起業中毒か、それとも加速する心か?
ドーパミン・意味・物語倫理から読むニール・シーマン
Reading business and science through narrative ethics.”
ビジネスと科学を物語倫理で読む
<English summary>
This article explores Neil Seeman’s Accelerated Minds (published in Japan as Kigyo Chudoku), offering a critical perspective on startup culture critique and the psychological mechanisms behind entrepreneurial burnout.
While entrepreneurial behavior is often driven by dopamine addiction-the pursuit of novelty, risk, and reward-this neurochemical impulse alone cannot sustain long-term engagement. Instead, it often leads to instability and collapse, raising urgent questions about mental health in entrepreneurship.
To move beyond this cycle, the discussion turns to narrative identity and, more importantly, the narrative ethics of entrepreneurship. Entrepreneurs who endure are not those who rely solely on excitement, but those who construct meaningful inner narratives grounded in values, belief systems, and ethical orientation.
By integrating neuroscience, cultural analysis, and existential thought, the article ultimately reframes entrepreneurship as a narrative and ethical process-one that determines whether acceleration results in burnout or sustainable continuity.
本記事は、ニール・シーマン『Accelerated Minds(邦題:起業中毒)』をもとに、スタートアップ文化批判と起業家バーンアウトの心理構造を分析する。
起業家の行動はしばしば、ドーパミン依存(新規性・リスク・報酬の追求)によって駆動されるが、この神経的衝動だけでは持続しない。むしろそれは、起業におけるメンタルヘルス問題と結びつき、崩壊へと至る。
この循環を超える鍵として、本記事はナラティブ・アイデンティティ、そしてより重要な概念である「起業における物語倫理(narrative ethics of entrepreneurship)」へと議論を進める。持続する起業家とは、単なる興奮ではなく、価値・信念・倫理に基づいた内的物語を構築できる者である。
神経科学・文化・実存思想を統合することで、本記事は起業を単なる経済活動ではなく、「倫理と物語のプロセス」として再定義する。そこでは、加速が燃え尽きに終わるのか、それとも持続へ転化するのかが決定される。
本書は大きくは、
序盤:「起業家・ドーパミン・自殺」
中盤:「メタバース・暗号資産・ユニコーン企業・依存症ビジネス」
終盤:「宗教・プラセボ・ロゴセラピー」
序盤と終盤を結ぶテーマが著者の主題ではあるが、その正統性に加えて、中盤の論舌鋭い、著者が救いたい価値精神的な起業家とは異なる起業家文化の横行への怒りみたいなもの、が面白いのが本書のユニークさなのかなと。彼が救いたい「起業家」と、彼が蔑む「起業家」を分かつものは何か?
起業家の倫理と、倫理を持つ起業家を支える内的要素、あるいは外的要素のための本著、というロジックは正しい。
邦題の『起業中毒』は序盤のみを抽出したキャッチ―で、全体像としては不足。原題の「Accelerated Minds」本著の要点を1語で表している。
・起業家の心が何によって加速し
(生理・心理・文化・倫理)
・加速された心がどう壊れ
(依存・不安・孤独・リスク過剰)
・どこに回復があるか
(信仰・意味・物語・倫理)
翻訳タイトル『起業中毒』は悪くないが、本書の思想構造の厚みを表現しきれていないと言える。
「起業家の精神病理」「テック資本主義の暴走」「自己物語の肥大化」「意味・信念・倫理の回復」、心が加速するとき人間は拡大した自分として生き始める、この状態こそ起業家の中毒だと著者は見る。
98>起業家が目指すのは、たとえリスクがあろうとも、他の人々――理想を言えば、何十万物、何百万もの人々――が価値を見出すようなアイデアや製品を生み出すことだ。これはきわめて重要なことだ。起業家は真空状態の中では存在出来ないし、存在したいとも思わない。
~自分お仕事が世界に、そして自分が大切に思う人々に影響を及ぼすところを見たいと、起業家が思っていることだ。
~あなたが気に欠けるべきことは三つある。まずは自分自身、次に広いコミュニティに映るあなたの姿、そして最も重要なのは、あなたが最も気に欠けるべき小さなコミュニティに映るあなたの姿だ。

Accelerated Minds
=暴走する心と秩序化する倫理
『起業中毒』(原題 Accelerated Minds)
著者:ニール・シーマン(Neil Seeman)
日本語版訳:庭田よう子
出版:東洋経済新報社、2025年6月25日発売
ページ数:約274ページ
原題『Accelerated Minds』
直訳は「加速された心」から見れば本作は
人間の心的体系が内部からの加速圧によって変質することを指していると考えられ、
興奮・危機・依存・使命・意味・文化・倫理、
これらすべてが加速の力学のもとで変容する精神状態そのものだと指す。
「Accelerated」は速度ではなく負荷の増幅であり、
IT・スタートアップの「速さ」と共に、以下のような「増幅」へ転換していく
「興奮の増幅(ドーパミン)」
「期待の増幅(プラセボ)」
「危険選好の増幅(楽観性)」
「自己物語の増幅(意味・使命)」
「孤独と自意識の増幅(宗教的リチュアルの必要性)」
心が加速するとき、人間は拡大した自分として生き始める。この状態こそ起業家の中毒として扱う本作は、「宗教/信念/文化/倫理/意味づけ」などの体系としての中心を探りながら、後半の論点(宗教、祈り、ロゴセラピー)で「Minds」を内的物語として扱っていく。
最近の私のテーマ、物語に責任を持つ意思と最も深く接続するのはこの部分で、Accelerated Minds =自己物語が暴走する心と、それを秩序化する倫理の闘い、として読むと、この構図は私の批評や読書論の核と重なるなと感じた。
序盤①生物学的加速(脳の興奮系)
ドーパミンの過剰反応によって、リスク選好が上がり・考えの飛躍が多発し・睡眠が崩れ・直線的努力が持続しない、という神経生物学的加速が起きる。これが起こりやすい起業家の精神と生死を救うこと、がメインテーマ。
中盤②文化的加速(起業家神話・資本主義・テック文化)
スタートアップ神話、VC 資本の「加速装置」、テック界の宗教的自己暗示、「世界を変える」という道徳的興奮、“FOMO”(乗り遅れ恐怖)、常時接続社会の過負荷、これらが起業家の精神構造を倍速化させる。その一要因として「Web3/メタバース/暗号通貨」なども登場する。
終盤③霊的加速(意味・信仰・使命の膨張)
スピリチュアルな使命感や選ばれた感覚が膨張し、個人は自分の物語を過剰に拡大し始める。宗教的実践・祈り・倫理コンパス・意味療法(ロゴセラピー)が、この加速を沈静化し秩序化する役割を果たす、と語る部分は著者の主題。
起業家として自分の動機や精神状態を振り返りたい人、起業の心理的コストを知りたい人、起業支援者として起業家のメンタルヘルスをどう支えるかを考えたい人、に向けたニッチにも感じる本著ではあるが、私は思想書好き・脳科学・心理学と起業を掛け合わせたテーマとして面白く読んだし、そこには普遍の内的個人が外的世界でどのように生きるのか、の一つのパターンとしての企業かや頑張る個人が晒される現代或いは現実として読めた。
ニール・シーマンは、起業家でありながら公衆衛生・メンタルヘルス研究者でもある人物らしく、本著は科学的な序盤から始まる。
主なテーマ・論点としては、起業家マインドはドーパミン依存なのではないか、という切り口から、起業家精神の根底には神経伝達物質(ドーパミン)が大きく関与しており、一種の中毒(ドーパミン依存)であると主張を展開していく。起業家が成功の高揚感を経験したときのドーパミンは非常に強く、それが彼らを動かし続ける原動力になるが、逆にそのコントロールが乱れると精神的リスクも高まるり、その結果、最悪の結果に繋がる懸念を表す。
シーマンは起業家をざっくり2タイプに分けており、「快楽主義タイプ」は刺激・高揚感を重視、体験や興奮を求め、「価値志向タイプ」意味・ビジョンを重視し、自分にとって本当に大切な目的を追求する。
180>学生たちが苦労しているのは明らかだった。わたしの知る若い学生たちの多くが働きすぎていた。彼らは「粉骨砕身」していた。フルタイムで副業をしながら学業でも優秀な成績を収めようとしていたのだ。「在学中になにか新しいことを始めなければというプレッシャーが大きすぎて、上手く対処できない」。ある医学生はそう打ち明けた。彼らのsnsのフィードは、新奇事業を立ち上げた友人たちの自画自賛の投稿で溢れていた。学生たちは、何かを生み出したり、なにかにのりだしたりしなくて、しかもそれを大規模かつ迅速にしなくては、という大きなプレッシャーを感じていた。
この辺りは起業立国的な印象のある米国の、特に上層の極めて優秀な学生たちの局地的なエピソードだとはわかるが、地域差や社会レベルや風潮の違いとして印象深かったし、起業ブームが続く中で「起業=華やかな成功」のイメージが強調されがちだが精神的なコストが見過ごされているという問題提起を、ドーパミンなど脳科学的知見を起業家の心理状態に結びつけて分析しており、起業家のメンタルヘルスを支えるという意味で、起業家本人だけでなく起業支援者(VC、団体、教育機関など)にも示唆がある。
ただ、前半のドーパミン中毒やコカインやサイケデリクスや犯罪の実例などは一部の依存状態が強い起業家の例を強調しすぎにも感じるし、終盤の宗教やスピリチュアルな要素の登場と傾倒は、読み方によっては受け入れづらい読者もいるだろうし、地域や文化の違いを本著が超えて全世界の普遍的な起業家やその精神を救うかと言われたら少し難しいと感じたが、全体から見える著者の願いは明確で、その答えはどこまでも科学的で再現性は高い。
起業家は、才能ではなく自己調律(セルフ・レギュレーション)で生き残る。
ドーパミンによる高揚感を追い続ける快楽志向ではなく、外的要素に晒されながらも内的落差を管理し、価値と一致した行動を続け、才能で走り出し自己調律で生き残る。
終盤:ドーパミン中毒から多様な内的エネルギー被れへ
終盤では、ドーパミン以外にも個人内的を構成する要素として、幻覚剤やコカイン、宗教やプラセボ、ロゴセラピーや楽観主義と希望など、非科学的要素から科学的アイテムなどが多数登場する。文脈を主眼以外にも充足させていくことで、ドーパミン説明だけでは捉えきれない人間内部の多層的な原動力を大きく広げ、起業家メンタルの主題を「精神・文化・信念」の次元まで拡張していく。この部分が、本書がビジネス書とも脳科学本とも経済書とも何とも言えない独特性を持つ理由としての真骨頂なのかなと提言するここを中核としているように感じた。
ただ、アメリカ文化と日本人文化からすると、コカインや宗教と言われても少し距離を感じるが、これらが内包するのは内的な意味や倫理であることが見えてくる。
①幻覚剤・サイケデリクス(LSD、シロシビン) これらは脳の意味ネットワーク再編成し、「絶望・うつ・トラウマ」に対し人生の意味が再び生成される「感覚」をもたらすため、起業家が「世界の見方を一瞬で変える」体験の比喩として使うらしく、 知覚変容は行動を再構築する強烈な力として提示されるが、個人的には②とどのように異なるのかわからず無知。 ②コカインなどの刺激薬 ドーパミンの人工的な暴走を示す例として登場し、起業家の過剰活動・躁的思考・焦燥感が快楽性のパニックに近づく危険性の説明として登場し、快楽ドライブの危険な極端を示す参照軸。アメリカ映画とかでも気軽にドラッグ出てくるけど、ほんとかしら?と思っちゃう私はやはり日本人でバンビなのかなとも思ったり。 ③宗教・祈り・信仰 著者が重視しているのは意外にもここ。科学者だぜ?とか思っちゃうけど。 宗教的実践は精神を沈静化し、恐れや混乱を意味の秩序に変換し、価値や使命を明確化するとし、宗教的活動は科学的なドーパミンの議論では説明しきれない「内的物語(inner narrative)」の核心だとすら据える。 ④ プラセボ(思い込みの力) プラセボは科学的には「脳内で本物と同じ反応を起こす」ため、行動変容・自信形成・痛み軽減などに影響するため、起業家が信じる根拠なき確信のモデルとして登場し、「思い込み」は現実的な行動力を持つ、と据えられる。 ⑤ ロゴセラピー(意味療法) 人間が「意味」を見つけるととたんに回復する、絶望の真っ只中でも「意味があると思える行為」が行動を継続させる、とし、 起業家の精神力は意味を持つほど安定する。(快楽志向タイプと価値志向タイプの対象でもある) ⑥ 楽観主義・希望 脳科学では説明できない心理的持続力として登場。 希望の有無が行動持続時間を決定し、楽観性は意思決定でのリスク評価を歪めたとしても、起業家の行動の最強エンジンになる(メンタルヘルス的な要素の決定版)
序盤では科学的なドーパミンの暴走を説明するが、終盤では、人は意味で動き、信念体系で持ちこたえ、価値観で回復し、物語で自分を正当化する、という事実に向き合い始める。
ドーパミンだけでは起業家の危機と回復を論理的には説明出来ず、危機から回復する人間は科学と非科学を両方使うことで「行動・創造・持続」が起きるとし、化学物質・神経回路・信念・宗教・価値・意味・希望・プラセボ効果・内的物語などが必要=多元的な人間論として脳・文化・精神・意味に触れていく。
そこには、人間は興奮(ドーパミン)だけでなく、意味で動くし、それこそ持続可能なエネルギー源であり個人を支えて導くものだ、という主題が見えてくる。
特に終盤の人間理解の中心軸として据えられた宗教・祈り・信仰を、科学者が急に肯定的に扱い始めることに驚く、人間がなぜ動くかは脳化学だけでは説明できない。勿論ドーパミンだけでも同様で、意味・価値・使命という内的物語が行動の究極の燃料になる、というのは私のテーマとも重なるから、著者が「内的物語(inner narrative)こそ、宗教的実践が生み出すもの」と言い出しても、まあまあ輪郭は共感できる。
精神の沈静化としての宗教的実践としての祈り・読経・沈黙・儀式は、外界の騒音から精神を切り離し、認知的負荷を下げ、ドーパミン依存状態の暴走に対し、精神の減速(de-acceleration)として機能することにより、起業家のトップスピード状態(過活性)を安全速度に戻す。
この辺りは思考停止の快楽の瞑想などのようなナチュラルなイメージで良いと思うし、認知機能やメンタルに対する減速と捉えればいいはず。ただそこに人は物語や確信が必要になるので、その1例としての宗教が一つのアイテムになってくる。

起業家が最も苦しむのは「不確実性・恐れ・自己否定・方向感覚の喪失」などの精神的ノイズであり、宗教的実践の本質は、これらを一貫した意味の枠組みに再配置することともされ、「苦しみ→成長の試練」「失敗→道の一部」「孤独→使命の証」等のような転換は物語としての秩序を与える脳科学では説明不可能な領域とされる。
科学は「人がなぜ喜ぶか」「なぜ興奮するか」「なぜ快楽を求めるか」は説明できるが、人がなぜ正しいことをしようとするか、なぜ自分を律しようとするか、なぜ絶望のときに持ちこたえるか、などのような倫理・意味・物語の領域は科学だけでは説明できない。著者はこの限界を直視し、後半で宗教・神話・信念などを扱う事で、科学(神経化学)+人文(内的物語)の独自展開を果たす。
起業家の精神構造を最後に補完する鍵として宗教を持ち出すのは、ドーパミン(科学)では説明できない人間が立ち直る力の源泉を補うためであり、その完結は、意味・使命・物語の体系化によって、起業家が破滅を避けるために機能し、起業家は快楽の化学物質ではなく意味の物語で維持されると落ち着く。
起業家の精神を支える倫理・意味・物語の深層構造そのものは、私の内的個人の主題とも合致。
ドーパミンは「エンジン」、しかしエンジンはアクセルを踏み続ければ壊れるので、そこで登場するのが「宗教/プラセボ/ロゴセラピー/希望」であり、これらは一見バラバラだが、実はすべて「意味と信念」で行動を持続させる仕組みとなり、それぞれの要素が担う役割を整理すると 1つの精神モデルが見えてくる。
宗教・祈りが内的物語を構築する「世界観エンジン」として、恐れが秩序に変換され価値や使命の確立が為され、プラセボは自己効力感を生む「信念エンジン」として行動の初動やトライ開始のトリガーとなり、ロゴセラピーは苦難の意味付けを行う「耐久エンジン」として絶望中でも継続が可能になり、楽観主義・希望は長期行動を維持する「未来エンジン」として行動持続/不確実性への耐性となる。
これらはすべて脳科学(ドーパミン)では説明できない“価値・意味・物語”の層 で起業家を支える、という持論なのかなと。
世界がどんな場所か、自分は何を果たすべきか、苦難はどう位置づけられるか、これらはすべて宗教的世界観が与えるようで、そこに接続する理論としては、起業家は成功したいから動くのではなく、自分の世界観に沿って動くから強い、とした力学で、宗教はその世界観を最も強力に構築する、というような価値観が本書にはあった気がする。
人はドーパミンで動き始め、意味・信念・物語で生きり、起業家が倒れるのはドーパミンの暴走ではなく、内的物語の崩壊である。その内的物語を回復するのは「世界観(宗教)/信念(プラセボ)/意味(ロゴセラピー)/未来像(希望)」が再び結び直されたときであり、メンタルヘルスに問題を抱えやすい起業家のエコシテムを考えたときに、著者が救いの鍵にする要素が科学を超えてくる理由がここに集約する。
私の場合は、個人の内的な物語の構築と回復や幸福が「文章・思想・批評性・読書生活」であり、その構成要素が異なるだけで、著者の関心と私の主題は完全に重なるもので、面白い読書になった。
人間は何によって動き続けるのか、という永続テーマも見つかるし、やはりそこにも意味・信念・物語である、と思えたのは今回の収穫。ここに私は残念ながら、コカインやサイケデリスクや宗教を入れるつもりはないが、個人の内的物語の回復や維持と貢献を考えたときに、その焦点となるのが人間の核心であること、その価値観は共鳴した。知的生産・物語・社会人の精神インフラとしても、この辺りは相違なく、日本の社会人にとっても普遍のものであると感じる。そして全般的に物語や語りの倫理や責任にも繋がる。
「科学→心理→文化→倫理」という縦方向の階層を可視化が出来るのならば、これは著者単独ではなく私を含め普遍的な価値に成るのかなと思うが、起業家自身が興奮や快楽をメインに据えるかぎり単独でここに理解到達することはないわけで、発端の科学から最後の倫理までは途方もない距離を感じるが、私個人だけで言えば、読書習慣と個人内的エネルギー体系として理解は可能で、これらは単なるハックではなく、精神の再生可能エネルギーとしての読書という新しい定義づけが可能になる気もする。
中盤:メタバースや暗号資産、ウォールストリートへの批判?
著者は快楽志向の起業家や、彼らをそう急かす文化・エコシステム的現代環境を問題視しており、起業家精神がドーパミン中毒に陥る構造の批判の一貫で、スタートアップ資本主義(VC・巨大テック・過剰リスク文化)への批判も含ませる。
起業家の「加速」を生む要素として、起業家を焦らせる現状文化、メディア、投資家、などの起業家非エコシステムについても痛烈。株式との関係は耳が痛いが、ちょうどビットコインが値下げする現在もその行く末が気になるところで、本著では2020〜2022くらいの期間をよく扱っておりある程度リアルタイム感もあり、新書を読む価値も感じるなど。2024年の米国大統領選挙にてトランプ再選の期待と共に暗号資産も高登りが止まらず、2025年3.4月の関税関連で株・金・債券とともに下がった以外では、その2024年秋の沸騰時期の価格にまで下がっている現在、ビットコインに再興はあるのか?経済的、人類的価値や貢献の実態とともに、私は詳しくないので、サトシ・ナカモト関連の本が平積みされたりしてる書店をチラ見する。

166>メタバースをとそれを巡る騒動が、恐らくイノベーション劇場の頂点だった。
~NFTがマネーロンダリングや脱税に利用され、メタバースに投資家保護が欠如しているという懸念から、規制当局の調査対象となり、2022年に突如幕が降ろされた。メディアサイトの『ギズモード』は、NFT詐欺の経過を追って毎月記事にするようになった。テクノロジー大手のメタ、Google、アップルが手綱を引き締め、メタバース関連の雇用機会は2022年4月から6月にかけて80%も減少した。
<けばけばしい見掛け倒しの現象>
~新しいNFTが作られると、詐欺師が価格を釣り上げて売りさばき、裏付けとなる価値と実質的に結びつきの無いトークンは無価値になる。ザッカーバーグはメタバースをインターネットの未来であると宣言したが、開始から数か月で100億ドルを使い果たしただけだった。価格を吊り上げて、お祭り騒ぎをして、投げ売りする。それが2021年にメタが示した企業モデルだった。
暗号通貨への崇拝は、この「イノベーション経済」の変化のひどく悪質な例である。2008年にサトシ・ナカモトと名乗る人物が、ビットコインの仕組みを説明したホワイトペーパーを発表して幻想を生み出した。ビットコインをはじめとする暗号通過は、現在ウォール街(批判的な人たちからはコインストリートと呼ばれている)やシリコンバレーでもてはやされている。だが、暗号資産は、それに投資した多くの人々の生活に打撃を与えている。暗号通過の販売者は、何もない所から生み出される安全性と富、反政府的な暴言、希望的観測を約束する。最近、金メッキされたスタートアップアクセラレーター(アクセラレーターとは、スタートアップや起業家のビジネス拡大を支援する企業や組織)であるYコンピュータが支援する、デジタル通過プラットフォーム、ステーブルゲインズは、米ドルに連動するとされる多様な安藤通貨を保有する口座を宣伝した。「ステーブルコイン」として知られるこうしたデジタル通貨は、他の暗号通過よりも変動が少なくなるように意図されていた。ステーブルゲインズは、普通預金口座の米国平均金利0.07%を大幅に上回る、年率15%というありえないような利回りを約束した。2022年5月9日、ステーブルゲインズは顧客に、ステーブルコインを米ドルに連動させるという実態はもともとたなかったが、米ドルとの「ペッグ解除(デペッグ)」によって人々の資産が失われる可能性があることを簡潔に通知した(もちろんTwitterで)。多くの顧客が、それまでの蓄えを失った。
このけばけばしい見掛け倒しの現象が、2017年から2020年にかけて公開資本市場で別の形で展開する光景を、私は見ていた。たとえば、華々しい成長ビジョンをおおざっぱに説明しただけで、実質的な情報は何も含まれていないニュースリリースを出すことで、経営幹部が常日頃から市場で「株を動かす」ところを目の当たりにした。収益が落ち込んでいる時でさえ、彼らは注目を集めるようなニュースリリースを発表し、それをうけて株価が上昇するのを期待できたのだ。続いて、個人投資家層も悪質な行動をとるようになった。2021年には「ミーム株(やはり株)ブーム」という新たな現象が現れた。これは、ウォール街が見限った後悔企業に個人投資家が資金を投入し、その株価を人為的に吊り上げた後に、現金化するという現象だ。ウォール街とメインストリート(実態経済)の双方で、強欲さがこれほどあらわになったことはかつてなかった。
プレスリリーズやミーム投資家の啓示場に外でも、私が投資家になってからというもの、記憶にある限り、ここ数年の間程金融やテクノロジー関連のメディアが「時価総額」に注目するようになった時期はない。「時価総額」とは、企業の株価が発行済み株式数を書けたもので、現代の投資家の多くは、上場企業の金銭的価値をこの数値で判断している。だがこれは、時間を経たのちの将来の価値について全体像を伝えているわけではない。起業家精神とは、理想としては、自分の所属するコミュニティにおける現実の問題を解決すること――それに、はっきり言えばそれに見合った報酬を得ること――を目的としており、市場価値そのものを目的とはしていない。
「かつてのシリコンバレーは、半導体(のような製品)で、つまり革新的で影響力のある技術で利益を上げていた。こんにち、AIがどうのこうのと言われているのは‥…騒ぎ過ぎの戯言だ。それはバブルであり、イノベーションの妄想の一種だ」
170>ユニコーン企業を生み出している、ベンチャーキャピタルが資金提供する民間の市場では、パンデミックの最初の2年間、目を覆うばかりの低俗な行為が横行した。金融メディアで報道されている内容とは裏腹に、ベンチャーキャピタルが資金提供する企業パートナーの多くは、たいてい短期的な思考でビジョンが小さく、何かを創りあげるのとは対照的に、ビジネス戦略として買収を追求する。彼らはしきりに、新たに流行している特別買収的会社(SPAC)に事業を売却したがる。頭が切れるSPAC支援者たちは、規制が緩やかなSPAC経由の上々ならば、収益がほとんどあるいはまったくなくても、強気の財務予測で投資家を引き付けられると主張する。この論理が、イギリスの電動バスメーカーであるアライバルSAの台頭と急落を引き起こした。同社の創設者デニス・スベルドルフは、三年以内に収益はゼロから140億ドルに成長し事業は軌道に乗る、と豪語した。この見込みは、初期のGoogleさえ上回るペースだ。その大言壮語を裏付けるものはほとんど何もなかったというのに、アライバルSAは2021年3月にSPAC経由で上場を果たした。それから1年もしないうちに、同社は支出を削減し、数千人の従業員を解雇し、スぺルドルフが「より保守的な見方」とする方針を打ち出した。
>現代社会派起業家のことを、ベンチャーキャピタルの莫大な資金でスタートアップ企業を立ち上げる人々だと定義するきらいがある。しかもメディアは、若きテック起業家やスタートアップの成功は、その洞察力によって業界全体に革命をもたらす孤高の天才に注目しがちだ。現代的な定義は不正確であるばかりか、多くの問題を引き起こす。
小規模ながら影響力のある金融メディアや新興テクノロジーメディアが描くイメージピッタリの起業家たちは、新しい物を立ち上げて人々を雇用するという基本的な基準を確かに満たしている。だが、それは起業家の活動のほんの一部にすぎない。まず、メディアが思い描く分野や起業家の年齢は、適切ではない。事業の創業者は働き盛りの年齢であることが多く、事業の財政的成功と存続期間は、その事業に関連した経験と正の相関関係の傾向が見られる。起業家はあらゆる分野に存在し、人間の活動の全領域に渡る仕事に関心を抱いている。
>投資家エコシステムが、ドーパミンによる衝動性というリスクを抱える起業家たちの不健全な活動を助長していると思うかと、わたしはジョンに訪ねた。
~「ベンチャーキャピタル投資家は、金融メディアで取り上げられ、成功しているように見える人たちに引き寄せられ、その人々が見せびらかし、やっていることがベストプラクティスだと主張する。彼らは際限のない楽観主義を大いに好み、それは成功した起業家全員に共通するとよく話している」
~このような考え方が創業者たちに与える打撃には目もくれずに、投資家は彼らに対し、その見せかけを維持し、楽観主義を正当化するよう厳しく駆り立てる。世間では、若くしてあっという間に成功を収めた起業家の物語が好まれる。それは「現実感のないでたらめ」だとジョンは言い放った。
174>ビジネス報道は、「大きな勝利」と「大きなスキャンダル」という2つのレンズを通して、起業家の世界を解釈する。広い意味での企業文化の健全性については、ほとんど注目されない。たとえば、投資成果の配分の偏りが深刻化しているという事実は、見過ごされやすい。スポティファイ、エアビーアンドビー、テスラなどの起業の桁違いの成功については訊くが、それらがめったにない事例であることや、新規株式公開(IPO)や投資大手企業による買収、あるいは大企業が金融戦利品の大部分を獲得しないことでここまでたどり着いた、という話は聞かない。そのため、何千ものスタートアップ企業が、資金調達を巡って熾烈な競争にさらされる。その多くが、素晴らしいアイデアを持ち熱意ある出資者がいるのに挫折したり、多大な努力を投じた割にささやかな利益しか上げられないという状況に陥っている
より健全な起業エコシステムを構築するために何が出来るだろう?
248>より健全な起業エコシステムを構築するために何が出来るだろうか?
〜たとえ哲学的な慰めや、精神的な充足、禁欲主義、忍耐などを重視し実践しようとも、属するコミュニティが逆の価値観を評価するならば、私たちはやはり傷つきやすいままだろう。
94>煎じ詰めれば、起業家とは現状を改善できると常に信じて疑わずに、新しいアイデアやイノベーションを生み出す人々である。彼らは物事をより早く、より良く、より効率的に進める方法を絶えず追い求めている。問題を解決して、自分たちのコミュニティに永続的価値をもたらすことに生きがいを感じる。たいていは、落ち着きがなく、危機として常識に逆らい、大言壮語と言えるほど自信満々であることも珍しくなく、口頭でも文章でも攻撃できな物言いになりがちだ。彼らのマインドはたいてい、素晴らしいアイデアや理想を抱いてフル回転し、過熱気味である。不確実性やリスクに対して平均以上の耐性を示し、意思決定に至るまでのとてつもなく複雑な過程を楽しむ。
~独立して仕事をすることを選ぶ起業家を数多く見てきた。それは、彼らが、必ずしも独立志向の持ち主だからというわけではなく、どうやって上司とうまくやればいいのか、どうしたら命令を受けることに適応できるのかを知らないからだ。彼らは、強みではなく弱みのために、起業家として活動して生きることを選ぶのだ。彼らのキャリア選択に繋がる弱みとしては、他に次のようなものが挙げられる。自己中心的傾向、不安になり易い、注意力散漫になり易い、競争心が強い(兄弟姉妹間の競争が理由であることが多い)、過剰なまでに称賛を欲求する、または、物事を1つのやり方(自分のやり方)でするように求める強迫的な性格、などである。
起業家の世界、起業家のメンタルヘルス、として捉えると狭義に感じるかもしれないが、それは社会をよりよくするための個人として普遍に眺めてみると、決して狭義ではない。
今日を生きる、社会を生きる、一人の個人の志向やアイデア、そしてその継続性や健全性を支えるシステムや環境はどのように構築し、維持されるのか。それは同じ社会や今日を生きる個人や一員として考える必要や価値があるのではないかと思える。頑張る個人、アイデアのある個人、それを支える文化や社会や他人がいても良いし、その方が優しく賢い。
252>起業を研究するイェルマン・マシュー、フランチェスカ・メリロ、ピーター・トンプソンが『ストラテジック・マネジメント・ジャーナル』紙に2021年に発表した研究は、主にベルギーの起業家を取り上げているが、そのほか地域にも適用できる。この三人の研究者は、起業家が事業に失敗して賃金労働に戻った場合に収入が激減するという、現在よく知られる現象を深く理解しようとした。彼らは行政データを活用して、通常の仕事に戻ったベルギーの企業かと、一般のベルギー人の従業員の賃金を比較し、5年後には従業員の収入がもと起業家の収入を27%上回ったと指摘した。
この研究では、所得格差の60%は労働時間に起因すると結論付けた。もと起業家たちは、恐らく新事業を再び立ち上げようとしたために、労働時間を短くすることを選んだのだ。所得格差の残りの40%は、もと起業家に対して不信感を抱く雇用主側の偏見によるものだと思われる。雇用主は、彼らが職場に定着するとは思っていないのだ。上級幹部を採用する人材担当者も、この見方に同意する。企業再生のリーダーを迎えたいとする企業側にとって、自分が立ち上げた会社を退いた創業者が非常に魅力的な人材を映るケースは滅諦にない。人事担当者から見たら、素人がちょっと試してみたとか道楽でやったことが失敗に終わったという程度の経歴しか、大半の創業者にはないのだ。
この辺りには共感と追念…


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