(1999)
観る者による補完性が強い作品。
作品が鑑賞者に見せるのではなく、鑑賞者が作品に見るものが多いので、完成度ではなく、強い鑑賞体験で語られる作品かなと思う。
映画を観るようになってアメリカの広大な国土性を感じる作品が続く。
既に周囲の介助が必要な年齢と身体に差し掛かった主人公が、運転免許がもうないので、時速8kmの芝刈り機に乗って560㎞離れたウィスコンシン州に住む病気で倒れた兄に会いに行く、という困難の物語に潜む人との繋がりや、決して交わることのないそれぞれの人生と孤独をはらんだ、密やかで物悲しく大胆な作品だ。
1994年に「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された実話を基に作られている。
私は長く映画を愛してきたフリークとは違い、最近動画サブスクをきっかけに観始めたくらいなので、有名な映画監督の名前は聞いたことがあっても作品群を言えはしない人が多い。デヴィット・リンチという名前も聞いたことはあるが作品はよく知らない。
本作は監督の脚本作品ではなく、作品性の多くが監督のものではない。その上で監督の作品群を眺めていくと、ホラー等怖い感じの作品が多いようで、毛色が違うのだろうなという感じはしたし、その監督観や作家性は捉えられていないだろうなと思いこれを書き、彼が以下で語るような志向性の作品性について興味を持つくらいには面白く観られた。
2006年「イングランド・インスパイア」を最後に映画監督引退を表明。変化する映画界にあって「例え素晴らしい作品であっても、多くの映画が興行成績でうまくいっていない」現状があるにせよ「興行でうまくいっているような映画は自分がやりたいと思うようなものではなく、私は作りたくない」と心境を明かした
73歳の老人アルヴィン・ストレイトは娘と暮らしているが、足腰が不調で杖なしでは歩行が難しく、家で倒れても娘やお隣さんの介助を含めて生活している。ある日、遠方に暮らす兄が倒れたと報せが届くが、不和により数年前から会っていないし、兄が住む所までの距離はおよそ350マイル(約560km)。しかしアルヴィンは芝刈り機に乗り一人で旅に出ると宣言し、周囲を困惑させる。
恐らくこれが自分と兄との最後の邂逅になること、老い先短い自分の最後の旅になること、周りが心配する理由も無謀さ等も、はっきりと分かりながらのその旅路を、私たちは見ることができる。
当初、芝刈り機に乗った旅、ロード・ムービー、という説明からの印象で私が抱いていたイメージはポップで明るいものだったので、本作の冒頭からそういう作品ではないのだと裏切られた気持ちで観始めるが、本作が辿るこの静かで物悲しい旅路は、老人の人生そのものである。
まず、無免許なのでたぶん更新できないほどの老体が、しかし満足な歩行も出来ないので、長距離をトラクターで560kmの移動をする、という設定。これは実話であるが、前提条件と実行内容のハードは説明からわかる。
トラクターの故障や修理しか描かれないが、主人公の心身への疲労も相当なものだ。それでも主人公はひたすら長い道のりを懸命に進む。
歳を取るということは過去の蓄積を持つということで、その視点から若者に語れることや、騙されない強さがあったりもするが、同時に、どうしても忘れることの出来ない経験やトラウマを抱えながら今も生きて、そして自分の世界の死を間近に感じ、ゆえに愛おしいと感じる他者と家族がいることが感じられる。
私にとってまだ死や老いは身近ではなく、人生についてもここまでの半生を持たない。この映画を楽しむには私はまだ若いのだ、ということを明確に感じる。
と同時に、この作品性や主題に魅力や意味を感じて監督を引き受けた老人の気持ちもここに重なる。
老年の振り返り。そんな静かでニッチな作品性に魅力を感じるには、私の人生には何の深みも振り返りもないから、この作品やその作品性への魅力に深く感じ入る感性に乏しいのだと感じたし、この作品に魅力を感じた監督の思いや、この作品がお気に入り作品になる人には、もうそうした長く深く愛しい半生の記憶があるのだろうなと思う。その羨ましさを思えば、歳を重ねることの魅力も少しわかりもし、放っておいても重なる年月に何を重ねて暮らしていくのかを改めて思いもした。
観る者の記憶の質と半生の重みが問われる作品。
「The Straight Story」題名がとても良い。
その流れで、この設定上を上手く使い、魅力的な画面で見せて、商業的な大衆性で作り上げることは恐らく容易なはずなのだ。
しかし本作はそうした路線に作られておらず、ジャンルがアドベンチャーになっているのが不思議なくらいに老齢の静謐な物語、悪くいえば静かに退屈な物語になっている。
抑えられた魅力といえば聞こえはいいし、凄味を感じさせる部分はもっと作れたし、いくらでもエンタメにも出来た。けれども、どの辺に監督の個性や実力が出ていて、何を目指して作り上げた才能の個性と、個人の限界が出ているのか、私には判断がつかない。監督の作家性と技術の晩年が許す作品性とは何で、本作はなんだったのか。まず本作を楽しむために、他の監督作品を観てみたいと思ったし、「興行でうまくいっているような映画は自分がやりたいと思うようなものではなく、私は作りたくない」という発言が、その上で自分の作家性や映画というジャンルの創作性からの逃げからではないのだと実感したい。
私にとって映画は基本的に商業や大衆性と作品性や完成度の評価軸なので、その意味で本作は決して高い評価や感度で見られたとは言えない。しかしそうした評価軸で作られたものでも観るものでもないと感じるので、本作はこれでいいのだと思う。故に誰もに勧められる作品ではない、けれど誰もが老年に抱える時間と孤独であり、そこに歩む私たちはいつかこれを観てもいいし、観なくてもいい。観た記憶が一つの癒しになるとは思う。
その意味で私たちが本作に見るべきなのは、主人公の旅路や人生ではなく、自分自身の人生や、監督のそれなのだ。
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こういうので560㎞、すごい話。
簡易商品の日本とは文化が違う。
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