを持つか、は以後に関わる。

 どの時代の社会人も同様に労働と疲労に置かれていたが、現代は自己実現としての仕事が明確になっており、仕事に必要価値的な情報的な読書やビジネス書は売れるし読まれており、特権階級に対するサバイバルの形、教養から見た時の浅ましさ等、かつては馬鹿にされた自己啓発系が獲得した現状など、現代性への言語化は鋭い。
 スマートフォンの登場で情報の濁流たるSNSという基盤と承認欲求の出現、現代における優先的死活問題化についても触れている。インスタント的な簡易受動的趣味、動画を含めた情報の利便性や簡易性としてのSNS・情報収集・承認欲求的欲望などという必要と価値要素には人間が欲する脳内物質、ドーパミンが味方するし、人類が求めて使ってしまう時間と労力、合理的に使うべき時間と労力に対して、電子を含めた読書という一冊に腰を据える要素、個人の勉強、趣味、知的好奇心、と、このあたりは『デジタルミニマリスト』に関わる、異なる主題であり現代病。現代的なそれが隙間時間や余暇や睡眠時間を奪い、あたかも最上で最高で人生的でビジネス的だと思わせ、ある意味でそれは正解だし、逆に小さな1冊は究極的に閉じていて、その相対的な道具としての1冊と1デバイスの関係には趣がある。

 歴史的な転換と現代人の生活様式、置かれている文化的社会的立ち位置、その上での読書という知的・能動的・勉学的なものと、SNSやファッションや承認欲求や受動動画的なもの、それら「他者」や「他者と自分」とは別の、個人としての「自分」の培養としての理知感や他者知性の集積、その邂逅。
 基本的な読書の立ち位置、現在地、そして作りたい未来。ここを著者は、一緒に作りたい新時代の働き方としての「〇〇」という提唱だが、個人的には都度の鋭さに対し落着は弱く感じた。
 労働は全力、個人と人類社会にとっての個人の理知感と勉学がいかに人類社会になるか、個人の理知感の価値と幸福、人類の理知感の価値と幸福、それらとして見たときに、余暇や〇〇と言った要素を題目に掲げるのは個人的には納得度が弱いし、私もフルタイム卒業する時に「ゆるふわ」という言葉を使ったように、一旦の脱力は必要でも、その後に来る再構築が必ず必要で、その際の明確な「キーワード」がこそ他者の価値観や社会に変容を促す鍵になるし、その核心の筆致は個人的には本冊子からは得られなかった。ただ、誰かも同じように働きながら本が読めなくなるよね、みんなそうだよね、時代を遡ってもそうだよね、それにしても余裕が出来たら本が読みたいよね、と安心しながら、読書にまつわる歴史的エピソードに触れられるし、新観点もえられて楽しかったことは違いない。
  他者の理知感の集約に触れる読書、やはり価値。
 そして私のテーマもまた、現代人の読書週間であり、労働と読書、個人にとっての読書と人類社会にとっての文学である、との再確認をした。非常に面白かったし刺激的、この言語化をしてくれた作者に拍手。

 

現代人にとっての読書『読書は鼻歌くらいでちょうどよい』大島梢絵

 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」が、社会人=労働と読書についてであるとすれば、「読書は鼻歌くらいでちょうどいい」は読書趣味のイメージアップと実践編になっている。
 読書が現代人にとっての空想的な逃避や偶像性であり、ファッション性や自意識における知的・遊的な特権的な趣味になっている側面が映し出されていて面白いし、だからこそ挑戦や実践が触れられているのが興味深い。時間的、経験的、金銭的にハードルが高いと感じる者に気軽に始めるための実践編として、「本を読みたい」を前提とした全編と、「本を読む価値」に迷わない側面は良いし、ある程度の「本を読む余裕がある」事も前提としているのも興味深く、その余裕とは先に挙げた時間・経験・金銭等となっているはずだが、本書はその辺りにも強く触れない。あくまでほのぼのとした優しさで読書を楽しむ個人飲食店経営の夫婦が、かつて本をきっかけに親しくなり、今や読書会を店で開くまでに至った読書習慣のステップアップやSNS時代における活動や遊び方の幅までを見せる。
 働く日々を送る上で読書ができない理由の固定観念を柔らげる、読書に対するイメージを明るくアップさせる印象が本書の魅力なのは間違いなかった。

 4月の3冊の中では1番最初に本書を読んだ。体調を複数回崩していた今年の1月2月、起きていることもしんどくて布団に入っている時間が長く、寝て体力を回復する以外には動画を見て過ごすことが増えて、アニメ『進撃の巨人』や海外ドラマ『SATC』を一気見したりしていた。オープニングやエンディングは飛ばせるし次のシーズンもすぐに始まるしで、U-NEXTに至れり尽くせりで楽しんだ。ソファに座って本を読む体力がなく、寝そべって観られて、そのまま寝ることも可能なことも助かった。そうこうしている間に、読書って意外と体力を使うな、しんどいな、と思う気持ちが芽生えた時に、xで本書にまつわる投稿が目に入る。
「本はもっと気軽に読んでいい」
「読みたい時に読みたいところで読めばいい」
「1頁でも1行でも本を読んだら読書」
「本屋はふらっと立ち寄っていい場所」
「お金をかけなくても本は読める」
「スマホを持たずに出かけてみる」
「読書記録を始めてみる」
という実践編が並ぶもくじも可愛らしい。

 可愛い雰囲気のイラスト、読書を気軽にするテーマは明るい。私は常々読書界隈の魅力的なイメージやロールモデルがいないなと感じていて、その必要性は読者やその趣味のイメージアップに底知れない貢献をするし、印象値と実態が商業性や他者活動を呼ぶと思うからだし、変に教養だ素晴らしいものだと賛美するより、いかに魅力的で現代的な打ち出しをするかのが勝ちに直結すると思っているからで、そこに本書のイメージは明るかった。

 私も正社員フルタイムで働いていた頃は読書が遠かった。スキルアップや勉強も遠かったし、趣味興味の読書も弱いし、文芸読書なんてさらにそうだった。読書ブログを始めてさらに痛感し、当たり前だなと感じたことに、あまりにも現代人が社会に出てから読書をしないこと、文芸読書なんてさらにであること、がある。
 現代人にとっての読書が空想で現実とリンクしないものであったり、労働から卒業して時間ができたらしたいことくらいの距離に置かれているのも感じるし、得で無く楽では無いことには惹かれ無い。多くの人にとっても実用書や参考書など仕事の明確な価値になるものへの読書は優先順位は高いけれど実践的ではなかったり、それ以外の空想や他者世界的読書への必要価値も弱い。
 勉学も空想も、読書が現代人や労働から遠くなっている点は『なぜ働きながら本が読めないのか』が言語化しているが、その理知感に価値があると思えない状態と、易く安い無料の娯楽に溢れる時代に、アナログや閉鎖的な既得権的媒体に固執する理由もない。
 実存的ではない読書が現代人にとってもたらす明確なメリットとしてよく挙げられるストレス軽減やデジタルデトックスによる脳的隔離的な側面、生活の余裕や自己啓発的スタンス等の読書のファッション的側面、等現代における読書の在り方も考えさせられる。
 読書は教養なのか、勉学なのか、娯楽なのか、非現実居住によるストレス解消なのか、静かな知性の磨き方なのか、無駄に無駄を重ねる時間の浪費なのか、そして読書習慣のSNS活用は本質的なのか。
 すべての本は面白いから読むタイミングの問題だと言うタイプの人間のなにが信用できないかと言えば、個人的な評価判断を明言しないところだし、理知感でその価値まで届いていないのではないかという疑惑に尽きるが、ただ本書を読んで白黒明言つけたがる私との性格や姿勢とちがい、ふわふわ明るく優しく柔らかく享受する姿勢は正しく受動的。
 そこに響く『読書は鼻歌くらいでちょうどいい』タイトルは、働いていると本が読めない、読書よりも動画視聴のが楽だ、本を読んでも価値はない、読書には時間がかかる、といった固定観念を明るく柔らかくしてくれる。
 その本質的には「読書記録もつけなくていい」「SNS発信もしなくていい」と続くはずだが、それらをむしろ推奨する閉じ方が、著者が生きる世界で承認欲求と商売が垣間見えるところにも思ってしまうし、現代における読書をインプット・アウトプットに捉えたり、記録としてを含めてもSNS発信が活動や趣味の一環としてポピュラーであることも思い出される。
 読書趣味がSNS運用による記録や承認欲求とも結びついているし、そこでの交流や自己認識や他者承認と副収入に結びつくことが目的や本意になってしまっている側面もあり、本書からもそれを感じるし、読書それ自体の後に来るアウトプット前提であること、人生への還元ではなく日常への還元で楽しめたらよい気軽さとは別の動機を感じたりもする。
 社会人にとっての読書というテーマよりは、現代人にとっての読書趣味とは何か、という感じで、本書自体は口語体だから柔らかくて読みやすく、文章の密度も低く優しい作りをしているが、その薄さの中に見える現代人の読書が映すイメージアップの底知れない側面が思えて、個人的には、労働と読書の次に来るより近代的なもの、自己表現や自己承認欲求的な要素の系譜として読める。本書一冊だと弱いが、先と合わせて二冊で読むと発展的に感じた。

読書習慣は贅沢な脂肪?

 冒頭で触れたように、最近は非文芸読書を月3冊と決めて今年を過ごしていますが、御存じの通り私は読書ブログを書くために週に2.3冊前後の文芸読書も行っているので、そう考えると月間で何冊読んでいるのか、暇か、と今回ふと思い、それこそ現代的かつ個人的な読書への価値観に他ならないと感じたりもする。
 時短労働者になってからの私の読書習慣は、働きながら読書を可能にするにはどうしたらいいのか、をテーマにしてきた側面もあり、かつアウトプットとしてのブログ発信やX活動も含めると時間の使い方が膨大な気もしてきますが、そんな私の週5フルタイムで働いているときは読書が好きだったことも忘れていた。どの時代の社会人にとっても、働きお金を稼ぎ自己ステージをアップさせ、人生においての現実的な獲得や作り込みをしていくべきであり、空想に逃げる時間は勿体無いし、勉学に励む挑戦も困難で億劫だし、明確にお金を稼ぐお得な労働で日常を流す毎日に負かされていく。
 私は完全な老後にはテレビゲームと家庭菜園をすることが目標であるのですが、なぜそれを今からしないのは、今はそんな余裕はないしまだなにかしらを頑張るべきだ、と考えるからです。多くの社会人にとっては、まず頑張るのは仕事、学生にとっての勉学のように、或いは人生65歳全体で労働と生涯学習に埋め尽くされ、他者に貢献したいかするべしとしての金銭を貰いながら社会参加し続けることが誉、という社会枠組み的洗脳によるものなのかもしれないし、分かりやすい社会的な損得勘定と付随する欲求や強制なのかもしれない。
 その現実や堅牢な損得の中で、読書という自他の理知感の理解と満足でしかない幸福や興味がどんな価値になり輝けるのか。働きながらの読書、これはやはり私の第一のテーマだなと改めて感じました。
 ある意味で現実的な労働に対する脂肪で贅沢な時間の使い方、それを労働や社会は個人に許しがたく推奨しながらも嘲笑う側面に個人は判断がつかないが、計算高く行かねばと思う。文芸読書それ自体の趣味の裾野は限りなくニッチでも、働きながらの趣味や幸福を求める現代人の夢想や渇望は感じられたし、読書の知識や思考が自身や人類に与える深さや豊かさをさらに感じたい。

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