G-40MCWJEVZR 文学はあらゆる境界を越えられるのか――デイヴィッド・ダムロッシュと世界文学を考え直す/Can Literature Cross Every Border? Rethinking World Literature with David Damrosch/Latin American Literature, Translation, and World Literature (4)ラテンアメリカ文学・翻訳研究・世界文学 - おひさまの図書館
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文学はあらゆる境界を越えられるのか――デイヴィッド・ダムロッシュと世界文学を考え直す/Can Literature Cross Every Border? Rethinking World Literature with David Damrosch/Latin American Literature, Translation, and World Literature (4)ラテンアメリカ文学・翻訳研究・世界文学

World Literature

<English Summary>
This article is part of my ongoing series on Latin American literature and world literature.
 Rather than treating Latin America as a regional curiosity, I see it as one of the forces that transformed twentieth-century literature by challenging the dominance of Europe and redefining how literary value travels.
 World literature is not simply a collection of famous books. It is a dynamic process of translation, circulation, comparison, and reinterpretation across cultures.
 In this article, I explore David Damrosch's World Literature Lectures at Harvard University through the lens of a broader project on Latin American literature and world literature.
 Damrosch's discussions of Murasaki Shikibu, Bash, Higuchi Ichiy, Haruki Murakami, Kazuo Ishiguro, Yoko Tawada, and many others reveal that world literature is created not only by writing, but also by translation, publishing, migration, and cultural exchange.
 The book also raises larger questions that continue to shape literature today:
・How does a work become "world literature"?
・What happens when literature crosses languages?
・Can national identity survive global circulation?
・How should we read works produced between multiple cultures?
 For me, this book became less a guide to Japanese literature than an invitation to rethink literature itself――not as a fixed canon, but as an ongoing conversation between languages, histories, and civilizations.

(この記事はラテンアメリカ文学と世界文学を考えるシリーズの一部です。私はラテンアメリカ文学を単なる地域文学ではなく、ヨーロッパ中心の文学観を揺るがし、20世紀文学を変えた重要な力として考えている。)
 世界文学とは、有名な作品を集めた一覧ではない。翻訳・流通・比較・再解釈によって文化を越えて動き続ける営みそのものである。
 本記事では、デイヴィッド・ダムロッシュ『ハーバード大学ダムロッシュ教授の世界文学講義』を、私自身が続けているラテンアメリカ文学・世界文学シリーズの流れの中から読み解く。
 ダムロッシュは紫式部、芭蕉、樋口一葉、村上春樹、カズオ・イシグロ、多和田葉子などを比較しながら、世界文学とは作品そのものだけではなく、翻訳、出版、移住、文化交流によって成立していることを示していく。
 そして本書は、現代文学において重要な問いを投げかける。
 ・作品はどのように世界文学になるのか。
 ・翻訳は文学をどう変えるのか。
 ・グローバル化の中でも国民文学は成立するのか。
 ・複数文化の間で生まれた作品はどう読むべきなのか。
 私にとって本書は、日本文学の解説書というより、文学そのものを考え直すための一冊だった。文学とは固定された正典ではなく、言語・歴史・文明のあいだで続いていく対話なのだと感じた。

 

 周縁はいかにして世界になるのか。
 ラテンアメリカ文学は、ヨーロッパやアメリカとは異なる歴史と文化のなかで生まれた作品群として、中心から語られてきた文学観を揺さぶり、新しい物語の可能性を示すことで20世紀の世界文学を大きく変えた存在だとすれば、その文学性は一地域の文学であると同時に、20世紀後半の世界文学を考えるための重要な衝撃ということになる。個人的なテーマとして、その本質をマジックリアリズムでも地域紹介でもなく、①ラテンアメリカの歴史と文学性理解/②20世紀後半の文学的転換(非ヨーロッパ)/③海外文学を楽しむための翻訳流通/④翻訳と出版による文化伝達/④周縁から世界文学へ至る経路
 などから、21世紀の文学を考えるための参照軸や発展性を考えることが出来るのではないか、というのがこのシリーズの現在地となっているのかなと。今回はその④

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『ハーバード大学ダムロッシュ教授の世界文学講義 日本文学を世界に開く』デイヴィッド・ダムロッシュ

 これ、驚くほど読み易くて、適切な語句と翻訳という感じがするのは、学生に向けた講義やテキストであることが想定されているのだろうか? 力はいってる感じがする。
 樋口一葉や紫式部、果ては松尾芭蕉などが丁寧に説明される過程は読み易いし明晰。こちらは日本の大学における講義だからこそ日本に要所をしぼっているため、日本人読者には読み易いが、語る側の各国そのほかへの造詣の深さとはどれほどのものなんだろうと気が遠くなる感じがした。世界文学という言葉が、まず正典ではなく広さや流通(認識・概念)と比較(共通・批評性)であるという観点からすれば、その広域把握や造形と批評性が肝になるのだろうとはわかるが、個人の限界と聡明が色々思われるところ。
 ダムロッシュ関連の書籍は今回が初なので、おそらく邪道なものから読みはめてしまったのだけれど、日本もここまで語ることが出来て、各国も同様なのだとしたら恐ろしいなと思うなど。
 樋口一葉とジェイムズ・ジョイスの切り口など比較文学性があると言えばそうだし、色々。

 以下、冒頭部分、本書の成り立ちのルーツ、説明から。
 そこで登場する「沼野教授」は、先日Xでポストした沼野允義さんのことだと思われるし、本著の監訳者としてお名前がありました。ナボコフは20歳ごろに『ロリータ』『賜物』を読んだだけで、調べると専門はロシア・ポーランド文学だそうだし、そこから世界文学や現代日本文学に関連していく方の様子。個人的には関連が弱くて認識していなかったのですが(だってほらラテンアメリカなんてニッチに興味が向いているわけだし)、今回ど真ん中の方だということがこの記事を書きながら身に染みてきて、そういう方とSNSを通じて関われるという現代性も感じながら、日本文学であるとか翻訳であるとかという現存と展開が思われるところ。
 ラテンアメリカ文学シリーズの中で、翻訳や世界文学というテーマに迷い込んでいるわけだけれど、そのテーマにも関連しつつ、隔たりや要所違いで人物や認識が大きく異なるということ、その隔絶やネットシームレスのギャップ、むしろギャップアップを感じたりなど。
 本著の主眼は、全般におけるダムロッシュの日本文学への造詣と、各国の作家と並べて比較・批評性で語る部分だと思われるが、同時に巻末にあるダムロッシュと沼野允義の対話部分の濃密かつ難解さも特筆すべきかなと。ここ、本編部分よりだいぶ入り組んでいて、一度で理解できなかったです。こちらまだ再読したい。
 とりあえず今回感じたことは、私はまだ何も読んでいないし、まだまだ何も知らないし、何も語れていないということだった。広すぎる。

 まずは巻末の対談の部分、そして本編へ。
 日本文学(関係者)=個別への危機感、比較文学という横断性について。

266>沼野:あなたの英語原稿には、かなりシンプルな『世界の中の日本文学』というタイトルが付けられていますが、日本語版ではちょっと大胆にそれを変更して、『日本文学を世界に開く』というサブタイトルにしたいと思います。こう変更してもよろしいでしょうか。この日本語のサブタイトルは、あなたの意図とずれていませんか。実はこれは、日本文学は世界に対してまだ十分に開かれていない、むしろ閉ざされているのだ、という私の批判を匂わせているのですが。
ダムロッシュ:英語では、文学と文芸論は混同されがちで、別々の言葉としてはっきりと区別されているわけではありません。つまり、私は「比較文学教授」であり、「比較文芸論」教授ではないのですが、例えばドイツ語なら、この分野は明確にVergleichende Literaturissenshaft すなわち比較文芸学あるいは比較文芸論としてみなされているでしょう。もし間違っていたらご教示いただきたいのですが、あなたが変更したタイトルの「日本文学」には、日本文学と日本文学研究者の両方の意味が含まれているのですよね。
沼野:はい、私のつもりでは、この「日本文学」は作家も研究者も読者もひっくるめて、いわば制度としての日本文学です。

270>文明横断的比較は「何らかの暴力行為になるのが必然的である。なぜなら、それを達成するためには、対象を評者の理論的枠組みに従ってゆがめるしかないからだ文化的他者性とのとらえ方が、既に権力の行使、政治的行為なのであり、他の理論的枠組みを無効にするとまでは言わないにせよ、同化を必要とするのである」と彼は断言しています。
 同一化の問題は、1960年代にヨーロッパ文学研究において既に議論されていましたし、文化横断の比較を試みるときには、差異はなおさら大きくなります。しかし、文化的隔たりを強調することこそ、実際は比較文学研究を差異に細心の注意を払ったものにすることが多いのです。事実、論争を呼ぶ結論で、差異に基づく比較主義は実質的には不可能だとヨコタ村上は断言しているものの、彼の本自体は実際にそれを実践しているのです。
2> この本を書いたきっかけは、沼野充義教授から東京大学にお招きいただいたことだった。世界文学の文脈における日本文学について全三回の講義をおこなうよう、二〇一七年の春に招待してもらったのだ。講義が終わったとき、沼野教授から「これをもとに小さい本が一冊作れそうですね」と提案を受け、私は興奮と気後れがない交ぜになりながら、そのアイデアを受け入れた。興奮したのは、私がこれまでずっと日本文学を愛し、尊敬してきたからだ。私が日本文学を翻訳で読み始めたのは、一九六〇年代後半、まだ十代の頃のことで、谷崎と川端がお気に入りだった。それから、七〇年代なかばに読んだ『源氏物語』に衝撃を受け(その頃ちょうど出版された、エドワード・サイデンステッカーの明快で皮肉のきいた翻訳で読んだ)、それからは近代の作家だけでなく、それ以前の作家も同じように読み進めた。清少納言、芭蕉から、樋口一葉、三島由紀先まで。長年にわたって、私はこれらの偉大な作家たちを、比較文学と世界文学の授業で繰り返し取りあげてきた。その間にも村上春街や村上龍といった、より最近の作家を発見していき、そこに新しく多和田葉子が加わった。
 本者を執筆することに気後れしたのは、すでに述べたとおり、私がこれらの作家を観訳で読んできたからである。翻訳では、かなりのものが失われうる。とりわけ文体の印象や、別のテクストとの影響関係がそうだろう。このため、翻訳をおかるに、でも問題の生じない方法で題材に取り組むよう気をつけないといけない。英話で書くカオオ・イシクロや、ドイツ話で書く多和田葉子のように、私が原語で読める作家を除けば、本書で論じる作家を選ぶ際の条件の一つは、優れた翻訳があることだった。
~外国に作品が広まっていくとき、翻訳で読まれることが多く、翻訳者はみな、新たな言語でじっくり読んでくれる理解力のある読者がいることを願うものだろう。私はそのような読者であるよう努めた。
 翻訳はまた、文学作品の制作それ自体にも重要な役割を果たす。たとえば、魯迅、芥川龍之介、村上春樹など、大作家が同時に優れた翻訳家でもあることはめずらしくない。また自分の第一言語以外の言語で幅広く読書した作家も大勢いる。
 明治期までずっと、日本で学ばれた中国語はまさにこれ
にあたり、紫式部は仕えていた中宮彰子に、女性が学ぶのは望ましくないとされていた漢文、つまり中国語の講義をした。ほとんどの作家は、自国の作家と外国の作家を両方読んで育つ。そして世界文学において重要な位置を占める作品は、外国の作品と積極的な関わりをもっていることが多い。
 直接の接触や影響のほかに、文化横断的な文学潮流が作家たちの作品を形づくる助けになることもある。たとえ直接、接したことのない外国作家であっても、実際には多くの共通点をもつことがありうるのだ。

4>近代以前を扱った第Ⅰ章の出発点は、古典学者マルセル・ドウティエンヌの緻密な調査にもとづく論考「比較不可能なものの比載」とする。第Ⅰ章の主題である明治および徳川時代には、姿を現しはじめた経済的・文化的「世界システム」に、日本の作家が果敢に飛び込んでいった。ここではいくつかの比較をおこなうにあたって、フランコ・モレッティの影響力の大きい論文「世界文学への試論」を用いたい。第I章で扱う現代においては、グローバリゼーションが多くの執筆者を取りまく環境にもなれば、作品自体が内包する最重要テーマにもなっている。レベッカ・ウォルコウィッツの言葉を借りれば文学はますます「生まれつき翻訳」になっているが、これはすでに一八八〇年代に、初期の比較文学者ハッチソン・マコーレー・ポズネットが論じたテーマでもあった。彼は、世界の読者を対象として書かれた文学について、明らかに賛否の入り交じった見方をしていた。世界文学の研究は、単に国境の開放や自由な交流についての話では終わらない。不均衡や不平等、強いられた移住、失敗した移住、そして克服しがたい翻訳不可能性についての話でもあるのだ。
~なお、ここで扱ったいくつかの題材は、私の英語の著作「世界文学をどう読むか」に載せた内容を改稿したものである。
~ほとんどの場合、日本人による比較研究は意外に少ないということである。もちろん、近松とモリエールや、三島由紀夫とククリット・プラモートのように、関連性の薄い作家を比較した研究が乏しいのは当然かもしれない。プラモートにいたってはタイの国外ではあまり知られてもいない。しかし、魯迅と芥川の比較研究さえ、日本にはあまり存在しない。この一流の両作家は、互いの母語をよく知っており、また相手の国に滞在した後に、自分の最も革新的な作品群を書いている。しかも魯迅は茶川の短編を二つ訳しており、芥川はその翻訳を称賛しているのである。それにもかかわらず、両者を比較した数少ない日本の研究は――そして中国の研究もほとんどが――伝記的な事実関係や、一方が他方のテクストに影響されて書いたと思われる数点の作品に重きを置いている。両作家を相手との関係性から捉えるため、なすべきことがたくさん残されている。
 国境横断的な異文化比較研究は、作家についての各国文学研究に取って代わるものではない。むしろ、多国間の比較研究は、それぞれの状況にまつわる専門知識からしそれが文学的なものであれ、文化的なものであれ、政治的なものであれ――多大な思恵を受けている。しかし、作品をそれが生まれた環境においてしか捉えないのは、作品の持つ、より多彩な価値を理解する妨げになる。とりわけ、作品の文学環境と見なす範囲を、同じ場所で同じ言語によって書かれた作品との関係に狭めた場合はそうである。
作品は多様な文脈の中に存在するのだから。作品の制作から普及、そして後世の受容にいたるまで、さまざまな次元に注意を払うことで、私たちは作品をより完全に理解できるのである。
 樋口一葉を例に取ろう。彼女は第一に明治後期の作家であり、友人、競争相手、模倣者との関係から研究することができるし、そうすべきだ。しかし、彼女は第二にモダニズム作家でもあるから、彼女の周りの至るところで活発に展開している根本的に国際的な文化潮流の一部でもある。ジョイスや魯迅のような外国人から芥川のような同国人にまで見てとれるこの国際的なモダニズムは、一葉独自の役割を理解するために重要な文脈を提供してくれる。また彼女は第三に女性作家であるから、家父長制社会で女性がさまざまな時と場面で遭遇した、恒常的な課題にも取り組むことになった。彼女には、アメリカの同時代人シャーロット・パーキンス・ギルマジや、ロンドンに暮らしたヴァージニア・ウルフ、そして上海の選愛玲らの仲間に加わる権利がある。また四つ目の重要な側面として、彼女が地理的にも経済的にも周辺に位置したことが挙げられる。これは、若かりし頃のジェイムズ・ジョイスとのさらなる共通点ともなる。彼は半周辺の地ダブリンでどうにかやっていこうともがきながら、珠玉の短備をいくつも書いたのだ。一葉の作品を当時の東京の文壇という枠内で理解するうえでも、モダニズムと近代性、一般的な女流文学、そして世界全体における中心と周辺の関係性についての幅広い知識が役に立つ。外部から隔絶した文学環境においてさえ、このことは当てはまるだろう。勃興する近代的な中産階級の新たな社会的、経済的、文化的状況に、作家たちが積極的かつ創造的に反応しだした近世以降の日本の場合、こうした知識がいっそう役立つのである。
 『万葉集』から現代にいたるまで、日本では文学と国民性の強い結びつきが広く認められる。おそらくそれが、日本の研究者が国内ばかりに焦点を絞るひとつの原因だろう。とはいえ、同等の要因として比較文学という学問の形成が挙げられる。この学問領域は一九世紀にヨーロッパで生まれたあと、つい最近まで主たる焦点を西欧諸国の文学に置きつづけてきたのだ。一九六〇年に、『比較および一般文学年鑑」の創刊着であるスイス系アメリカ人の比較文学者ワーナー・フレクリックは、アメリカの「世界文学講座」は名称からしておかしいと主張している。
 このように尊大な名称が、品位ある大学にあるまじき浅薄さと党派心を生み出す、という事実を別にしても、この名称を用いることで人類の大半の気分を害するのは、はっきり言って悪しき宣伝活動である。[中略]ときおり、ふとした瞬間に、私は我々の講座をNATO文学と呼んだら良いのではないかなどと考える――しかし、これだって誇大広告だ。なぜなら、我々は日頃、一五あるNATO加盟国のうち、せいぜい四分の一しか扱わないのだから。
 比較文学講座がアジアに設立されはじめてからも、主眼はヨーロッパ内での相互関係に置かれつづけ、限定的な「東西」比較研究――基本的にはアジアの一国の文学をそれら西洋の列強国の作家たちと比較する――によって補われるのみだった。日本と中国の研究者は、両国の伝統を比較してきたが、いずれの国でもアジアの他言語を習得したり、より広範な「南南」関係を学んだりする者はわずかだった。比較文学者の平川祐弘は、一九五〇年代に東大で受けた大学院教育について鋭くこう指摘している

14> グローバル化しつつある今日の世界では、まったく異なる地域の著名な作家たちが、しばしば互いの作品に深く親しんでいるものである。互いについてのそうした知識は、かつては同じ国家的背景をもつ作家同士でしか得られなかっただろう。村上春はトルコ語がわからず、オルハン・パムクは日本語を喋れないが、彼らはそれぞれの母国語ですぐに互いの作品を読むことができる。日本語・トルコ語間の翻訳出版には多少のタイムラグがあるとしても、彼らはそろって英語に堪能なので、英訳によって、ときには原著が東京やイスタンブールの書店に並ぶのとほぼ変わらないタイミングで読める。彼らの小説は定期的に、『ニューヨーカー』誌のような共通の場で発表されるし、おそらく二人はブックフェアや文学フェスティバルで直接会うこともある。しかし仮に彼らが知り合いでなく、互いの作品を読まずにいたとしても、なお彼らの小説は、自国の作家たちに劣らず、世界文学共通の資源に由来しているのである。『千夜一夜物語』、ドストエフスキー、カフカ、そしてイタロ・カルヴィーノの作品は両作家にとって重要なものであり、二人が先駆者の作品を変形し、転倒させる独特なやり方に注意を払うときでさえ、両作家には頭著な共通性が見出される。文学的な結びつきを離れても、両作家はグローバルな現代性という課題に対応しつづけており、文学的な観点だけではなく、社会的な観点でも、両作家を比較するための共通項は容易に見つかるのである。
 こうした共通性は、過去の文学に目を向けたときには、それほどはっきりしない。一八六八年以前、日本の作家はアジアの外で生み出された文学とほとんど交わりを持たず、アジアに限ってさえ、日本で強い存在感を示していたのは中国文学だけだった。近代以前、あるいは近世においては、我々は比較文学よりもいわば比較不可能文学を扱わねばならない。本章では、この比較不可能性が絶対的というより相対的なものであること、また比較不可能性のせいで、明治以前の作品を世界の他地域の作品と組み合わせて、異文化比較という観点から分析すべきでないことにはならない、ということを論じよう。それどころか比較不可能性といれ以前接的な影響関係を離れてより深い比較の観点を探すよう、我々にうながしてくれるかもしれないのである。

 レベッカ・ウォルコウィッツ、フランコ・モレッティなど、前回扱った著者名が見つかるので、やはり「世界文学」をキーワードにするときの登場人物・現代地図にはだいぶ足を踏み入れることが出来ているのかなということが、ここ数冊で感じられる。

翻訳と世界文学『翻訳地帯』アプターの対ダムロッシュ『世界文学とは何か?』World Literature and Translation:What Is World Literature Today? Emily Apter vs David Damrosch in the Age of Global Culture/ラテンアメリカシリーズ④
世界文学と翻訳:今日において世界文学とは何か?グローバル文化時代におけるエミリー・アプター vs デイヴィッド・ダムロッシュ <English Summary>What happens to literature when it cross...

 この辺りまでは前回の記事で扱った3冊でも触れてきたようなこと、
 ・世界文学のヨーロッパ中心主義性
 ・言語本流・文学本流としての傲慢さをそちら側から考える視点
 ・世界文学=翻訳と流通である事
 ・ゆえに日本の大学で行う講義だからと様々な日本古典作家・作品を語って見せる姿勢

 以下は、日本人にもなじみのあるテクスト、源氏物語や樋口一葉などを挙げながら、その古文性、言語テクストとして時代的隔絶=文化・言語的隔絶について触れつつ。世界文学や流通という視点だと普遍的時代性をベースに横の広がりや繋がりと感じてしまうけれど、文学性で考えれば時代としての縦軸もそこに加わるわけで、私は古いとそれだけで読む気がなくなってしまうのだけど、そうしたギャップも克服していく必要性を感じたし、そこに存在する言語性・文化性の差異が、世界文学的な意味での横の広がりと同様に縦の広がりの段差や障壁になることも、同一視して良いものだとも認識。

21>『源氏物語』を現代人が読むという難題
 近代以前のテクストを現代の規範や期待に沿わせずに読むという難題に関して、紫式部の「源氏物語」は格好の例となる。この傑作は現代の我々にさまざまなレベルの試練を課すのである。手始めに、韻文と散文がほぼ全ページで混在ていることが挙げられる。彼女は八〇〇近い詩〔短歌〕をこの本の全五四帖に散りばめており、とりわけ西洋の読者は、この混淆をどう判断したものか、ずっとわからずにきた。「源氏物語』を一九二〇年代に初めて英訳したアーサー・ウェイリーは、大部分の詩をばっさり切り捨ててしまい、削除を免れた韻文も散文として訳した。そのようにしてウェイリーは『源氏物語』を、ヨーロッパの小説や、ある種の洗練された大人のための童話に似せたのである。その狙いは、翻訳の標題ページに掲げた題句にもよく表れている。彼は題句を日本の作品ではなく、一七世紀フランスの作家シャルル・ペローのシンデレラの童話から採った。それどころかウェイリーはシンデレラをフランス語で引用したのである。Est-ce vous,I mon prince? lui dit-elle. Vous vous etes bien fait attendre! (「王子さま、あなたですの?」彼女は彼に言った。「ずいぶん待たされましたこと!」。ここではシンデレラの美しい王子 Handsome Prince が紫式部の「光 Shining Prince」源氏に重ねられる。それもヒロインの冷静さを強調する、あまり日本人らしくない直接的な表現の引用によって。
 原作から数百の詩を省くというウェイリーの選択は、この作品の伝統的受容に真っ向から反するものだった。紫式部の詩は、近代以前、つねに彼女のテクストの中心として、それどころか作品の本質として考えられてきたからである。早くも一二世紀に、大詩人の藤原俊成は、あらゆる詩人の卵は『源氏物語』を読まねばならないと断言した。
~日本の文場において話の価値が優先されていたことは、散文作家として紫式部が創作するうえでも重大な影響を及ほした。彼女の物語が詩の場面を中心に組み立てられているというだけでなく、彼女は近代小説の主要素である、たとえば登場人物の成長や、わかりやすい序盤・中盤・終盤を備えたプロットにさほど関心を示していないのである。源氏とその幼妻である――紫の上はこの登場人物から紫式部という呼び名が定着したとされるのだが――話が三分の二まで進んだところで死んでしまい、この本は新世代の登場人物たちを迎えて再始動する。物語は第五四帖でとりあえず一段落するが、それはいかなる意味でも西洋小説の読者が期待する終わり方ではない。紫式部もいつかは物語を先に進めるつもりだったのかもしれない。しかし、彼女の作品設計において、クライマックスといえる「小説的な」終わり方が意識されていたとは思われない。
 紫式部は、登場人物についてもその行動についても、小説より詩らしく描いている。彼らは基本的に名前ではなく、彼らが引用したり、詠んだりした詩行に由来する、変遷するあだ名によって識別される。いかなる意味でも固有名詞としての本名ではなく、たとえば「紫」は、いくつかの詩で藤とともに用いられ、源氏との情事と関連づけられる、ラヴェンダー色の花を付ける植物にすぎない。それどころか、「紫」は実は最初に、源氏の初恋の相手である藤壺のあだ名として用いられ、のちにその姪である物語の中心的ヒロインに移譲される。ウェイリー以来、ほとんどの翻訳家は登場人物に固有名を与えてきたが、原文では固有名をもっているのは下流の取るに足らない人物のみである。「光源氏」も、いくつかの異なったあだ名で言及されるのが常であり、「源氏」という名前自体、天皇である父親から非嫡出子として与えられた(源という)「名の持ち主」を意味するに過きない。つまり、源氏というのは不定冠詞のきの源氏で、皇族と認められながら除かれた子供のことなのである。紫式部が主要人物をどれだけ生き生きと成長させたとしても、彼らは世代から世代へ繰り返し現れる類型を演じながら、普遍的な性質をほのめかしつづける。友情、羨望、競争、そして空想といった詩的場面を繰りひろげる叙述のなかで。
 紫式部が執筆していたーそして改革していた「物語」ジャンルは一般的に「ロマンスromance」あるいは「テール tale」と英訳される。こうした散文による長編は、しばしばお化けや幽霊や不思議な出来事に満ち、程度の差こそあれ、遠い過去に舞台を置くのが典型である。そして、ジャンルの序列の頂点をめぐって詩と競い合うばかりでなく、また詩と散文物語のあいだで史書とも競わねばならなかった。加えて、日本の詩や史書はともにしばしば、より威光を放つ中国の詩や史書に脅かされていた。中世ヨーロッパにおけるラテン語のように、中国語は上流階級の男性によって学ばれ、また書かれたが、女性は中国語を用いた執筆技術を磨くことはおろか、それを学ぶことすら望まれなかった。自国語での「物話」は女性のあいたで、読むのも書くのも流行したが、若い女性をターゲットとした現代の「チックリット」のように、これらの作品は基本的に道徳的価値の疑わしい、軽薄な娯楽とみなされていた。
 このような見方に対抗するために、紫式部は物語そのもののなかではっきりと自体品を擁護
した。第二五帖で我々は、源氏の家に住む女性たちが、春の長雨の時期には絵入りロマンスを読んで楽しんでいることを知る。源氏はたまたま彼の若い養女である王鬘の部屋に立ち寄る。王鬘は「誰より熱心な読者」で、このときは絵入りロマンスの膨大なコレクションに夢中になっていた。二人はこうしたフィクションの価値について細やかな議論を交わす。場面の冒頭から、紫式部は「物語」の価値を擁護するとともに、彼女が受け継いだこのジャンルの制約を非雑する。彼女によれば王鬘は、「絵とお話にたいへん没頭し、日がな一日それに数やしていた。数人の侍女も文学事情によく通じていた。王鬘はいろいろな種類の数奇なことや驚くべきことに出くわしたが(それが事実かどうかはわからなかったが)、自分の不幸な生い立ちに似たものはほとんど見出さなかった」。紫式部はここで暗に、主に男性によって書かれたこのジャンルの先行作品に対し、自分の物語がもつ新たなリアリズムの重要性を主張している。
 しかし源氏は、女性が良い書き手になれないのはもちろんのこと、良い読者にかどうかさえ怪しんでいる。王鬘の部屋を眺め渡すと

 源氏は散らかった絵や写本に目をやらずにはいられなかった。一まったくとれもこれもひどいものですね」彼はある日、言った。「女性というものは心地よく騙されるために生まれたようです。こうした昔話にほんの一片の真実さえめったに含まれてないことをすっかりよく知っていながら、それでもあらゆる種類の此事に夢中になり、温い雨に髪がすっかりもつれたのにもろくに気付かず、それらを書きつけているのですから」。

 しかし彼は毒気のない性差別的見解を披露するや否や、ただちに前言を和らげてこう付け加える。「たくさんの作り話のなかに、真の感情や信じるに値する一連の出来事を発見することがあるのは認めないといけません」と。彼自身がそのような物語を読むことに魅了されることはなかったにせよ、「娘に読み聞かせるところにときどき居合わせて物語を聞くことはあり、この世には優れた語り手が確かにいるものだとひそかに思ったりはする」という。ただ源氏は再び立場を変え、すぐに物語の真実性に新たな攻撃をくわえ、自身のおこなった物語への称賛を弱める。「こういう作り話はきっと嘘をつくのに習熟したひとによって生み出されるのでしょうね。それに答えて王鬘は、硯を押しやると――彼女自身も物語を書き始めていたのだろうか?――見事に応酬する。「きっと」彼女は言い返
す。「それは嘘をつく才能に恵まれた方のお考えなのでしょうね」
~この場面は、源氏が次のことを認めて締めくくられる。「実生活も架空の物語も同じたと思ったほうが良いようですね。私たちはみな人間であり、自分のやり方があるのです」。彼は、自分の若い娘でさえ物語の影響を受けるだろうことに同意し、そうであるからには彼自身も「自分が適切と思うロマンスを選ぶために莫大な時間を費やす」という――その最中には間違いなく物語を楽しみもする――「そして選んだロマンスを書き写させ、絵も添えさせるのだ」。この一幕は、紫式部がそこに属し、また逆らって書いていた文学環境について、フィクションの技法を扱った専門書を一冊まるごと読むのと同じくらいのことを教えてくれる。

 フィクション全般性や、ジェンダーも含む紫式部が終わると、芭蕉をベースにした詩(俳句)についてが始まる以下。何度か触れていると思うけど私は詩をどう扱ったらいいかわからずにいて、言語ではあるがどうなんだろうという感じ。今回もそれを克服は出来なかったが、最近の流れで重要であることは認識を強める。

【図書】歴史的虐殺モチーフを片道切符に「ラテンアメリカ文学を旅する58章」Latin American Literature Explained: A Guide Through 58 Writers and Historical Contexts
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 でも上記で考えたように、言語が境界を越えて流通・認識されるか、という点で考えると、時代や国境を超えるかの縦軸で考えたときに、紫式部のような古典性も芭蕉のようなジャンル性も、すべて取り払った言語や文学性で語る時に見えてくるダムロッシュの世界文学的な展開、とみると統一性は分かる。
 それを証拠に、下記の(>「創り出す」という観念は、作家の至上の創造性を褒め称えもするかもしれないが、しかしまた文学を、非現実や幻惑や嘘そのものへと色を変えるスペクトルの上に据えもする)の部分は、上記の源氏物語で紫式部がロマンスやフィクションを主題にした一場面を論じた部分に関わるものであり、それは大きく言語・フィクションと実質・現実との相対性が論者の(少なくともこの部分における)想定テーマとしてまたがっていることが分かる。これは世界文学が流通・認識する意味での言語・フィクション性としての側面から離れて、流通・認識されるところからの是非の話であり、別軸である事と、その本質は言語・文学性が常に現実・現代とどのようにも戦って思考してきたことの普遍性に立ち向かうが、趣向を抜けきらないし松葉な感じもするのでここは多少矮小に感じたが、そこからフィクション・物語性と、詩人・詩はより現実的なものである、とつなげる部分は自然。

20世紀最後の叙事詩を引き受ける覚悟『世界終末戦争』マリオ・バルガス=リョサ/The War of the End of the World: Vargas Llosa’s Turning Point and the Ethics of Narrative After Postmodernism
『世界終末戦争』:ポストモダン以後のナラティブ倫理とリョサの転換点 <English Summary>The War of the End of the World (1981) by Mario Vargas Llosa is widel...
21世紀におけるポストモダンの乗り越え方と物語の倫理性『重力の虹』ピンチョンの否定性とパワーズの再構築/Why Postmodernism Is No Longer Enough: From Pynchon’s Irony to Powers’ Ethics/Gravity's Rainbow ポストモダンシリーズ③
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27>詩の多様性ー「西風」の場合
 近代以前の文学を読むのはただでさえ困難だが、詩を、文化ごとにすぐれて特有の形式や、伝統や、用途に配慮して読もうとすると、その難易度はさらに高くなる。我々が一片の書き物を「詩」と呼ぶとき心に思い描いているのは、どのような形式的特徴だろうか? また詩の社会的役割をどのように考えているだろうか? ソネットや俳句といった個々の文学形式にまつわるルールの多様性をはる
かに超えて、それぞれの文化はしばしば詩の性質や、社会における詩人の役割ついて独自の考えを持っていた。そしてこうした違いが顕著に表れるのは、古い時代の文学に注目するときである。したがって、ダンテを読むにせよ芭蕉を読むにせよ、それぞれの詩人の時代と場所における詩の際立った特性を考慮して、われわれの理解を修正しなければならない

37>叙事詩というジャンルは本質的に「個人の思考」を示すものだと考えがちであるが、サンスクリット詩においてはより社交的な世界が開けている。この社交性の協調はインドの詩法に深く根付いたものであって、しばしば強い道徳的・宗教的側面を伴っている。このことは、サンスクリットの伝統の基礎文献の一つである、叙事詩『ラーマーヤナ』(前200年頃)にも見てとれる。この傑作の序章は、詩の発明そのものを題材にしているため、サンスクリットの伝統的な詩法の性質を理解するうえで大いに役立つ。
~~~この場面の主だった三つの特徴は、いずれもなお今日でも理解される意味での文学性に富んでいる。すなわち、詩は技巧的な言語によって構成されるものだと示されること、鳥の苦しみに人間的な意味合いを与えるという象徴性を帯びた出来事を描いていること、そして詩は初期段階の文学組織あるいはネットワークを介して受容され伝達されるということである。この三つの特徴こそが、画期的なヴアールミーキの詩的発話を、連れを亡くした鳥の悲鳴から区別する。詩人たちがはるか昔から自分を歌の上手な鳥になぞらえてきたとはいえ、クラウンチャの嘆きはいかなる意味でも技巧的ではない。

42> 東洋と西洋の詩の作られかた
 文学テクストが関わりをもつ実社会について、それぞれの文化がそれぞれの理解を有するとすれば、そもそもテクストの生じかたについての観念も異なるはずである。プラトジとアリストテレズにさかのぼる西洋の伝統において、文学は詩人や作家が創り出すなにものかである――この想定は西洋の言語において「詩」や「フィクション」を意味する単語に組み込まれているものである(poetry はギリシア語のpoiesis 「創造すること」、fctionはラテン語のfictio「形作ること」に由来する)。
 この「創り出す」という観念は、作家の至上の創造性を褒め称えもするかもしれないが、しかしまた文学を、非現実や幻惑や嘘そのものへと色を変えるスペクトルの上に据えもするのである。このことを理由にプラトンは、大半の詩人は嘘の物語を語るので「聞く者の考えを駄目にする」と不満をもらし、彼の国家から詩人を追放することを提案したのであり、他方でアリストテレスはぢを歴史書と比べ「より哲学的で価値があるもの」とし、偶然に左右される日常の出来事を離れて、普的な真実を伝えられるものとして賛美したのである。
 他方、近代以前の東アジアの文化では、詩人はしばしば――怪奇小説や日本のモノガタリの作者とは対照的に――現実に深く根ざしており、聴衆の身体・精神世界に対し、上でも下でもない位置にある存在だと考えられてきた。詩人がおこなうのは題材を創り出すことではなく、周囲のものを観察し、それについて深く考えることだとみなされてきたのである。

 以下、芭蕉。
 私は本当に蓄積がないのでただ読むしかなかったが、前述部分のように、詩とは何であるのか、の定義を前提として読むことが出来るので、捉えようはあったし、ここは普遍的なテキストと人間性の成り立ち、そしてやはり文学性へとつながる本質的な話だとは読むことが出来た。それでも風情を感じられる程度。
 ・詩人はしばしば現実に深く根ざしており(モノガタリの作者とは対照的に)
 ・詩人がおこなうのは、周囲のものを観察し、それについて深く考えること(題材を創り出すことではなく)
 こう抽出してみると若干読みづらい文章。

61>注日すべきは、芭蕉が子供をはかない小数の花と比較した最初の反応によって、俳句を生み出したわけではないということである。このイメージは俳句の土台としては非常に優れていたかもしれないが、しかし明らかに物足りなさがあった。
 芭蕉が経験していることは結局のところ、きわめて「詩的でない」瞬間であり、『今和歌集』や中国の唐王朝の詩人ならばめったに記録しないような光景なのである。萩の花についての技巧的な詩作へと逃避する代わりに、芭蕉は子供に食べ物をやるために立ち止まったのであり、そのわずかな食糧が子供と芭蕉を暗に結びつける。このときついに彼は詩を作るのであり、その詩で彼は、古代の先人がこのような詩的でない対象に取り組んだなら何を書いただろうという、答えのないしそしてもしかすると答えようのないー疑問を呈する。
 泣き声から同情へ、そして制作へと至るという詩的創造の基本段階について言えば、芭もヴァールミーキもよく似ているが、彼らはまったく違う世界のなかで詩を作っている
~昔の詩人が芭蕉の旅行に刺激を与え、そのなかで彼は新しい詩を生み出すのだし、またそうして生まれた詩を彼は出会った人々と交換する。なかには旅路で一門に加えた新たな弟子も含まれており、新たな世代の詩人が将来にわたって彼の詩を保存し、またその詩を土台とするのである。
~芭蕉はこの詩の成り立ちを、風景に対するきわめて個人的な反応として提示するが、しかし、この反応もまた人々との結びつきの助けを借りたものである。

 以下、近松門左衛門とモリエールを挟みつつ、芭蕉が続く。
 以前、直木賞シリーズの中で大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』と浄瑠璃・歌舞伎関連の本を読んだときも思ったが、伝統芸能としてのそれらに私はとんと無知だし、それでもその特色や虚構性を受賞作である『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』は消化しきれているとは思えなかったし、そこのところの不足や違和感、虚構性を消化しきった創作物が他にあるのか云々、今なお思うところ。
 俳句の芭蕉といい、人間浄瑠璃・歌舞伎の近松門左衛門といい、日本文化的な要素をこれでもかと扱ってくる野心的かつ打算的に扱ってくる本著の構成は強いし、であるにもかかわらず、日本人の私は俳句も古典芸能も興味がないからと無知で、外国人である著者が書いた内容の清濁や真偽の判断も追いつかないとこ等は非常に遺憾で、勿論高名な方だからと思いはするけれども、例えば海外文学を読むということ、他言語を翻訳するということ、そこにある妥当性や価値性という本シリーズ内で生まれたテーマからすれば、多文化を嗜む・語る、という本稿の試みと志向性は、非常に本質的だし、それがつまり世界文学的であるということだし、現実的にもそれらのテクストには俳句にも人があり、浄瑠璃にも人があって、つまりはそこに生まれるテクストとフィクション性は文学性以外の何物でもないところ、ただの表現形式の違いである、というところ。

語りの上手さに劣る浄瑠璃題材の威力『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』大島真澄美①
「直木賞はその作家のつまらない作品に挙げるものなのか?」第6弾は、『ピエタ』によって著者名は何度も目にして知っているけれども、は強みの大島真澄美。2019年、大161回の直木賞を受賞されていますね。今回は受賞作の『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び...
78> このような深い詩的・哲学的要素を戯曲に取り込むことで、近松は人形劇の荒々しく騒々しい世界と、彼がなじんで育った思索的で洗練された貴族の芸術のあいだに橋をかけた。近松と同じく、モリエールも単純で大来的な劇の形式を変革したことで名を成した。彼の時代まで舞台喜劇はおおよそ、あけすけなユーモアを表現するためにカラフルな仮面を付けた俳優――言わば人間による人形――によって演じられる、定番の登場人物だらけの道化芝居が中心だったのである。
 近松が貴族的な感受性を大衆娯楽の世界に取り入れたとすれば、モリエールは地に足の着いたリアリズムを貴族の世界の描写に取り入れた。彼は宮廷のために戯曲を書いたが、その宮廷生活の描写は、貴族に媚びへつらったものではない。ドリメーヌは冷笑的であり、ドラントは嘘つきでひとを利用する嫌な人間である。
 読者は彼らの結婚がたえず不誠実とひどい借金つづきだと予想できる。劇の終わりに幸福を定められた人物は、率直な物言いのクレオントと、快活で愛情豊かなジュールダンの娘ルシールである――このルシール役を舞台初日に演じたのはモリエールの若妻だった。未来は、ジュールダンが不可能にもかかわらず、加わりたいと焦がれた貴族社会ではなく、彼らに属しているのだ。

79>ジェイムス・メリルの詩にみる、時代を超えた比較の可能性
 こうした例が示すように、我々は遠くの作品であれ、比較可能なテーマを扱っていれば比較対照することができる。この二つの戯曲の場合は、時代の経済状況や、愛情と家族の圧力というテーマ、そしてメタ演劇性についての芸術的な問い、さらにはそれらを三つまとめて、比較の土台として用いることができる。しかし、我々はまた、近代以前の作品が近代の世界に移動し、現代の作家に国内外でインスピレーションを与える世界文学になるとき、どのように受け入れられるかも観察できる。今日の文芸同士はかつてないほど密接に組み合わさっており、俳句のように以前はひとつの文化に固有だった詩の形式さえ、世界中に見られるようになっている。ここで私は、芭蕉の遺産にひときわ印象深い現代的反応を示した、アメリカの詩人ジェイムズ・メリルのきわめて感動的な詩的紀行文「出立の散文」について考えたい。メリルは彼の世代でも指折りの創造力豊かな詩人であって、ピューリッツァー賞、詩を表彰するボーリンゲン賞、さらに二度の全米図書賞を獲得している。彼は陽気な皮肉屋で、多彩な様式を自在に使いこなす達人であった。ハロルド・ブルームは彼を「アメリカ詩におけるモーツァルトだ」と評している。メリルは飽くなき実験主義者で、ソネットやヴィラネルといった伝統的な形式を利用するのが大好きだった。

 詩であろうと浄瑠璃であろうと、何らかの言語であり創作である限りに、時代を超えた比較の意可能性がある、というのは、時代の縦軸や世界地理の横軸とはまた異なる、パラレルで空虚で立体的な虚構創作性であるとも思える。そしてその明晰と分析のパブリックが比較文学なのかな、その人物やテーマ抽出や理論立てが選択でセンスである事、等も分かるけれども、価値生産性の視点で見ると??まだこの辺りは微妙。

 以下、文学の近代化と称して、文学というテキストを世界に広げる出版や識字率などの発展や普及の時代を踏まえて、日本人作家と外国人作家を引い画しつつ語る厚みのある部分。樋口一葉、芥川龍之介、三島由紀夫などが語られるのでなじみが生まれやすい。
 そしてモレッティが登場する、まだ全然把握できていないけれど、システム的なことなんだろうと今のところは認識。注目はp92あたりの抽出で見れば、
 モレッティは、グローバルな文学システムへの関心をパスカル・カザノヴァと共有してはいるが、
 カザノヴァによれば<周辺地域出身の作家たちは、文学の「世界共和国」の中心(以前はパリ、現在はニューヨーク)で認知されることを求めており、周辺的な場所においても革新はしばしば見られると考える>のに対し、モレッティによれば<世界、文学システムは「唯一にして、かつ不均衡なものである。中核と周辺(そして半周辺)は、不均衡を増大させる関係のもとで結びついて」いて、(いかに作家が海外で知られるようになるかという問題よりも)いかに世界文学がそれぞれの家郷にいる作家たちに影響を与えるかという問題に向けられており、文学上の革新は概して、中心の大都市から周辺地域へと、その影響圏を移動すると唱える>、ここは共有からの発展であり適切だなと感じる。ただどちらも私は読んでおらず、この文面からのまとめになるので、読まねばとは思う。
 上記のようなことは、つまり世界文学の根幹や基盤であり、それが何であるのか、その問題提起や捉え方の部分であり、世界文学や現状を考える上では扱わずして語ることが出来ない部分なのかなとは思えた。それに、言論において認識や評価の上で批判にさらされるときやその誤読、あるいは発展や発掘の過程がある事、そして特に、(>英仏の中核から加えられる圧力は、全体を均一にしようとするが、現実の差を完全に消すことはけっしてできない)という部分の強さが私には魅力に感じた。
 この辺りのことは、世界文学と周縁・中央(非西欧/西欧)や、言語・言論・虚構の扱いそのものであり、本質なのかなとも。

91> 世界文学への日本の参入 
 革命の年となった一八四八年、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、国際的な通商の発展が新たに統合された世界を生み出しつつあると唱えた。この変化によって文学の生産と消費は様変わりしていくのだ、と。二人が『共産党富言』で力説したように、

 ブルジョア階級は、世界市場の搾取を通して、あらゆる国々の生産と消費とを世界主義的なものに作りあげた。反動家にとってはなはだお気の毒であるが、かれらは、産業の足もとから、民族的な土台を切りくずした。遠い昔からの民族的な産業は破壊されてしまい、またなおも毎日破壊されている。[中略]民族的一面性や偏狭は、ますます不可能となり、多数の民族的および地方的文学から、一つの世界文学が形成される。

 二〇年前のゲーテと同じく、マルクスとエンゲルスは世界文学を近代の本質的な文学とみなしたのだ。二人がこの宣言を発表してから二〇年後、明治天皇は、今目言うところのグローバリゼーションの将来性を喜んで受け入れ、日本の作家たちは、瞬く間に伝統的な漢字圏を越えて世界文学に参入しはじめた。その後長きにわたって、文学は、西洋の技術と文化をいかに借用し応用するかという困難な課題を、思索し議論するための主たる舞台となったのだった。発展過程にある文学の「世界システム」に、いかに日本が参入していったのか。本章では、そのありようを、三級の作の比較を通じて検討していく。一組目は、明治後期の作家・樋口一葉とアイルランドの同時代人ジェイムズ・ジョイス。二組目は、大正期のモダニスト芥川龍之介と、中国の新文化運動においてよく似た位置を占める魯迅。そして三組目は、二〇世紀中期の二人の作家ー日本の三島由紀夫とタイのククリット・プラモート(二〇世紀前半におけるアジアとヨーロッパの文化的相互作用を再考する、野心的な歴史小説を著した)である。
 技術と文化は、明治時代の作家にとって、とりわけ密接な関係を有するものだった。日本にはすでに、木版の頃から続く印刷本の長い伝統があり、識字率も高く、主要都市では男性の場合約八〇パーセント、女性の場合約五〇パーセントにまで達していた。そこに西洋の印刷機の輸入が刺激となって、幅広い読者層を新たに開拓する機運が生じた。かくして、一八七六年、大日本印刷株式会社が設立される。それは、会社のホームページに謳われているように、「活版印刷を通じて人々の知識や文化の向上に貢献したい」という「発起人たちのそんな熱い思い」を実現することを目指していた。一八八二年までに、大日本印刷は活字の自家鋳造を開始し、ほかの印刷機の使用に供するべく日本語の活字を売り出すようになった。新聞や雑誌が続々と現れ、樋口一葉のような作家にとって決定的に重要な、商業的な発表の場を提供した。一葉は有力な家門の出ではなく、新しい印刷のモードのおかげで収入を得るとともに、広く読者を得ることもできたのである。
 後述するように、同じことはダブリンの若きジェイムズ・ジョイスにもあてはまる。その他、パリ、ニューヨークから上海、ジャカルタにいたる、出版の中心地にいた作家たちにも。時をおかずして、アジアでも西洋でも、大衆文学のための近代的マーケットに加えて、よりモダニズム文学に特化した発表の場が現れるようになった。日本と中国においても、欧米と同じく、先進的・前衛的な作家たちが、少数の、しかし影響力のある読者層に向けて、「リトル・マガジン」を刊行しはじめた。新しい技術は文学の内容にもジャンルにも影響を与える。新聞や雑誌は短編小説を発表する機会を豊富に提供したため、結果として、樋口一葉もジェイムズ・ジョイスも魯迅も茶川龍之介も、何よりもまず短篇の書き手としてデビューを果たしたのだった。

92>半周辺のフィクション中核―半周辺―周辺
 このトビックに取り組むにあたって、スタンフォード大学を拠点とする比較文学者フランコ・モレッティが発表し、大きな影響を与えた二つの論文を足掛かりとしてみよう。「世界文学への試論」(二〇〇〇)と、それを修正した続編「さらちる試論」(二〇〇三)において、モレッティは世界文学を理解するための新しいモデルを提起した。イマニュエル・ウォーラースティンの世界システム論を援用しつつ、モレッティは、世界文学はグローバルなネットワークのうちに存在していると主張する。このネットワークは、一九世紀に打ち立てられ、今日ではもはや支配的なものとなった。しかし、このシステムは、何物にも妨げられない資本の氾濫という「平ら」な地形において作動しているのではなく、異なる国々の作家や読者に平等なアクセスを提供しているのでもない。そうではなくて、モレッティによれば、世界文学システムは「唯一にして、かつ不均衡なものである。中核と周辺(そして半周辺)は、不均衡を増大させる関係のもとで結びついている」
 これはパスカル・カザノヴァの一九九九年の著者『世界文学空間』(英訳はThe World Republic of Letters, 2004)においても主要なテーマとなっている。カザノヴァによれば、周辺地域出身の作家たちは、文学の「世界共和国」の中心(以前はパリ、現在はニューヨーク)で認知されることを求める。モレッティは、グローバルな文学システムへの関心をパスカル・カザノヴァと共有しているが、そのまなざしは、いかに作家が海外で知られるようになるかという問題よりも、いかに世界文学がそれぞれの家郷にいる作家たちに影響を与えるかという問題に向けられている。カザノヴァが周辺的な場所においても革新はしばしば見られると考えるのに対し、モレッティは、文学上の革新は概して、中心の大都市から周辺地域へと、その影響圏を移動すると唱えるのである。

94>モレッティは、一九世紀において教養小説のような新しいジャンルは、西欧の中核(主としてフランスとイギリスを意味する)に生まれ、翻訳を通じて半周辺地域(その他のヨーロッパ、北アメリカ)に伝播し、そして周辺地域(その他の諸地域)に達した、と論じている。周辺地域においては、その結果は伝統的形式の長きにわたる崩壊期として現れた。外国からの輸入物は、ときに外来種の生物のような性質を発揮するからだ。その果てに、周辺の作家たちは土着の要素を外来の小説形式に結合させる術を見出し、土着のものと外来のものとを究極的な芸術作品のうちに綜合するのである。
 モレッティの論文は、商品と情報の自由な流れという新自由主義の所説――その見方は、アメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンが発表したベストセラー『フラット化する世界』(二〇〇五)のタイトルに端的に示される――に対する重要な是正となっている。モレッティの認識するところでは、世界システムは、権力・接続・影響の不均衡のうえに構築されているモレッティの論文がもう一つ意義があるのは、ポストコロニアリズムの批評家たちがえてして採るような主面からのアプローチにではなく、むしろ文学形式に重きを置いている点だ。彼が言うように、「形式は社会的関係性の縮図だ。だから、形式分析はそれ自体とささやかながら権力の分析である」。モレッティは、周辺地域の土着の伝統が有する生命力にほとんど信を置いていないとして、また、過度にヨーロッパを画一化したイメージを提示しているとして、批判されてきた。その図式的なシステムはたしかにより洗練されるべきだろう。しかしモレッティは、小説や散文詩や「文学」というヨーロッパ的観念が世界規模で伝播していく、そうした現象自体を研発する方法を示してみせたのであって、土着の文化を大都市の思想や形式の単なる受容者とみなしているわけではない。それどころか、モレッティは、世界システムは一九世紀において「ヴァリエーションのシステム」として発展したと強調しているのである。「システムはひとつだが、ムラがあった。英仏の中核から加えられる圧力は、全体を均一にしようとするが、現実の差を完全に消すことはけっしてできない」。モレッティが提示するところでは、その結果は概して、外来の形式と、土着の内容および土着の語りの声との折衷である。以下、一葉、ジョイス、茶川、魯迅の例は、モレッティの構図に照らして論じられるが、一方で、モレッティの構図に異議を申し立てるものともなるだろう。

 こう読み返すと、意識的に日本人作家を扱いつつ、本軸である世界文学系を挟むので、ミクロマクロとしてのピントの切り替わりがせわしない感じがするが、構成的に仕方なかったかは微妙。読者の興味は持続的になるだろうが、日本人作家やペア組み合わせを扱うよとチラ見せしつつまばらなのは、編集として親切かどうかはやや疑問が残るし、その一体化が縦軸と横軸の現状的な世界文学を結びながら体現することの論舌の主体であるべきとすればなおのことだけど、ここはテーマの切り口や本質性などとは別の文章や語り口の問題だから別の評価軸になると思うので。男女バランスは(紫式部・樋口一葉・多和田葉子、芭蕉・芥川・三島・W村上やカズオイシグロなど)適切で、こういうところは現代の編集と感覚だなと感じるから、やはり色々適切だとは思うが。
 そして、樋口一葉などなど。もうこの辺りからは厚みがあるし、まとめられなかったので多くは割愛。読み応えはあるし、その比較対象としてのロジックはあまりピンと来なかったけど、語り口と主題を外さずに選んで広げていくことは新規性と深度としては重要なことなのだろうなとは思った。
 ここまでが導入部分、p286中の1/3くらいなので、読み応え凄いです。

作家とメディア――――樋口一葉とジェイムズ・ジョイスの登場
 明治後期及び大正期の日本は、モレッティの区分に従えば半周辺の国家となる。だが実際には、日本はより広大な世界と精力的にかかわっており、単に西洋の技術と文化の消極的な需要者であったわけではなかった。急速に近代化し、「アジアの西洋」としてどっちつかずの状況にあった日本は、たちまち近隣諸国から一頭地を抜く存在となっていった。一方、近隣の国々は世界経済の周辺にとどまり、しばしば欧米列強の支配下に置かれることになった。日本は植民地化されることは一度もなく、統治者たちは自らの権力欲を増長させていった。その野望は、一八九五年の台湾割譲、一九一〇年の韓国併合、一九一四年の山東省占領とともにいやましに増していくことになる。つまり、日本はグローバルな近代化の最前線できわめて積極的に世界に参入していったのだ。この間、日本の作家たちは、ナショナリズムとインターナショナリズム、ローカリズムとコスモポリタニズムが複雑に入り混じった様相を呈している。同時期にヨーロッパやアジアのいたるところで伝統の価値観と近代の価値観を両立させようとしていた半周辺の作家たちと比較することで、日本の作家たちの苦闘をより深く理解することができるはずだ。
 これらの比較をするにあたって、文学の生産の手段、および流通の手段、特にこの場合は新聞・雑誌の市場の急速な発展に着目することで、モレッティの形式分析を敷術することが可能となる。樋口一葉が作品を発表していた頃、日本では雑誌の爆発的な増加が見られたが、その立会人となったウォルター・デニングが、同時代の証言を喜き残している。
~この論文において、デニングは、当時の作品の多くが掲載された新興雑誌に着目し、メディアというコンテクストのもとに議論を展開している。一世紀後のモレッティと同じく、デニングがそこに見出すのは、伝統的形式の解体と、新しい創作様式の暗中模索によって特徴づけられる、いびつな文学的地形、という複合的なイメージだ。彼の言うように、
 
 日本が現在置かれているような過渡期にあって、優れた文学作品が豊かに生み出されることは期待できない。人々の精神は、多種多様な知識の相対的価値をめぐって、またそれらの知識を普及させる最良の手段をめぐって、根幹から変化している。人々の思考の媒体である言語自体もまた過渡的段階にある。そのようなところでは、創造はかなりの程度であれこれの方向を目指す文学的実験となる。明治初期に書かれた本は、発表後十年も経てば、ほとんど読まれなくなっているだろう[中略]。出版したいという渇望は日本では非常に強いものがある。労働も紙も安く、文学的基準は低いのだから。

 注目すべきは、デニングが、言語と技法の問題に加え、物質的な条件を強調していることである。彼は続けて、作品を発表する新しい媒体が現れ、あまりにも多の機会が作家に提供されたと述べる
。「およそ考えうるあらゆるテーマに関する雑誌が、今日大量に出回っているが、それらが刊行され続けているのは、ひとえに無数の薄っぺらな三文文士たちの努力の賜物である。とすれば、日本文学を愛するものならば誰しも見たいと願うような雑誌は、増加するどころか、むしろ減少しているのである。」
 これまでのところ、デニングの見方は、モレッティの記述――周辺文化が新しい条件のもとでついに己を確立するまで長きにわたって続く不安定な模倣の時代――をまさに予告するものだ。しかし、一八九二年にあってデニングはすでに肯定的な局面を見いだしていた。彼が言うには、二流の作品の山の中には、「幸運にも数多の例外がある[中略]この国の歴史に先例のない速度と規模でもって、翻訳と雑多な創作が思想を変革し、モノの見方に深みを与え、感情に寛容さを与える時代に、われわれは生きているのだ。」
~デニングは明治時代に書かれた大部分の著作はすぐに忘れられるだろうと指摘しているが、同じことはどこの文学も当てはまる。いかなる時代であっても、ほとんどの文学作品は紋切り型であり、他者の模倣であり、やがて忘れ去られるものだ。「文学の屍場」をめぐる論文でモレッティが実証したのは、まさにこの点だった。モレッティは、今となっては影も形もない、読者にも学者にも読者にも忘れられてしまったヴィクトリア朝の小説を何千何万人俎上に載せた。過渡期や発酵期はそれ自体としては窮屈なものではない。むしろ、古色蒼然とした様式の支配に風穴をあけて想像力刺激することで、作家にとってはしばしば有利に働くのだ。このような時代にあっては、優れた周辺作家は大きな前進の機会を見いだすことが出来る。それは、固着した文学的伝統と狭量な教育システムの中にいる規制の作家には、とうてい実現できない類のものだ。こうしてエリザベス朝には、若きウィリアム・シェイクスピアが、友人のベン・ジョンソンの有名な一説によれば、「ラテン語はかじった程度、ギリシア語はほとんど知らない」にもかかわらず――あるいはだからこそ――地方から出てロンドンの舞台を征服することが出来たのである。
 同じことは樋口一葉にもあてはまる。一葉は最初の小説を、デニングが「軽い読み物のための雑誌」と称した雑誌『都の花』に発表した。『都の花』やそのほかの新しい雑誌は、誌上にあらわれる一連の一般的な作品のレベルをはるかに超えて、一葉に自らの芸術を発展させる機会を与えたのだった。
~短編小説の再発明―― 一葉とジョイス
 前章で論じたもエリエールや近松のように、樋口一葉とジェイムズ・ジョイスは、互いの名を耳にすることもなかった同時代人だった。とはいえ、両者の世界、アジアとヨーロッパは、二世紀前に比べればはるかに密接に結ばれつつあり、二人はともにモレッティの近代世界システムという観点から把促しうる。一葉とジョイスは、それぞれの国が置かれた状況という点でも、それぞれの文化における立ち位置という点でも、半周辺の作家といってよい。一葉もジョイスもともに下層中産階級の出であり、当時の文学的権威に対して周縁的な関係にあった。ヨーロッパ文化世界の中核(パリ、ロンドン、ベルリン)から輸入された文学によっていやましに形成されていく都市の文化圏で活動しながら、一葉とジョイスは、大部分が依然として手軽な読み物として書かれていた大衆的ジャンルに、新しいリアリズムと心理的な深みとを付与し、短編小説を革新したのである。

 個人的に面白く読んだのは、『千夜一夜物語』と村上春樹の部分と、日本において同じ村上として目立つ村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』を多国籍な新宿ディストピアとして読む部分。
 村上龍は少し気になる存在と笛、例えばブログのなかでは金原ひとみの部分で触れた。強烈さや下品と爽快な虚構性やテーマ性は印象的で、私には関係がないなと読んだことはないのだけれど、以下の文章でこの作品は読んでみたいなと思った。

デビュー神話と変容の著作列<金原朝吹朝井綿矢>『マザーアウトロウ』『TIMELESS』①
初期の金原はセンセーショナリズムであって本質的な文学的発明ではない、と10代の私は感じていたし、今の私は成長性を評価することと個々の作品の出来を擁護することはまったく別であると断言する。 綿矢が若さの頂点で静止し、朝吹が資本の中を突き抜けな...

 前回の記事で、村上春樹やその世代の作家・翻訳家たちにとって或いは消費者にとっての憧れや逃避としての虚構性で触れたアメリカというモチーフに近い感じの話が村上龍の部分にあり、
 (>日本は生産でも消費でもグローバルな消費文明にどっぷり浸かっている。模倣と交換の対象はもっぱらアメリカに集中している。日本のメディアはロサンゼルス・ドジャースのスタ―選手である野茂英雄が登板する試合はすべて報道するし、マイケル・ジョーダンが懇味で出かけるゴルフについて逐一最新情報を伝えさえする。この小説で、本人消費者はアメリカを自分たちの夢のショッピングモールだと考えていて)
 ここは村上龍の創作に対する著者の文章になるので一概には言えないけれど、確かに村上龍からもある時代の米国文化や消費性などと関連したモチーフは感じられる印象があって、米軍関係とか時代性などを扱う文脈のファッション性や政治性であるとも思うのだけど、その虚構モチーフを使った『イン・ザ・ミソスープ』が例えば、イロモノや下品さなどに落ちずにテーマや創作的完成度で読ませるものであるなら、ぜひ読みたいなと。

翻訳と世界文学『翻訳地帯』アプターの対ダムロッシュ『世界文学とは何か?』World Literature and Translation:What Is World Literature Today? Emily Apter vs David Damrosch in the Age of Global Culture/ラテンアメリカシリーズ④
世界文学と翻訳:今日において世界文学とは何か?グローバル文化時代におけるエミリー・アプター vs デイヴィッド・ダムロッシュ <English Summary>What happens to literature when it cross...



 そして気になったのは、(>「日本人はどこか他の出族に国を占領されたり、虐殺されたり、国を追われて難民になったり、独立するために多くの人が死んだりという歴史的苦難を味わっていない」一方で、「ヨーロッパも新世界も基本的にはそういう侵略と混血の歴史を持っている。フランクがケンジに話す通り「それが国際的な理解の基本になっている」が、「アメリカ合楽国の場合を除けば、そんな国は世界中で日本しかない」。)
 見覚えがあるのはつまり紋切り型なのか、著者の歴史観からの抽出によるのか、p95の(>急速に近代化し、「アジアの西洋」としてどっちつかずの状況にあった日本は、たちまち近隣諸国から一頭地を抜く存在となっていった。一方、近隣の国々は世界経済の周辺にとどまり、しばしば欧米列強の支配下に置かれることになった。日本は植民地化されることは一度もなく、統治者たちは自らの権力欲を増長させていった。その野望は、一八九五年の台湾割譲、一九一〇年の韓国併合、一九一四年の山東省占領とともにいやましに増していくことになる。つまり、日本はグローバルな近代化の最前線できわめて積極的に世界に参入していったのだ。)にも関連する、歴史的にも文化的にも、そしてそれはつまり文学的にも、日本の独自性やそれを踏まえて世界を見つめる価値観にまたがる部分。
 世界文学としてみるときに、国民性とか自国性といったものは取り払われていくのかもしれず、それは例えばアプターの部分で失われる・文化的(存在・存続)価値などの要素で触れられるような部分、その存在論の是非や展望はどうなんだろうな、移民や多様性の文脈でも正義も多義も散らばるような気がするし。この辺りも、翻訳前提のテクストやシームレスになっていく世界における越境やアイデンティティなど、カズオ・イシグロや多和田葉子の文芸テーマにも関連するので、やはり時代の主眼なのだろうと感じる。

 そして(>彼はトヨタのラジエーターを東南アジアからアメリカへ輸出するビジネスマンのふりをしているが、実際は売春婦を餌食にする流れ者の殺人鬼)という面白チープな要素がチラ見えする感じが村上龍だなあという感じもして笑いを誘う。ノワール・スリラーが本気で言っているのかは、現時点ではわからない。

236> 村上春樹のディストピア的双子とも言うべき村上龍である。一九九七年の小説『インザ・ミソスープ』も日米の文化を、といっても小説というより映画を並置し、ここでもポストモダン、ポスト帝国主義の世界における犯罪と性的疲弊を表現している。語り手のケンジは、買春目的の外国人旅行者を相手に通訳兼ガイドをしており、顧客の大半はアメリカ人である。サルマン・ルシュディの登場人物がロンドンとボンベイの間でどちらとも決めかねてさまよっているのと対照的に、村上の描く東京は、誰か別の人になりたいという欲望をまったく持たない人々が生息する都市である。ケンジが認めるように、「この国は基本的に外国人に無関心で」ある。この閉鎖性は残念なことかもしれないとケンジは感じてはいるものの、そのおかげで彼の生活基盤が成り立っている。つまり、ここで繁盛している性産業は国内消費用に設定されているので、日本語を話せない外国人には事情通の助けが必要になるのだ。ケンジはこのサービスを提供し、たっぷりと報酬を得ている。
 日本人は外国人にほとんど目を向けないかもしれないが、日本は生産でも消費でもグローバルな消費文明にどっぷり浸かっている。模倣と交換の対象はもっぱらアメリカに集中している。日本のメディアはロサンゼルス・ドジャースのスタ―選手である野茂英雄が登板する試合はすべて報道するし、マイケル・ジョーダンが懇味で出かけるゴルフについて逐一最新情報を伝えさえする。この小説で、
日本人消費者はアメリカを自分たちの夢のショッピングモールだと考えていて
、それはアメリカ人の客に英語が上手だとお世辞を言われた売春婦の言葉に表れている。
「そんなことない、もっとうまくなりたいんだけど、なかなかむずかしい、わたしはお金を貯めていつかアメリカに行きたいの」。
「そうなのか、アメリカで学校に行きたいのかな」。
「学校はダメ、わたしは頭が悪いから、そうじゃなくて、ナイキタウンに行きたいの[中略]一つのビル全部がナイキショップなの[中略]わたしの友達が行ってきて、その子はスニーカーを五個も買ってきたの、わたしも行ってたくさん買い物するのが夢なの」。
 アメリカ文化の横溢は題名にも劣らないほど早々から提示されるのだが、その書名自体原語では表音文字であるカタカナでの表記になっている。『イン ザ・ミソスープ』――味噌汁ではなく「ザ・ミソスープ」と英語をカタカナ書きにした上で、さらに英語のイディオム(「困ったことになって」を意味する“in the soup")をかけた似非日本語なのである。小説内の東京は、元の意味やコンテクストを無視したアメリカ名やフランス名がついた商用建造物であふれている。これが変だと思う唯一の人物がケンジの顧客であるアメリカ人のフランクで、「タイムズ・スクエア」という名前の百貨店に面喰う。「だって、タイムのビルがあるからタイムズ・スクエアっていうんだよ、あそこにはタイムのビルはないだろう」とフランクは言ってさらにこう続ける。「戦争に負けたのもずいぶん昔のことだし今さらアメリカの真似なんかする必要ないじゃないか」。ケンジは途方に暮れて話題を変える。
 村上龍はアメリカと日本を中心と周縁として見るのではなく、パラレルな社会として見ている。日本の消費者はハリウッドスターを真似しようと無駄な努力をしているのかもしれないが、アメリカ人たちもそれは同じである。最初にケンジに会う約束をする際に、フランクは自分の特徴を『アポロ13』などの映画に出演したアメリカ人俳優エド・ハリスに似ていると説明する。だがホテルのバーで落ち合ったとき、エド・ハリスにはまったく似ていないとケンジは思う。
~村上龍の多国籍な世界は文化的にも感情的にも平らな空間で、そこでは日本とアメリカが似通ってくる。ノンポリのケンジはこのことをフランクから学ぶ。フランクはある分析をケンジに話すのだが、それは彼がペルー人売春婦から聞いた話であり、その彼女はレバノン人ジャーナリストから聞いたという、日本をめぐる情報のまさにグローバルな伝播にふさわしい。その要点は「日本人はどこか他の出族に国を占領されたり、虐殺されたり、国を追われて難民になったり、独立するために多くの人が死んだりという歴史的苦難を味わっていない」一方で、「ヨーロッパも新世界も基本的にはそういう侵略と混血の歴史を持っている。
 フランクがケンジに話す通り「それが国際的な理解の基本になっている」が、「アメリカ合楽国の場合を除けば、そんな国は世界中で日本しかない」。かつては関連のなかった両国の歴史が互いに近寄り、今や日本とアメリカは多国籍企業による新たなグレート・ゲームの主力プレーヤーであって、世界中の消費者を被植民者にし、その結果生じる孤立、孤独、秘めたる狂気は両国とも互いに引けをとらない。同書ではフランクがその最たる事例である。彼はトヨタのラジエーターを東南アジアからアメリカへ輸出するビジネスマンのふりをしているが、実際は売春婦を餌食にする流れ者の殺人鬼で、その手口はところどころ映画『羊たちの沈黙』を手本にしている。
 『インザ・ミソスープ』はノワール・スリラーと社会調刺とが混じった痛烈な作品である。村上龍はこの小説を通じて、日本人読者にグローバルな世界での自分たちの位置を考え直すよう促している。フランクは最初とりわけ醜悪なアメリカ人として登場するが、物語が展開するにつれて、人間性を奪う現代という時代の殺伐とした真実の代弁者となっていく。フランクは本書の終わり近くでこう言う。「今全世界的に、管理が強化されているから、ぼくのような人間は増えると思う」。ケンジは、興味と恐怖がない交ぜになった気持ち――コンラッドの小説『闇の奥』でマーロウがクルツに覚えた感情――でフランクに見入り、だんだんとガイドする側からガイドされる側に役割が移る。ケンジは小説の終わり近くで「これまで足を踏み入れたこともないようなところに、心とからだが引きずり込まれているのは確かだ。まるで秘境を旅していて、ガイドの話を聞いているような気分だった」と認める。首都東京の眩いネオンの裏に隠された闇の奥を、この外国人訪問者が暴いて見せるのである。

 私は本質だとは思わないからといわずに、言語・翻訳・海外から見た近代日本文学としてはマスターピース感もあるので、村上春樹もすこしだけ。

217>村上春樹は成長過程で、トルストイやドストエフスキーと並行してアメリカの探偵小説も読んでいたし、アメリカのジャズにほれ込み、昂じて二十代前半に妻とジャズ喫茶を開店したほどで、それが彼の最初の職業だった。
218>スミエ・ジョーンズが書いているように、「日本の作家の誰よりも自覚的に、村上は生身の日本人なら実際には使わないような日本語を捏造している。それは必ずしも翻訳を念頭に置いて創り出したというわけではなく、アメリカの英語やアメリカ文学を含む彼の個人的言語システムの産物として生まれた言語なのだ」

 229pからの「語り直される『千夜一夜物語』」の項で村上春樹の「シェエラザード」(二〇一四)という短篇集を扱う部分が、最高に村上春樹らしくて笑ったので引用したい、これでもかというくらい私の村上春樹イメージそのもので笑ってしまった。

119>この作品(の英訳)が『ニューヨーカー』に発表された時、前提となっている状況についてインタビュアーが尋ねると、村上春樹はこう答えた。
 「悪いけど、どんな出来事のせいでああいう状況になったのか僕にも正確なことはわからない。もちろん、ぼくは原因となったかもしれないことはいくつか思いつくのだけど、読者もそうであってほしい。別にすごい謎にしたいわけじゃなくて――実際、読者と僕の仮説を選んでそれぞれの上に組み立てれば、作家と読者のコミュニケーションの貴重な形になりますよね。大事なのは羽原がなぜああいう境遇なのかということではなくて、僕たちが似たような状況にあったらどう行動するか、なんです。」

 我々はまさにポストモダンの世界に生きていて、アラン・ロブ=グリエが言ったように、ここでは主人公も作家自身も何が起きているのかよくわかっていない。村上春樹のポストモダン小説はジョン・バースやドン・デリーロとよく較べられ、たしかに「シェヘラザード」はバースの「デュニアザット」と比較しうるが、ジョン・バースの語り手やルシュディのイブン・ルシュドと違って、羽原の中年の危機は『千夜一夜物語』で救われるわけではない。終末で、彼は性行為も物語も両方失うことを想像している。(以下、本文)

 シェヘラザードばかりか、あらゆる女から遠ざけられてしまうことになるかもしれない。その可能性も大きい。そうなれば、もう二度と彼女たちの湿った体の奥に入ることもできなくなってしまう。その体の微妙な震えを感じとることもできなくなる。しかし羽原にとって何よりつらいのは、性行為そのものよりはむしろ、彼女たちと親密な時間を共有することができなくなってしまうことかもしれない。女を失うというのは結局のところそういうことなのだ。現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女たちの提供してくれるものだった。そしてシェヘラザードは彼にそれをふんだんに、それこそ無尽蔵に与えてくれた。そのことが、またそれをいつか失わなくてはならないであろうことが、彼をおそらくは他の何よりも、悲しい気持ちにさせた。
 
 現実に組みこまれながら同時にそれを無効化するというシェヘラザードの尽きることのない力は、文学そのものの簡明な定義であるが、この可能性は羽原の生活から遠のいていく。
~マシューチョジックが言ったように「村上の作品では現代日本の文化、会社、作曲家や芸術家が話題になることはめったにない。主人公足立は日本のポップスターの歌詞を口ずさんだりしないし、勤勉な「サラリーマン」像に当てはまることもないし、カラオケ店の常連でもない。対照的に、国際的によく知られた英米の企業や映画、作家、バンドが頻繁に引き合いに出されるのだ」。チョジックが主張するには、村上春樹が国内でも海外でもこれだけ成功しているのは、太平洋の両側の読者たちにとって親しみのある西洋文化を取り込んでいるからで、日本の読者は村上春樹を西洋的だと思い、西洋の読者は日本的だと感じる。彼の日本語の文章――タイトルに至るまで――の中に英語由来の外来語が頻出するのも一因ではあるが、その外国っぽさは英語に翻訳すると消えてしまうのだ。

 (>悪いけど、どんな出来事のせいでああいう状況になったのか僕にも正確なことはわからない)だからポストモダンって嫌いなんだよな、みたいな。ほんとすごいよな、ドン・デリーロはこの並びで出てきていいのかな。(>現実に組みこまれながら同時にそれを無効化するというシェヘラザードの尽きることのない力は、文学そのものの簡明な定義>というテーマ性があるにもかかわらず(>羽原の中年の危機は『千夜一夜物語』で救われるわけではない)、というところが完全に村上春樹的。
 上記の作品本文の文章も、すごくないですか、まじかよ、ほかの何よりも悲しい気持ちにさせる? 女が<提供してくれる><現実を無効化してくれる><無尽蔵に与えてくれる>特殊な時間、から遠ざけられてしまうことが? くれる・くれる・くれる・られてしまう??? ‥‥‥‥

 (>村上春樹は成長過程で、~~~アメリカの探偵小説も読んでいたし、アメリカのジャズにほれ込み、昂じて二十代前半に妻とジャズ喫茶を開店したほどで、それが彼の最初の職業だった。)
 (>村上の作品では現代日本の文化、会社、作曲家や芸術家が話題になることはめったにない)
 (>日本の読者は村上春樹を西洋的だと思い、西洋の読者は日本的だと感じる。)
 など後半の部分は、下記でカズオ・イシグロが(想像のイングランドをずっと探している・そして架空の故郷である日本)とも関連するし、作家自身にとっての憧憬のモチーフ・虚構創作性に関連するものだと思うし、共通する独自の世界観であり、この辺りも言語性とは異なる創作性の話。

 生まれつき翻訳としてのイシグロや村上、そして文学とグローバリゼーションの項で大江に関しての部分でもまた、世界文学的伝播や本質について触れられる。

220>今日の世界では、イシグロよりはるかに地元志向の作家でさえもグローバルに読者を獲得しうる。イシグロとの対談の中で大江健三郎は、自分の作品が翻訳されるか同化にはまったく興味がないと述べた。彼は日本人の読者のために、それもある一定の少数の読者、彼と同時代の「ごく限られた」人たちのために書いているのだと主張した。にもかかわらずこの五年後、大江はノーベル文学賞を受賞したのだった。ノーベル委員会――そのほとんど、あるいは全員が翻訳で読まざるをえなかったわけだが――は平然と、一般的な言い方で大江を称えた。曰く受賞理由を「実社会と神話が凝縮された想像の世界を作り上げ、読み物の心を狼狽させるほどいきいきと現代人の苦境を描き出した」としている。作品がいったん翻訳されて本ぼくから遠く離れたところで読まれるとき、もともとのコンテクストから作品は必然的に切り離されるが、同時に新しいコンテクストと文学的関係に流れ込み、作品が生まれた地点から遠く離れた土地の作家のインスピレーションを与えるのだ。

 もちろん、多和田葉子についても最後に扱ってあり、
 読み応え凄くあるので、ぜひおすすめ。

以下のように、 
(>出生地からさらに離れて、
  ~このような移住をした場合、
  ~政治亡命ならなおさらで、
 ~望んだとしても母国には戻れなかった。
  ~にもかかわらず両作家は、多くの作品ではるかな故郷を扱い続けた。)
 ような時代を経た現代は、(>毎日でも故郷の友人や親族と連絡を取り合うことができるようになり、メールやスカイプ、ソーシャルメディアなど手段はさまざまにあるし、旅をするにもかつては何日も、あるいは何週間もかかっていたが、今や一晩飛べば済む問題)になった現代でも、古郷やアイデンティティや拠り所を求めたり脱ぎ捨てたりしながらテクストや人間性や文学性が続いていることの、現代性をやはり広げていくにあたり、多和田葉子やカズオ・イシグロの文脈が目立つ。やはりこの辺りなのだろうなと考える。
 (>二言語(あるいはそれ以上)を念頭に書くことも多くなった)は生まれつき翻訳にも関連するどっぷり要素、文芸性。ちなみに、池澤夏樹さんの文学全集について触れられていることも少しうれしかったり。

言語と翻訳で揺るがす20世紀のポストモダンの続き『献灯使』『地球にちりばめられて』『雪の練習生』多和田葉子/Language and Identity Beyond Borders:Yoko Tawada and Postmodern Literature Today
境界を越える言語とアイデンティティ:多和田葉子と現代ポストモダン文学 <English Summary> This article explores the works of Yoko Tawada through the lens of ...
文学的迷子たちへ
文章を読みたいし、できればそれは夢のようなフィクションだと素敵だ。 一人でも多くの文学的迷子が減り、一冊でも多くの本が読まれ、何より私がその孤独から救われますように。
グローバル・バイリンガリズム
 もっぱら東京の限られた地区だけを舞台にしている『インザ・ミソスープ』は、多国籍的な物語を「グローカル」に落とし込んでいる作品である。大半の日本人作家は日本で暮らしながら仕事をしており、作品におけるグローバリゼーションも主に日本に入って来ている様子を描写しているが、なかには、たとえば三島の『暁の寺』のように海外を舞台にした小説もある。日本人作家が海外に長期間滞在するケースもますます増えるだろう。例えば、村上春樹は一九八〇年代から一九九〇年代前半に在外生活をしたし、芥川賞と谷崎賞を受賞した小説家・詩人の池澤夏は一九七〇年代にギリシアで数年、一九九〇年代はフランスに五年住んでいた。池澤は現代ギリシア語と英語の翻訳を数多く手がけ、全三〇巻の現代世界文学全集の編集もしている。
~出生地からさらに離れて、他国に永住する作家もいる。このような移住をした場合、かつては故国との活発な関係が絶たれることも珍しくなかった。政治亡命ならなおさらで、ウラジーミル・ナボコフのような作家は望んだとしても母国には戻れなかった。しかし、そんなやむにやまれぬ事態は別として、渡航や連絡の困難はしばしば故郷を記憶の彼方に押しやり、帰郷の機会が減って、いざ帰ってみると気まずい思いをすることも珍しくない。キプリングは一八八九年にインドを発ってからは一度も戻らなかった。ジェイムズ・ジョイスはイタリア移住後にアイルランドへ帰ったのはたった一度きりで、もう二度と行かないと断言した。
 にもかかわらず両作家は、多くの作品ではるかな故郷を扱い続けた。
~移住者は着実にあるいは毎日でも故郷の友人や親族と連絡を取り合うことができるようになり、メールやスカイプ、ソーシャルメディアなど手段はさまざまにあるし、旅をするにもかつては何日も、あるいは何週間もかかっていたが、今や一晩飛べば済む問題である。結果として、今日の移住作家は二言語(あるいはそれ以上)を念頭に書くことも多くなった。どちらかの言語を選んで書くにしても、実際に二言語で書く場合でも、両方の言語が頭にはあるのだ。そうした作家たちは、今日のグローバル作品がもつ可能性を示す重要な指標として興味深い。
 本章の締めくくりに、二〇世紀半ばのクリスティン・ブルック=ローズと今日の多和田葉子という二人の越境作家を比較することにしよう。両者は、複数言語で活動する作家がグローバルなパースペクティブを自作品にどう取り入れるかを示す好例である。

言葉の狭間――ブルック=ローズと多和田葉子
 日独両方の言語で多くの作品を生み出している多和田葉子は、世界文学において独特の地位にある。日本では芥川賞や谷崎賞、ドイツではドイツ語が母語ではない作家に与えられるシャミッソー賞など、彼女は多くの文学賞を受賞している。
 松永美穂が詳述している通り(二〇一〇)、多和田作品の多くは境界や言語を越える問題を扱っている。その一つの良い例が『アルファベットの傷口』(一九九三)であり、日本人翻訳者が主人公の作品である。彼女はカナリア諸島へ赴き、アンネ・ドゥーデンというドイツ人作家が書いた聖ゲオルクとドラゴンの物語の翻訳に取り組む。いみじくも「ドゥーデン」とは有名な、標準ドイツ語の正書法資料の代表格であるドイツ語辞書の名前だ。多和田作品の翻訳家はこの二言語間の等価物を見出すのに苦労する。シャニ・トバイアスが主張した通り(二〇一五)、主人公が苦し紛れに生み出す逐語訳が、安定した「起点(翻訳元)言語」と「目標(翻訳先)言語」という考え方にゆさぶりをかけ、彼女は言語と言語の間の「詩的な峡谷」に落ちていく。
 村上春樹やイシグロと同様に多和田も不自然で不可解な感じの文章を書き、そのドイツ語の文体はしばしば未知の言語からの翻訳を思わせ、簡潔であると同時に語られていないことがある含みもある。Veruandlngen(『変身』カフカのみならずオウィディウスをも視野に入れている)の題名で発表した一九九八年の講演の中で、多和田はカフカとハインリッヒ・フォン・クライストの文体にもこの特質があると述べている。「翻訳ではないのに翻訳の効果をもっているテクストというのは確かにあります。クライストはよくそういうテクストを書きましたし、カフカもそうです。こうした作家たちには、オリジナルなき翻訳を書く能力が備わっているのです」。「オリジナルなき翻訳 Ubersetzung ohne Original」とはまさに多和田自身の文体を要約した表現である。

 多和田葉子で締めようと思っていたけど、やはりカズオイシグロが目立つ、ということで
 (>レベッカ・L・ウォルコウィッツが述べたように、イシグロの作品は「生まれつき翻訳」であり、この表現を冠した彼女の本は、中心となる章をイシグロに割いている。)は前回の一冊ですね。

翻訳と世界文学『翻訳地帯』アプターの対ダムロッシュ『世界文学とは何か?』World Literature and Translation:What Is World Literature Today? Emily Apter vs David Damrosch in the Age of Global Culture/ラテンアメリカシリーズ④
世界文学と翻訳:今日において世界文学とは何か?グローバル文化時代におけるエミリー・アプター vs デイヴィッド・ダムロッシュ <English Summary>What happens to literature when it cross...
188>五歳で渡英したイシグロは日本語を話す家庭で育ち、(いつまでもポーランド語でポニーをなだめすかしていた)コンラッドと同じように二か国書的意識を保ち続けた。イシグロが自身の作品について言ったように、「ある意味、翻訳調っぽい言葉遣いにしないといけないのです。つまり、流暢にしすぎたり、西洋の口語的表現を使いすぎたりするわけにはいかない。映画字幕に近いような感じ、英語の背後に外国語が息づいていることがそれとなくわかるようにしなければならないのです」。レベッカ・L・ウォルコウィッツが述べたように、イシグロの作品は「生まれつき翻訳」であり、この表現を冠した彼女の本は、中心となる章をイシグロに割いている。
 イシグロが書く英語は、きわめて明快ではあるが厳密には口語体とは言えないため、純然たるイギリス人の登場人物が話している時でも微妙に不思議な印象を与える。ヴァージニア・ウルフがコンラッドの文章について述べた言葉――「あまりにも格式ばっていて、勤で、几帳面すぎる」――はそのまま『日の名残り』の語り手である執事スティーブンスにも当てはまるだろう。ロシオ・デイヴィスが主張したように、「ときどき、例えばスティーブンスが死の床にある父親に向かって決してyouではなくfather と呼びかけるときや、ミス・ケントンが「そうなのですか、ミスター・スティーブンス」というような言葉を投げかけるときなど、その語りは日本語から翻訳したかのように思えることがある」。同様に、コンラッドが「風変わりな使われ方の風変わりな土着の言葉」を好むとH・G・ウェルズが述べたことは、スティーブンスの言葉遣いについて他の批評家が論じていることと一致する。
~~常にどこかしら異邦人であるイシグロがイングランドの貴族の館の伝統を扱うと、P・G・ウッドハウスの古典的なブランディングズ城シリーズの小説から最近のテレビ番組『ダウントン・アビー』シリーズに至るまでのイギリス大衆文化にみられるノスタルジーの基調とはかなり違ったものになる。また、H・G・ウェルズによる一九〇九年の小説『トーノ・バンゲイ』の伝統に則り、辛辣な政治的攻撃を仕掛けるわけでもない。『トーノ・バンゲイ』はカントリーハウスのきわめて保守的な「ブレイズオーバー家という組織体系」を辛辣に脱構築しているのだが、主人公は下中流階級で、厨房の片隅から「上流の」上流階級を懐疑心を持って眺めている。イシグロはそうはせずに、カントリーハウス小説というジャンルを持ち出して、抑圧された感情や語られない欲望を探求し、仕事への没頭がおぞましい行為への黙従に転化してしまうという危うい道のりをたどるための舞台に据えるのだ。
 「日の名残り」を出版した二年後の一九九一年に行われたインタビューで、イシグロ自身が、次のように述べている。

 『日の名残り』で僕が作り上げたある種のイングランドは、実在したとじているイングランドではありません。歴史的に正確なやり方で、過去のある時期を再現しようとしたわけではないのです。ここで僕がやろうとしていることは、[中略]実のところ、ある種の神話的なイングランドについての、ある特定な神話を書き換えるという試みなのです。[中略]僕はわざと、P・G・ウッドハウスのような作家たちが描いたものと一見似通っている世界をこしらえたのです。それから徐々にこの神話を揺さぶり、幾分歪めた、違った形で用いているのです。

イギリスの歴史・文学のモティーフを書き直すーノルブとイシグロ
 このように、キプリングやコンラッド、ウッドハウスといったイギリス人作家の文脈にイシグロを位置づけることができるが、もっと離れた場に目を向けることも可能である。イギリスの歴史と文学を、書き直すべき神話的モティーフの宝庫として扱う点において、イシグロは同時代のもう一人のアジア系作家と比較し得る。その作家ジャムヤン・ノルブは子どものときに国も言葉も違う土地へと移住し、大英帝国時代末期の小説に基づいた小説を書くことになった。一九九九年の小説『シャーロック・ホームズの曼荼羅』は、キプリングとアーサー・コナン・ドイルの驚くべきパスティーシュであり、非常に明確な政治的効果を狙って展開する作品である。
 ジャムヤン・ノルブが六歳だった一九五〇年に、中国によるチベット侵攻が起こった。彼がダージリンにあるイギリス人学校に送り出されてまもなくのことで、後に家族もラサを逃れてこの土地にやってきた。大方は貧しいチベットの難民たちは、インド北部ではあまり歓迎されず、周囲のヒンディー語社会から隔絶されていた。ノルブにとって英語と英文学は広い世界へのパスポートであって、そのことは『シャーロック・ホームズの曼茶羅』のはしがきでも述べている。

 セント・ジョゼフ校での学園生活は、当初は孤独でさびしかったが、英語が身につくうちにやがて多くの友だちができ、そして何より本の面白さを知った。何世代もの男子生徒がそうだったように、G・A・ヘンティやジョン・バカジ・ライダー・ハガード、W・E・ジョンズの作品を心ゆくまで読み耽った。だがキプリングやコナン・ドイルを読んでいるときのとてつもない興奮に勝るものはなかった。特に『シャーロック・ホームズの冒険』は格別だ。

 攻撃的反帝国主義者であるノルブの暗黙の皮肉は、彼にとっての心の英雄がキプリングやライダー・ハガードなどの帝国擁護の作家たちであり、その文学作品のおかげで世界が広がったということである。とはいえ、同時代のインド人とは違い、ノルブには植民者としての英国人、植民地圧制の言語としての英語という経験はなかった。チベットを侵略した帝国主義の権力は中国であり、彼はチベットの独立闘争に力を注ぐようになった。ダラムサラで亡命政府に財政的な援助をし、文化的・政治的問題についての能弁な評論を書き始めて、それが『影なるチベット』という物悲しい題名の本にまとめられている。しかし、彼の評論は在印チベット人コミュニティの外ではほとんど読まれなかったので、一九九〇年代後半に小説を書こうと思いつき、より幅広い読者に訴えるために探偵小説というグローバルなジャンルを媒体に使うことにした。ホームズに疲れたアーサー・コナン・ドイルが、「最後の事件」でその高名な探偵を亡き者にした一〇年後に、世間の要求に屈してホームズを生き返らせたのをノルブは知っていた。ホームズは「空き家の冒険」で、その忠実なる相棒ワトスンに、実は宿敵モリアーティ教授と共にライヒェンバッハの滝に落ちたのではなく、モリアーティの手下による復讐から逃れるために、身を隠してヨーロッパを後にし、二年間チベットを旅してダライ・ラマと会ったと説明している。ノルブはこの空白の年月の物語を語り、殺人ミステリーもしかるべく加え、中国のチベット侵攻へのあからさまな非難の枠組

205> 想像の故郷ールシュディとイシグロ
 今日のグローバルな英語の多様性を知るには、ジャムヤン・ノルブとカズオ・イシグロを比較してみることが有益である。どちらもキプリングを利用しているが、両者は文体的にも政治的にもさまざまな点で異なっている。ノルブは遊戯性にあふれ、政治的に先鋭化しているが、イシグロの方は何につけても微妙で遠回しである。とはいえたびたび指摘されてきたように、イシグロも帝国の名残りを描くことに興味を抱いている。最初の二作の小説『遠い山なみの光』(一九八二)と「浮世の画家』(一九八六)は第二次世界大戦後の日本を舞台にしていて、『日の名残り』は大英帝国の終焉をもたらした一九五六年のスエズ危機の時点から始まっている。政治を間接的に見るという点では、イシグロはサルマン・ルシュデイと比較することができるが、ルシュディもまた年少のうちにアジアの出生地を離れて長年イギリスで暮らしているのである。ノルブ同様ルシュディも英領インドの文学的・言語的遺産を利用し、そしてノルブとイシグロもそうだが、子供時代を過ごした失われた故郷をたびたび振り返っている。ルシュディは一九四七年にボンベイで生まれ育ち、キプリングと同じくヒンディー語と英語のバイリンガルになってから(やはりキプリング同様)イングランドへ送られて学校教育を受けた。彼の場合は、一四歳で名門ラグビー校に入学した。その後ケンブリッジ大学へ進学、一方家族はボンベイからパキスタンに引っ越した。一九六八年に卒業して家族の元へ帰ったがまったく馴染めず、すぐにイギリスへ戻り、原稿整理編集者として一〇年働いた後、一九八一年「真夜中の子供たち』の目覚ましい成功を機に専業作家となった。
 イシグロの三作目までの小説と同じように、『真夜中の子供たち』も失われた過去の記憶の書である。イシグロとルシュディはノルブと違って亡命者ではないが、二人とも祖国で過ごした幼少期とつながってもいるし切り離されてもいる。ルシュディは、家族がボンベイ(名前も変わってしまい、今はムンバイである)を離れてからは短い旅行でしかインドへ行っていないし、イシグロも初めて日本へ帰ったのは一九八九年で、両親と共に離日してから三〇年を経ている。『真夜中の子供たち』を出版した後の一九八二年に、ルシュティは「想像の故鶏」というすばらしいエッセイで、失われた過去の魅力について語っている。彼はここで、ボンベイを離れてから長年を経た後に再訪したことや、実家の電話番号がまだ電話帳に載っているのを見つけて驚愕したことを述べている。イギリスへの帰途、「真夜中の子供たち』に描いた自身の少年時代を再現してみようとした。だが、自分の記憶が断片的で、安定せず、不確かであることに気づいたのだった。「この〔在外の〕インド人作家がインドをふり返って見るとき、その目にかける眼鏡はうしろめたさに彩られている」と心を揺さぶられる言葉で彼は語り、さらにこう続ける。「我々のアイデンティティは複数でもあり、不完全でもある。ある時は二つの文化にまたがっていると感じるし、別の時には二つの足場の間に落ちていると感じるのだ」。けれども、二重のアイデンティティをもつことは、ひどく緊張を強いられるが、作家には豊かな実りをもたらすと主張する。「文学のある部分は、新たな視点を見出して現実を理解する営みであるとするなら、やはり隔たりがあって地理的にはるかな見地がそのような視点を与えてくれるのかもしれない」。ルシュディは、英語の「トランスレーション」は「越えて進む」を意味するラテン語から来ていると指摘した上でこう言う。「世界を越えて進んできたのだから、我々は翻訳された者である。普通は、翻訳される時に常に何かが失われると思われている。だが私は、何か得るものもあるという考えを言じて譲らないのだ」。
 この同じ年にカズオ・イシグロが最初の小説を出版し、『真夜中の子供たち」が大成功をおさめたおかげでイシグロの本も熱狂的に受け入れられた。そのことは彼自身が一九九〇年にアメリカ人インタビュアーに語っている。
 
 非常に画期的な出来事だったのが、一九八一年に『真夜中の子供たち』でサルマン・ルシュディがブッカー賞を受賞したことです。彼はそれまで全くの無名な作家でした。本当に象徴的な節目で、突如として皆が第二のルシュデイを探し始めた。僕が『遠い山なみの光』を出した頃はそんな時期だったわけです。たいていは最初の小説なんて、跡形もなく消えてしまうものです。ところが僕は大いに注目され、たくさんの取材を受けて、数多くのインタビューに応えました。その理由はわかっています。この日本人の顔にこの日本人の名前だからで、当時はそれがプラスになったのです。

 両者の作品の類似点は、アジア系イギリス作家に対する一般大衆の関心が当時高かったことにとどまらない。「カズオ・イシグロの小説における想像上の故郷再訪」において、ロシオ・デイヴィスは――彼女自身フィリピンからスペインへの移住者である――『日の名残り』をルシュディのエッセイに照らして読み解いている。デイヴィスは、ルシュディが断片的な過去の名残りを寄せ集める難しさについて述べる文章を引用する。「私の現在が異国で、過去は故郷。それは失われた脇間の第にかすむ失われた都市にあった失われた故郷ではあるのだが」。その結果、「記憶のかけらは、「名残り」であるからこそより重要に思え、より強く、心に響くのだった。断片的であるがゆえに、些細なことがシンボルであるかのように思え、平凡なことにも神聖な意味づけがなされたのである」。デイヴィスは『日の名残り』もやはり、子どもだった過去を取り戻すことができないという作者自身の認識に基づいた、断片的で虚偽を含んだ記憶を扱った小説であると主張している。
 この点について、イシグロ自身も一九八九年に来日した際に大江健三郎との長い対話の中で指摘していた。

 「他国」としての日本、僕にとって非常に重要な「他国」なんですが、この国にはとても強烈なイメージと心の底での深い結びつきを抱きながら、僕は大人になっていったんです。[中略]僕はこれまで日本に帰ってきたことがなかったし、その意味で日本を知らなかったんですが、イギリスにおいては常に日本とはこういうところだという、いってみればイメージとしての日本を作り上げていたわけです。[中略]〔後に]この「日本」は、僕にとってはとても大切なものだけれど、実は僕の空想のうちにしか存在しないのだ、ということに気づいたんです。本当の日本は、一九六〇年以降大きく変わってしまっていましたからね。「日本」は僕が幼年期を過ごしたところであって、

 私はフィクション性やテーマ性でカズオ・イシグロの評価に対して軽薄の実質を思ったけれど、評価の文脈が違ったのだなと認識視点を入れてみると、納得するところも出てきた。出自と移動経歴や言語転換を見ると、多様性・多言語性などの文脈、まさにテクスト純粋性や翻訳性においての特徴が強く、それは単純な作家性とはまた異なる軸で作家の特徴をあらわすし、世界文学・言語翻訳の視点が強い時代における評価軸において強烈なアドバンテージで天分である事、才能とは異なるかもしれないけれど武器で特徴なことは間違いないなと思うに至るなど。
 このあたりが闊歩する多和田葉子と被って語られること、そして村上春樹などがいつもまとめて出てくるが、世界や海外における日本文学の現存要素はやはりこの辺りなのかな、文学としては一部・テキストや言語形式の要素が強すぎないかとは思うけど。まあだからといって別や次が見えないのだから仕方がないのだけど。10年後に期待。

カズオ・イシグロに感じた軽薄さの正体『わたしを離さないで』間違いなく傑作 Ethics of Memory in Literature|Kazuo Ishiguro
ブッカー賞・ノーベル賞受賞作家の代表作、そして傑作なんでしょう、私も感動しました。しかし非常に複雑。これを大声で素晴らしいと言える人、すごいな純粋に。それほど退屈で、完成度が高く、疑問符が残る作品。ある意味でこのつまらなさは日本の純文学的なことなのかも?
『クララとお日さま』における寓意の探究:カズオ・イシグロの文学的実力/Exploring the Allegory in Klara and the Sun:Kazuo Ishiguro’s Literary Strength
『日の名残り』を読んだとき、この作家はあまり好きではないからもう読まなくていいと思った。  一冊目のその読後感と、当時もう評判で最高傑作だと言われていた『わたしを離さないで』のあらすじを見て、次を読む気になれなかった。十年前のそんなことを思い出しながら

 虚構性・テーマ性・人間性的な文学性とは異なる(と私は区分したい)けれど、上記のようなことが現代性であるし、苦手だったテキスト純粋性などの文脈で翻訳や言語など多和田やイシグロの現代注目の認識を改めてするし、それを海外の著者が複数人扱うというテキストを読む機会は良かったと思う。それすらも翻訳・出版・流通に乗りやすい方針や提供だったとしても、私はまだ見抜けないわけだけれど。

(p4>世界文学の研究は、単に国境の開放や自由な交流についての話では終わらない。不均衡や不平等、強いられた移住、失敗した移住、そして克服しがたい翻訳不可能性についての話でもあるのだ。 >作品は多様な文脈の中に存在するのだから。作品の制作から普及、そして後世の受容にいたるまで、さまざまな次元に注意を払うことで、私たちは作品をより完全に理解できる)
 個人的にはここはそこまでではないけど、ノーベル賞とかでも西欧と非西欧の中央・非中央性など(>比較文学講座がアジアに設立されはじめてからも、主眼はヨーロッパ内での相互関係に置かれつづけ、限定的な「東西」比較研究――基本的にはアジアの一国の文学をそれら西洋の列強国の作家たちと比較する――によって補われるのみ)
 ラテンアメリカブームの逆襲もその文脈で周縁とされるように、或いはその権威のダムロッシュが日本文学を読む・語るということ、或いは翻訳や出版システムなどが世界文学を流通させ、作家が作品を書き続ける言語・人間活動において、その主観やアイデンティティ的な要素は最も人文的であり、文明・人類的であり、それはつまり文学的であるということ、そのフラットに改めて立ち返ると、
 西欧・非西欧の主観的文脈やアイデンティティや越境などの要素は、未来永劫的な本質としてまだまだ克服されていない元来の読書性であり文明性であり文学性であるということになる。
 そしてそれは私が海外文学を読むということ、日本人として日本文学を読む、海外文学を語る、等にも関連する主体であることも認識される。
 やはりこの辺り(>世界文学が流通・認識する意味での言語・フィクション性としての側面から離れて、流通・認識されるところからの是非の話であり、~その本質は言語・文学性が常に現実・現代とどのようにも戦って思考してきたことの普遍性)
 19.20世紀を踏まえて、資本主義やネットワークに揉まれながら、人類文明や言語認識や虚構創作が、それでも何を志し楽しみ続いていくのか、世界終末戦争的な・人間性と人類文明性の虚構憧憬と志向性俳句のような瞬間的な個人の記憶や感性から、時代を映す虚構創作や文學表現をもって、人類文明はどんな夢をどんなテクストで残していくのか、そこの文学性を私は感じていきたいのだろう。

(>海外文学を読むということ、他言語を翻訳するということ、そこにある妥当性や価値性という本シリーズ内で生まれたテーマからすれば、他文化を嗜む・語る、という本稿の試みと志向性は、非常に本質的だし、それがつまり世界文学的であるということだし
 ~それらのテクストにも俳句にも人があり、浄瑠璃にも人
 ~そこに生まれるテクストとフィクション性は文学性以外の何物でもないところ、ただの表現形式の違い
何らかの言語であり創作である限りに、時代を超えた比較の可能性がある、というのは、時代の縦軸や世界地理の横軸とはまた異なる、パラレルで空虚で立体的な虚構創作性)
 この辺りの文学の時代的憧憬性などについては、例えばカズオ・イシグロ部分の終盤(>イギリスにおいては常に日本とはこういうところだという、いってみればイメージとしての日本を作り上げていた)が映すような、2か国や現実と非現実などの仕組みや個人や時代の上に浮かぶ虚構性、創作性とひいては言語芸術性、自由と希望と渇望の部分かなと思う。

 そして、その先のテーマはこの辺りだなと感じる。
(>世界文学としてみるときに、国民性とか自国性といったものは取り払われていくのかもしれず、それは例えばアプターの部分で失われる・文化的(存在・存続)価値などの要素
 ~移民や多様性の文脈でも正義も多義も散らばる
 ~翻訳前提のテクストやシームレスになっていく世界における越境やアイデンティティなど、カズオ・イシグロや多和田葉子の文芸テーマにも関連するので、やはり時代の主眼なのだろう)
 この辺りのテーマは多様性や亡命性、越境性=世界文学だし現代人類性である、との。そして共通言語と翻訳言語=テキスト的な文学性あるいは文芸性の滞りと発展、などと連想や認識がされはするが、それにしてもまだ全然先の問だと感じるので、来年以降に扱えたらいいなという感じ。道筋は見えてきた。


 

『世界文学とは何か?』デイヴィッド・ダムロッシュ

 こちらも一応読もうとしたのですが、
 一冊目よりも古い刊行になるのと、ある程度認識としてダムロッシュの世界文学観みたいなものを認識し始めていること、その後の著作を読んだことにより知ったかぶり感が出てしまったのと、あとレイアウトなどどうしても昔を感じたり、全体の構成も緩慢で、確かに説明分でもゲーテなどから始まる世界文学論みたいな感じで元祖感とかの紐解きやその弟子と伝記のエピソードなど回顧的な要素も分かるけど、少し合わなかったのか、何度か寝落ちしてしまい難しかった。そんなこんなで図書館返却期日を迎えてしまった。・
 やはりね、彼から始まり、その後の認識・反響が普及した後になると、やはりなんか難しいのかなと思ったり。あと私の幼さか。エミリー・アプターの反論から先に読むべきではなかったし、現代的な編集が成された1冊目の『ハーバード大学ダムロッシュ教授の世界文学講義 日本文学を世界に開く』が綺麗に整理されていたのも良かったし、ううーんでした。
 この本が世に出たときの興奮や驚き、せめて1冊嫁に読むべきだったこと、王道こそ価値観・世論的なスタンダードになることなどを思えば、大事なことだとは思うし勝ちなのだろうと思うのですが。
 あと1冊目のメモや引用などを書きつつ、2冊目として読んでいたので、自分の思考が進み過ぎて次を考え始めてしまったことなども良くなかった、戻る感じがして、読み書きの進行と順番のペースを考えていかないと、いろいろ難しいなと。
 つまりこの本の問題ではないはずですね。私の代既読の方がいらしたらこちらの感想などぜひ教えてください。

 興味の持続や寝落ち、私の不甲斐なさです。
 6月、駄目駄目でしたね。またもや金融に興味や時間を奪われていました。ブログ的には」反省しつつ、7月頑張ろうということで、以下の3冊目・寺尾さんのを含めたラテンアメリカシリーズ5記事目にしてブームを扱う予定です、乞うご期待。

**最後まで読んでくれてありがとう🌞**
 感想コメント、引用、紹介、たくさん待ってますが、
 とりあえずお疲れさまでした( ^^) _旦~~

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『ラテンアメリカ文学の出版文化史 作家・出版社・文芸雑誌と国際的文学ネットワーク形成』寺尾隆吉

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